第46話 2015年 ~あなたは、へヴィメタルを愛していますか?-6

   3


 今週は仕事が忙しく、いつの間にか金曜日が来ていた。

 あれ以来、水瀬春紀の様子には全く変化が見られない。いつも通り淡々と業務をこなし、そしていつの間にかいなくなっている。うがった見方をすれば、瑠奈に対していつもにも増してあっさりした対応になったような気もしないでもない。しかしそれも、しないでもない、と言う程度ではある。客観的に見たらなにも変わらないだろう。

 いや、むしろ、そうやって気にしている瑠奈に対して、周囲が不審がっているようだ。一度同僚の女性に「水瀬さんとなにかあった?」とストレートに訊かれ、それに対してうろたえてしまったことで、その後何をいってもただの言い訳にとられてしまうことになってしまった。実際には、何もないのに。


 男でも女でもない。

 そして、ヘヴィメタルウォーリアー。

 さらに、金属としてのヘヴィメタルのこと。

 その他諸々。

 とにかく、水瀬春紀とはまだまだ話をしなければならない。

 そんな気持ちのまま、金曜日の夕方が訪れた。瑠奈は気が気ではない。いつもいつの間にかいなくなってしまう水瀬春紀を捕まえて、ご飯にでも連れ出さなければならない。こんな悶々としたまま、土日を過ごしたくない。

 そう思っていると、意外にも水瀬春紀の方から「ちょっと、時間いいか?」と、声をかけてきた。二人連れだって、休憩所へと足を向ける。


「メール見たか?」

 分かりにくいが、水瀬春紀の顔には明らかに切迫感が表出している。その微妙な変化がわかるようになったのも、この数週間のことだ。

「ユグドラシルから、メール来てただろ」

「いや……携帯電話は鞄だから」

「ああ、そうか女性はポケットがないもんな……」

 自分だって女だったくせに、という言葉は喉の奥で飲みこみ、水瀬春紀が差し出してきた携帯電話のディスプレイを覗き込んだ。

 その件名には、ヘヴィメタル症候群発生、の文字が躍っていた。



 いつも以上に急いで業務を終わらせ、水瀬春紀と連れ立ってそそくさと出ていった瑠奈のことを、他の社員はどう見ただろうか。頭の片隅にはそういった心配もよぎっていたのだが、今はそれよりもヘヴィメタル症候群だ。

 電車を何本か乗り継いで現地に到着した時はユグドラシルの第一声は、

「メタルじゃなかった」というものだった。

 いわずもがな、ヘヴィメタル症候群が発生した際に演奏されていた曲のことだろう。

「間違いない。あれはヘヴィメタルなんかじゃありえない」

 もう一度、誰にいうともなく、ユグドラシルが口にすると、何度も頷いている。

「あなたがそういうんなら、メタルじゃないんでしょう」

 瑠奈は確信と共に、言葉を返した。

 水瀬春紀も頷く。

 一般の人々にとっては、騒々しい音楽はどれもヘヴィメタルだと言ってしまう人もいるだろう。しかし、ヘヴィメタル愛好者にかかれば、メタルなのか非メタルなのかは聴けば一瞬で分かる。そこにメタルの血が流れているか否か。神の音楽なのか否か――。その基準は明確だ。ユグドラシルほどの人間が違うというのであれば、間違いなく違うのだ。


「じゃあ、原因はヘヴィメタルじゃないってこと?」

「そもそも、それは当然そうだとは思っていたけどね」

 まだ騒然としている小さなライブハウスの入り口を出て、少し外れた場所にて、立ち話をする形になっている。少し落ち着きたかったが、周囲を見渡しても座れるような場所は見当たらなかった。いつの間にか、夕暮れの時間を過ぎて、西の方にほんのりと明るさが残っているが、空は概ね夜に支配されようとしている。いつもなら空腹を感じている頃なのだが、今はそんな状況でもない。


「どんな音楽だった?」水瀬春紀が、無表情でユグドラシルに訊く。

「どんなって……メタルじゃなかったことだけは確かだな。それだけはこの僕が保証しよう。メタルじゃないってことは、逆に言うと、どんな音楽だったのか、僕には詳しくはわからない……でも……」

「でも?」瑠奈は先を促す。いつも通りの持って回ったような独特の口調なのだが、今は少し苛立ちを感じてしまう。

「そうだな……。あえて言うならパンクロックみたいなものなのかな……でも、ボーカルはただのJ‐POPだったような気もするし……ああ、そうだ。ギタリストだけは、多分、あれはヘヴィメタル愛好者だな……うん。そうだ、間違いない」

「えっ? そうなの?」

「ああ、でもやっている曲はヘヴィメタルじゃない。だけど、あの音作りはメタルだったな。それから、時々割り込んでくる速弾きフレーズは、あれはヘヴィメタルだな」

「じゃあ、ヘヴィメタルが無関係ってことはないんじゃないか?」水瀬春紀がいう。

「いやいや、でもなんというか、曲調がメジャーコードなのに、なぜだかソロだけがマイナースケールで、これが全然気持ち悪くて」

 要するに、オリジナル曲だが、まだ音楽としても未完成な代物だったというものだろう。

「そうか……ギターが……ね」

 ギタリストがメタル愛好者ということに引っかかったのか、水瀬春紀が真剣な表情で下を向いて目を閉じる。

 しばらく言葉を待っていたが「しかし、そうだとすれば……いや、でも……」とただひたすら独り言を繰り返している水瀬春紀に、瑠奈の方がしびれがきれた。


「ときに、ラシルは今日、何でこのライブに来てたの?」

「今日? ……ああ、もともとここが知り合いのライブハウスで、ヘヴィメタルもやるって聞いてたから来たんだけどね。けっきょく二つ目のバンドでこの騒ぎになって」

 いいながらユグドラシルはライブハウスの入り口付近を指さす。警察関係の人々に遮られながらも、まだ野次馬らしき若者たちが集まっている。大部分はお洒落で軽いタッチの服装だったが、中にはぽつりぽつりと『黒い服装』の人たちも混ざっている。ひょっとすると、あとのバンドでヘヴィメタルもあったのかもしれない。

