第47話 2015年 ~あなたは、へヴィメタルを愛していますか?-7
水瀬春紀がその押入れから出してきたのは、一見何の変哲もない、歪み系のエフェクターだ。銀色の筐体に包まれボリュームとゲインのつまみがあり、フットスイッチが一つ付いている。そのあたりも標準的な仕様に見える。
「これのどこが?」
同時に首をかしげる二人を尻目に、話はあとだ、とすぐに玄関から出ていく水瀬春紀。仕方なく、その後に続く。
車は一路、小阪大学へ向かっていた。
楢崎の研究室だ。
現在の時間がすでに、金曜日の夜七時半を過ぎようとしていた。どれだけ急いでも、大学に付くころには八時を回りそうだ。
「大丈夫だ。特別に飲み会とかが無かったら、楢崎が夜九時より前に帰っているところを見たことはないね。もっとも、それもおれが知っている十年ぐらい前のことだけど」
水瀬春紀は微苦笑を浮かべながらいう。
車内では、それ以降誰も口を開かなかった。本当は聞かなければならなことが、たくさんあった。いったい、このエフェクターが何なのか。水瀬春紀はどこまでわかっているのか――。
そういえば、東欧の金属の雨の件との関わりも、うやむやにされたままだ。
「おれにも全て理解できているわけではないんだけど……いずれにしても、本人に会えばわかることだ」
小阪大学に到着する直前、ぽつり、とこれだけ口にした。
後ろの座席から、助手席に座り、銀色のエフェクターを大事そうに抱えている水瀬春紀の横顔を見る。ただそれだけしか、瑠奈にできることはなかった。
階段を昇り、楢崎研究室の前まで辿りついた。
明かりは付いている。
そのドアノブに手をかけた水瀬春紀は、一瞬だけ逡巡するような間があったが、それでも一秒後には、ドアが動きだし、そのまま体を中に滑り込ませる。瑠奈が続き、後ろからユグドラシルも入ってくる。
見覚えのある学生が一人、こちらに気づいてぺこりと頭を下げ、
「楢崎先生ですか?」と小声で訊いてきた。
「ええ……ちょっと急きょ用事が出来て……いるかな?」
「ええ。いつも通り、奥の教授室に……呼んできましょうか?」
「ああと、えー、そうね――」
いいよどむ瑠奈を制して、
「いや。いいよ。こちらから行くから。ありがとう」
水瀬春紀は笑みを浮かべる。瑠奈からすると、嘘のような作り笑いだ。
すぐに引き下がった学生は、そのまま去っていく。
教授室へと歩を進めながら「不用心だな」とユグドラシルが囁く。
「大学なんて、こんなもんだよ」
低く、落ち着いた声で答えた水瀬春紀は、今度は何の躊躇もなく教授室のドアノブに手をかけ、そして、開いた。
わかっていたのか、それともいつもそうしているのか、楢崎教授はこちらを向いて立ったまま、腕を組んでいた。
「春紀クンか……それと、榛原さん、だったね……ええと、それから――」
「知っているでしょ。楢崎サン……いや……」
246、と水瀬春紀の口が動く前に、違う、という空気を切り裂くような声が、響いた。それはいったいどこから誰が出したのか、瑠奈には一瞬わからなかった。
「違う。この人は、246じゃない」
声の主は、ユグドラシルだった。今度はいつもの彼の声に戻っている。若干うわずってはいたが。
「……違う?」
水瀬春紀は、ユグドラシルに振り返り、そしてゆっくりと楢崎の方をみた。
その瞬間、ふっと鼻で笑うように息をついて、口角を上げた楢崎教授は、
「なんだ……そんな誤解をしていたのか。246のことは、私も噂では聞いたことがある。なんでも、ヘヴィメタル愛好者の間では有名らしいね」
「違った……か。そうか……」
「なんでそう思ったのか知らないけど、例えば私が246だったとしたら、どうなんだい? 例えば、その機材関連に、ヘヴィメタル症候群のヒントが含まれているとか……その君が抱えているエフェクターとか、ね」
水瀬春紀は、銀色の筐体を右手の平の上に載せて、楢崎教授の目の前に差し出した。
「当然、覚えていますよね」
「ああ、私が君にプレゼントしたものだね……あれからもう、十年ぐらいにもなるかな」
