第49話 2015年 ~あなたは、へヴィメタルを愛していますか?-9
「どんな微弱な電圧でも、ヘヴィメタルからはあの白色光が発生するんですが、それだけじゃ人体に影響をおよぼすほどのものじゃなく……」
「ある閾値がある、ということかい?」
「そうです。だから、家でエフェクターを使っているだけじゃ、何も起こらない。とはいえ、少しづつは影響が出てくる可能性はありますけどね」
後部座席で、市川と楢崎教授が会話をしている。
瑠奈は聞き流しながら、胡桃のことを考える。
その心配のタネをまいた張本人は今、同じ車に乗っているのだが、そのことに対する嫌悪感はなぜだか湧いてこない。胡桃に関しては、心配は心配なのだが、どちらかというととにかくなにが起こっても見届けなければならない、という気持ちだ。
「ライブで大音量になると、その波長が増幅されて閾値を越えることで、一気にその……『それ』が発動するというワケなんだね」
「ええ。神の金属からの、いわゆるお告げが降ってくることになります」
「神の金属……そもそもあの金属そのものを降らせたのも、そのメタルの神だということなのかい?」
本気なのか、それとも、軽い冗談として口にしているのか、楢崎のこの発言の真意は定かではない。そういえば、隣に座っているはずの水瀬春紀は全く発言していない。
ルームミラーで確認してみる。が、角度の関係で、先輩の顔は確認できない。寝ている、ということはないと思うのだが。
「メタルの神は」と市川が話を続ける。
「その当時のヘヴィメタルを憂えていた。そして、本物のヘヴィメタルを求めていた」
「それを体現するために、ヘヴィメタルウォーリアーが必要だった」
その後、ぷつりと会話は寸断される。
いつもなら〈ディープパープル〉の、例えばハイウエイスターが垂れ流されているはずのカーステレオも、今は沈黙を保っている。
ぽつり、ぽつりと雨粒が、フロントガラスを叩き始めた。
ユグドラシルがバーを操作し、そしてワイパーが動く。
ゴムとプラスチックガラスの擦れる鈍い音が、妙に耳に残った。
車窓の向こう側に、ちらちらと別の景色が映りこんでくる。
それはおれの学生時代――まだ完全な女だったころの記憶であったり、またオレンジ色の街や森に住むモンスターの映像であったり、脈絡はない。そもそも、おれは本当に今まで生きていたのかどうか、その自信がない。
〈キング・オブ・メタル〉が『メタル・ボックス』で最後のライブを行ったあのとき――。
二者択一問題をクリアし、そしてへヴィメタルウォーリアーへの道を踏み出してから、おれは一度も生きていなかったのかもしれない。
大学院へ通い、そして就職してそして――。
榛原瑠奈と胡桃に出会った。
あれがおれの生が再び回り始めた瞬間だったのだろう。
市川、そして楢崎に再会した。
ぐるぐると、細胞内の体液が循環する。古びて腐りかけていた血液が、浄化されていく。
「同じように、お告げを受けて動いている神の使いも世界には何人かいるはずです」
「……その初っ端が〈カオス〉だった」
「ええ、そうです」
「これは、いつまで続くんだ? ――いや、いつまで、続けるつもりだ?」
楢崎と市川が話しているのが、途切れ途切れではあったが、耳に入ってきていた。
市川がおれのエフェクターに細工をする機会は、おそらく何度でもあっただろう。いつだったのか、それを問い詰めても仕方がない。ことはもう起こってしまったのだ。そしておれは女ではなくなった。
市川を攻める気持ちは一切湧いて来ない。
それよりも今は、これから起こることへの期待感で頭がいっぱいになっている。
おれは生き返った。
そして、やはり、おれにはメタルしかないのだ。へヴィメタルをやることこそが、おれの存在理由なのだ。
だから、女であろうと男であろうと、そんなことは些細なことなのだ。
結局はへヴィメタル以外、おれにとっては、どうでもいいことなのだ。
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