「あとは」と、ユグドラシルが続ける。

「今日は246と会うためっていうのもあったんだけどな……ああ、そういえば、あのギタリストの音、どっかで聴いたことがあるなーと思ってたんだけど、胡桃ちゃんが弾くギターの音そっくりで――」


「そうか!」

 と、ユグドラシルの話を遮って、急に水瀬春紀が言葉を挟んできた。普段の様子からは考えられないような、切迫した声。

 ユグドラシルも、珍しく目を見開いて固まっている。そんな様子に気づいていないのか、それとも知ったうえで気にしていないのか、

「エフェクターは」

 水瀬春紀が視線をまっすぐにユグドラシルに固定して、尋ねる。

 呆気にとられてただその目を見かえすだけのユグドラシルに、

「エフェクターは、胡桃ちゃんと同じなのか?」

 もう一度、確認するように、水瀬春紀が口にする。

「さあ……どうだろう……」

 ごにょごにょと口ごもりながらではあるが、ようやく我に返ったユグドラシルは、しばらく首をかしげて上の方へ視線を向け、ああそういえば、と水瀬春紀の方を見やる。

「あのバンドにも、246が機材を提供しているといってた。ということは、エフェクターも246経由である可能性が高い。とすると、胡桃ちゃんと同じものを使っているとしても不思議ではないね。音も似てたことだし」

 水瀬春紀は、そうか、と呟いてまた目を閉じて考え込む。

 エフェクターが原因である、という可能性を検討しているのだろう。となると、過去水瀬春紀が女だったときに使っていたエフェクターも胡桃と同じだということだろうか。

 しかし、そうなると一点、腑に落ちない現象が生まれる。

〈カオス〉によるイエテボリのライブ、そして、日本での何軒かのライブに、同じエフェクターが使用されていて、それによる何らかの作用でヘヴィメタル症候群が発生した、とそこまではいいのだが、元々の東欧での金属の雨の件だけは宙に浮いてしまうことになってしまう。


「エフェクターが原因だと、君はそう思っているのか?」

 瑠奈の言葉を代弁するように、ユグドラシルが訊く。

「ああ……共通点とすれば、そこしかない」

「わからなくはないが……しかし、あの金属の雨の……ヘヴィメタルが降った時にも、東欧で同じ症状が発生しているんだぞ? あれはまた別件だ、とでもいうんじゃないだろうね?」

「いやあれは――」

 いいかけて、水瀬春紀は口をつぐむ。

「どうしたんですか?」

「とにかく、246に会わなければならない」

「エフェクターが原因だとすると……そうですね、何か知っているかもしれませんね」

 もしくは、全てを仕組んだ人物である――というのは、考え過ぎだろうか。

「じゃあ……ちょっと電話してみるよ」

 ユグドラシルはすぐさま行動に移る。しかし、二度かけてもらったが、相手は出なかったようだ。諦めたらしいユグドラシルは、携帯電話をしまう。

「こうなったら、なかなかつかまらないかもね」

「あれ? 着信を残しておいてもかけなおしてこないの?」

 すぐに首肯したユグドラシルは、

「だいたい用事がある時には向こうから連絡してくる。逆にこちらからの連絡には応じてくれないことが多いね。それこそ、酷い時だと半年ぐらい音信不通になったりすることもある」

「半年……って、どこの人だか知らないの? 家は?」

「大学関係者だ、ということだけはわかってるんだけど……」

 首を振るユグドラシルに、大丈夫だ、とこれはなぜか水瀬春紀が口を挟む。

「246は……おそらく、彼だ」

「彼って――」

「大学関係者で、ヘヴィメタル愛好者。そして機材に詳しく、さらにヘヴィメタル症候群にも詳しい……となれば、彼しかいない」

 思わず、あ、と声を上げてしまった。

 そこまでいわれれば、さすがの瑠奈の灰色の脳細胞も一直線に一人の人物を浮かび上がらせてきた。

「楢崎……先生」

「そうだ……思い出してみれば、この前〈シャガールの残像〉と胡桃が出演したライブの時にも、実は楢崎さんのうしろ姿を見かけたんだ」

「話はしなかったんですか?」

「そのときはもうアレが起こったあとで、胡桃ちゃんを背負って帰る途中だったんでね。そんな余裕はなかった。それ以来、忘れてしまっていたんだが……そうか、もっと早くに気づくべきだったな」

 246が楢崎先生――そう考えてみれば、まったく違和感はないことに気づく。

「楢崎?」

 ユグドラシルが首をかしげる。

「そうか、ラシルは会ったことなかったんだね」

 水瀬春紀は歩き始めた。

「いずれにしても、早急に246――楢崎に会わなければならないが、その前に一度おれの家に寄ってほしいんだけど、ラシル、今日は車?」

 そうだ、と頷きながらユグドラシルも水瀬春紀に並んで歩きはじめる。

 瑠奈も慌ててその隣に付いて歩く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る