昔話が始まりそうな雰囲気を、水瀬春紀は自ら振り払って、おもむろに取りだしたドライバーで、その筐体を分解しはじめた。
「ここからは、おれの想像も入ってきます。だから、百パーセントの自信があるわけじゃありません」
そのエフェクターの中には、瑠奈にとっては馴染のない電子基板のようなものがいくつかと、金属の部品がいくつか、配線により繋がれていた。
「やっぱり……この部分」
いいながら、ドライバーの先で小さな金属の塊を叩く。
「違和感ありませんか? というか、あなたが作ったんですよね?」
「そうだが……もうそこまで細かい部分は覚えていない。なにせ十年も前のことだからね……そんな感じだったかもしれないし、そうではなかったかもしれない」
「そうですか」と水瀬春紀は笑みを浮かべる。いつものように、目は笑っていない。
この人は――。
なぜそんなに、よそよそしい態度を取るのだろう。
仮にも、元恋人なのだ。今は男なのか女なのかなんだかわからないようになってしまっているが、それでも――。それでも、なのだ。うまく表現できない自分がもどかしい。それでも、もっとなにかやり方があるだろう。
「あなたは、246ではなかった。でも、このヘヴィメタル症候群に関係していないかどうかは、まだわからない」
「ほう」
関係しているとは、つまり、疑っているということだ。わざとこの症状を引き起こしているとでもいうのだろうか。
「この部分の金属……これって、ヘヴィメタルなんじゃないですか?」
ドライバーでエフェクターの中身をつつきながら、水瀬春紀はいう。
「なぜ、そう思う?」
「カンです」さらりと答えた水瀬春紀は、
「色、つや、質感……それが、記憶にあるヘヴィメタルのものに酷似しています。……以前、あなたにもらった、アクセサリのヘヴィメタルに、ね」
「ああ、そんなこともあったな……しかし、だからなんだ? わかっていると思うが、ヘヴィメタルそのものには害はない。世界中で持っている人も多数いるんだ。それ自体から放射能をはなっているようなことなど、ありえない」
「そうですね。……ただそれはあくまでも、『そのままだと』害はない、というにすぎない。ここに、電気が流れればどうでしょう?」
「電気……」
そういわれた後も、不可解そうに目を細めていたが、すぐにはっとしたように目を見開いた楢崎が一言、
「雷か!」と、鋭く声を上げた。
このとき、この教授室に入ってから、始めて水瀬春紀が笑ったように感じられた。
「気づきましたね」
「あの……東欧の金属の雨の音源に、確かに入っていた」
そこまで聞いて、瑠奈も気づいた。
「金属の雨の音源、確かにあれは雷雨だった。つまり、ヘヴィメタルにあの雷が落ちていた可能性が高い」
ユグドラシルも、口を挟んできた。なぜだか楽しそうに、続ける。
「雷の高電圧により、ヘヴィメタルに電気が流れた……そして、エフェクターに組み込まれたヘヴィメタルにも、当然電気が流れた……なるほど、今初めて、金属の雨と、ライブでのヘヴィメタル症候群の共通点が見出された、というわけだね」
「あくまでも、それはおれの想像が正しければ、ということだけどね」
ともすれば結論付けてしまいそうなユグドラシルと、気づかずに大きく頷いてしまっていた瑠奈に対して、水瀬春紀はそういって熱を冷ましにかかる。
「まず、そのうちの一つはすぐに検証できるけどね」
落ち着いた口調は崩さず、楢崎教授が口を挟んでくる。
「その金属がヘヴィメタルかどうか。それは比重を測れば一目瞭然だよ。なにせ、今まで発見されているどの金属よりも重いんだ。間違えようがない……が、あいにくここは生理学系の研究室なんで、比重計はないね」
「それってどこか、別の研究室ならあるんですか?」
思わず身を乗りだして、そう聞いてしまった。
「当然」と楢崎は軽く答え、
「金属材料系の研究室なら、間違いなく持っているだろうね……たとえば、市川君のいる、田中研究室とか、ね。ちょうど今共同開発しているっていってたよね?」
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