第48話 2015年 ~あなたは、へヴィメタルを愛していますか?-8

 瑠奈と水瀬春紀は楢崎研究室を出て、田中研究室へと向かう。

 後ろから、ユグドラシルと、楢崎教授もついてきていた。

 建屋自体は異なるが、歩いても五分ほどで、到着した。自然、歩調はだいぶ速くなっていた。この十分ほどは、ずっと心臓の鼓動が速い。早く早く、謎を解きたい。明らかに自分が焦ってしまっているのは、わかっていた。わかっていても、自分ではどうしようもない。心臓が高鳴るのを止めようもなかった。

 研究室の扉を、そっと開けると、廊下は消灯されていたが、奥の一室から漏れ出る光に照らしだされて、足元の状態がわかる程度には明るい。


「ちょっと、誰かに声をかけてみよう」

 楢崎教授が先に立って歩きはじめる。

 明かりが漏れている部屋を遠慮がちな様子で開くと、そこには一人、中年の男がデスクに座っていた。

 軽く挨拶をした楢崎教授が、当然ながら理由は曖昧なまま、とにかく比重計を使わせてほしい、とだけ伝えた。簡単にオーケイが出たらしく、すぐに部屋から出てきた。

 楢崎教授、そして、水瀬春紀を先頭にして、実験室に向かう。

 実験室らしき部屋からも、明かりが漏れていた。まだ誰かがいるのだろう。

 水瀬春紀が、扉を開く。

 二人に続いて、瑠奈も体を滑り込ませた。

 一番奥にいる人影に、見覚えがあった。市川だ。

 すぐにこちらに気づいたらしい市川は、立ち上がって装置から離れ、こちらに歩み寄ってくる。


「春紀、と……楢崎さん……と、それから――」

 次には当然、自分の名前が来るものと思っていた。

 しかし、市川の視線は、瑠奈をスルーしてその後ろへ、ユグドラシルの元へと注がれる。なぜ、と瑠奈が振り返ると同時に、

「――246」とのユグドラシルの言葉。

「え?」

 水瀬春紀と、楢崎教授の声がかぶる。

「246じゃないですか? こんなところに?」

 もう一度前を向き、市川の顔を見る。

 呼ばれた市川は、顔をこわばらせたまま、なにもいわない。

「なるほど……君が、246だったのか」

 楢崎がさらりという。

 一方で、何も言葉を発さずにただ市川を見つめる水瀬春紀。

 その水瀬春紀のほうを、ちら、とだけ見た市川は、ふっと息を吐き出したような、笑ったような曖昧な表情を残して、そのまま背を向けてしまった。もう、表情から何かを読み取ることはできない。

「わかった。降参だ……そして、そのエフェクターを開けてここに来たってことは、気づいたってことだね」

「比重を測りに来たんだ。このエフェクタの部品の……ね」

「そうか……でも、その必要はない」

 市川は背中越しに、続ける。

「測定結果は間違いなく、24.6プラスマイナス0.1グラム程度を示すはずさ。……ヘヴィメタルの比重をね」

「市川……」

「24.6……って、あ!」瑠奈は思わず手を叩いてしまう。

「そう。ヘヴィメタルの比重が、246の名前の由来さ……それで、どうする? 俺はただ、エフェクターを作って、ほしい人に売っていただけのことだ。それも、法外に安い値段でね」

「どうやって? ――なぜだ?」水瀬春紀は、いう。絞りだしたような、かすれた声だ。

「どうやって……か」

 たっぷりと間を取った市川は「逆に」と妙に明るい声で、続けた。

「あの頃、なんで君にあんなに執着していたのか、そして何度も君の家に訪れていたのか、わかっているかい? 単純に君への恋愛感情だと、今でもそう思っているのか?」

「……市川」

 水瀬春紀が、名前を呼ぶ。

 男としてそう呼んでいるのか、それとも――女としての水瀬春紀が、その名を口にしているのか。

「僕は、神に委託されて、そして探していたんだ」

 市川が、いった。

「メタルの神は、ヘヴィメタルウォーリアーを集めようとしている。僕はその従僕としてこの世界に使わされた。そして、ヘヴィメタルウォーリアーになる資質を持つ人間に神の試験を受けてもらうべく、その電子機器にヘヴィメタルを仕込んだんだ。たまたま、それがエフェクターだったということに過ぎない……そもそも、ヘヴィメタルウォーリアーになるべき人間は、そのほとんどがギタリストだった」

「いったい……あなたは何を……」

 瑠奈がつぶやくのを制して、楢崎が口を挟む。

「君は、あの頃からずっと、その任務を信じてただ遂行していたのか? あの〈キング・オブ・メタル〉に所属していた日々も?」

「ああ、もちろん。僕がその啓示を受けたのは、もっと昔……それこそ中学二年ぐらいのときだったかな……」

「いわゆる、中二病ってやつ?」

 とユグドラシルがいうが、聞こえていないかのようにそれには答えず、市川は続ける。

「突然、頭のなかに神の啓示が入り込んできた。ヘヴィメタルに電気を流せ、そして、ヘヴィメタルウォーリアーを集めろ、と……最初は当然、何のことか分からなかった。でも、その頃懇意にしてた楽器屋の店員から、偶然ヘヴィメタルの金属の欠片をもらったんだ。おそらくそれも、神のなせるところだったんだろうけど、とにかく僕は、その金属に電気を流した」

「金属に電気を? よくショートしなかったですね」

 思わず、瑠奈が口にすると、

「半田として、溶かして配線に接着させてみたんだよ」との答え。

「あの金属は」と楢崎がいう。

「比重が重く、そして、融点が低い。既存の半田の原料となる鉛とほぼ同等程度で溶かすことができる」

「電子機器の半田付け部位のどこかに、一滴、ヘヴィメタルを垂らす……僕がやったことはただ、それだけだ……それだけで、あの光を見ることができたんだ。白い、神々しい、後光……」

「だが君は知らないだろう、この白い光輝の安らぎを――」

 朗読するように、舞台の上で話すように、水瀬春紀が語りだした。

 いったい何をいっているのか、と頭をひねるまでもなく、容易に脳の引き出しから出てきた。

 何度も何度も目にし、口にしてきた、シルバーメタルの歌詞。たしか、この曲だけは、市川が歌詞を書いていたはずだ。

「メタルの神が遣わした至高の瞬間、それは――」

 楢崎が今度は、メロディと共に口にして、最後、シルバーメタル、シルバーメタル、と全員での合唱となる。

 サビが終わり、曲は次にイントロのリフに戻り、ギターソロに突入する。

 しかし誰も続きは歌わない。

 ふわっとした奇妙な沈黙が、場を支配する。

 機械が作動している低いうなり音が、耳に届いてきた。

「それで、どうするんだ?」

 市川がいった。

 そうだ。

 ヘヴィメタル症候群の原因はわかった。

 それを市川が広げていることもわかった。

 しかし――。

 だから、いったいどうすればいいのか。

 これ以上広めるな、と市川を追及するのか。それとも、今までの事件の責任をとってもらうために、警察に通報して捕まえてもらうのか……いやしかし、どう説明すればいいのか。当然、何も科学的な根拠はない。それに、彼がしたこと、それはただ、エフェクターを販売した、というただそれだけのことなのだ。しかも、法外に安い価格で。

「ちょっと確認させくれ」

 水瀬春紀がいう。

「さっき、ヘヴィメタルウォーリアーになる資質を持つ人間に、神の試験を受けてもらう、って言ったな」

「ああ」

「その神の試験ってのは『二者択一問題』のことか?」

 その水瀬春紀の言葉に、楢崎教授もはっとしたような表情で、市川の背中を見つめる。

「ああ……そうだな」と市川はいった。

「すべての問題に正解した者だけが、ヘヴィメタルウォーリアーの資格を与えられる。どこかで間違えたものは下界に下ろされて、そして二者択一問題のことは記憶から抹消される……はずなんだが」

「実際には、記憶が残存したままの人間も多数存在する……そうなんだろ?」

「それがなぜかは、僕にはわからない。神の力も完全ではないということなのか、それとも、ただの神々の悪戯なのか」

「ちょっと待ってくださいよ」瑠奈は耐えきれずに口を挟む。

「神、神って、そんな存在を認めるんですか? 言っちゃあ悪いですけれど、今のところその存在を立証するような証拠は何一つないんです。そんな状態で神だとか、ヘヴィメタルウォーリアーだとかいわれても、納得いきませんよ」

「そうだな」

 そういってこちらを振り向いた水瀬春紀は、場違いにもどこか涼しげに笑みを浮かべている。

「だが、おれは実際に『二者択一問題』に立ち会い、そして現実に今、この体を得ている」

「――あ」

 瑠奈は言葉に詰まる。

 男でもなく、女でもない存在。

 ありえないことは、すでに現実に起こってしまっているのだ。

 そう考えると、逆にメタルの神の存在を仮定した方が、説明しやすいということになってしまう。

「――ああ、そうか。しまったな」

 なにを思ったのか、急にそうつぶやいて自分の携帯電話を手に取りディスプレイを確認していた水瀬春紀が、こちらを振り返る。

「榛原さん、なにか着信入っていないかい?」

 サッカーの試合結果を尋ねる、という程度のさらりとした口調で、そう訊いてきた。

 その雰囲気に流される形で、何気なく携帯電話を手に取り、そして、ディスプレイに目をやる。着信を二件あった。中身を確認すると、二件とも胡桃だった。

「胡桃ちゃんか?」

「よくわかりましたね?」

 一度、胡桃にかけなおしたが、出なかった。

「別に、急ぎってわけでもないかもしれないから、また帰ってから用件を確認しておくけど……」

「いや」と瑠奈の言葉に割って入るように、今度は少し強めの口調で、

「ひょっとすると、ちょっとまずいかもしれない」

 と口にすると、そのまま背を向けて歩き出そうとする水瀬春紀。瑠奈とユグドラシル、そして楢崎教授と市川も、後ろから付いていく。

「今日の夜、彼女、学校でミニライブを開くって……聞いてない?」

 これは瑠奈に対する質問だったが、あいにく、そんな話をされた覚えはない。

 ふと、先日部屋のベッドでゴロゴロしながら電話している胡桃の姿が浮かんだ。おそらく水瀬春紀に電話をしていたのだろう。その内容が、そういえばライブがあるとかなんとかいっていた気もする。

「メタルじゃない、っていってたから気にかけていなかったけど、あのエフェクターを使うとすれば、危ないかもしれない」

「行った方が良さそうだな」

 楢崎教授がやや歩調を早める。

 つられて、瑠奈も隣に並ぶ。

「胡桃ちゃんの高校だったら、ここから一時間もかからないだろうね」

 ユグドラシルがさっそくポケットから車のキーを取りだしながら、見積もる。

「五人……乗れるかい?」

 気づかなかったが、市川もついてきていた。

 一緒に来る、ということだろう。意図は不明だが、この際断る理由もない。

「まったくもって、オーケイだね」

 いつもよりも昂揚感をまとった口調で、ユグドラシルが歌うように喋る。

「ここ最近のRPGでは四人パーティが主流だが、五人ってのがないわけじゃないからね。FFでは唯一、Ⅳのみが五人パーティだったかな」

「……なんの話?」

「いや、適切なパーティ人数はいかほどか、という一部のマニアの間では議論されているネタ」

「ラシルがゲームなんかやっているとは意外ね」

「そう? まあ僕にかかればメタルであろうがロックであろうが、ゲームであろうが、なんでもどうにでもなるんだけどね」

 相変わらずいっている意味はよくわからなかったが、とりあえず無視することとして、とにかく車へと向かう。

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