第32話 2004年 ~ヘヴィメタルを降らせたのは神ではない…… -6

 三度目のチャイムで、わたしは重い腰を上げ、まずはエフェクターのフットスイッチを切り、ギターをスタンドに置いた。

 ドアを開けると、楢崎が立っていた。

 ジーンズに白いTシャツという、珍しくラフな服装だった。

「あれ? なにしに来たんですか?」

 そういえばさっき何かそんな話があったようななかったような、とわたしが思考をうろつかせている間に、

「何しにって――」と、あきれたように呟いた楢崎は、それでもわたしに招き入れられるまま室内に入ってきた。

 どかりとソファに腰を下ろしたわたしの正面、地べたに座り込んだ楢崎は、すぐに話し始める。

「今年の九月から、京津大学に行くことになった」

 探るような視線をこちらに向けてくるが、わたしからすると、所属大学が変わったところでそれほどの影響はない。そうなの、とそっけなく答えると、ほっとした様子のなかに、どこか苦笑を交えた曖昧な表情で、さらに話を続ける。

「実は、自分の研究の合間にヘヴィメタル症候群の研究もしていてね。まあ研究っていっても、研究室で認められているわけじゃないから趣味の延長でしかないけど、ヨーロッパの学会にいったときには情報収集したりとか……」

「ああ、それであの音源に行きついたんですね」

 先日聴かせてもらった、金属の雨の音源だ。あのMDは今、押入れのメタルCDのなかに埋もれている。

「京津大学のある研究室では、ちゃんとした研究課題として、ヘヴィメタルを題材にしている先生がいるんだよ」

「へえ。よく認められていますね」

「ああ」と、楢崎の言葉には次第に熱がこもってくる。

 その反面、わたしの酔いは少しずつ冷めていく。

「そこは音響を専門にしている研究室なんで、まあ大手家電メーカーとのつながりもあって、比較的研究費には恵まれているらしい。それでまあそういったところにも……言い方が悪いかもしれないが、流用が可能なんだそうだ」


 すでに〈マーシフル・フェイト〉は一回りして終わっていた。わたしは手近にあったCDを手に取り、オーディオにセットする。すぐに、何度も聴いたギターのリフが始まる。〈レインボー〉の『キル・ザ・キング』だ。

「――その手元のメモは?」

 曲が始まってすぐ、楢崎がわたしの手元を指さしてきた。

 なんのことかすぐにはわからなかったけれど、その指差す先に視線を落として気づいた。『雲から吊り下げられた へヴィメタル崇拝者の群れ……』で始まる歌詞が、そこにはつづられている。先ほどの空想の中で見えた情景を、いつの間にかメモに残していたらしい。無意識のことだったけれど、わたしにとっては僥倖だった。

「なるほど……前半と後半で、明らかに雰囲気が違うね。曲調も変えるの?」

「あ、そうですね……」

 前半、まずは重く沈んだゆっくりとしたリズムの上に、マイナー調のメロディが奏でられ、『……押し寄せてくるのはブラストビート』のくだりで、一気に加速したリフを挿入。あとは雄々しく打ち鳴らされるシンバルと硬質なバスドラムの連打に乗って、ハイトーンのボーカルが疾走する――。

 そんな曲のイメージが一気に浮かんできた。

「ちょうどさっき流れてた『キル・ザ・キング』にも似たような感じになるのかな?」

 でも、とさらに言葉を続けようとする楢崎を制して、

「『帰ってきたメタルエリート』……これですね」といった。

 なぜか脳裏に浮かんできたのだ。あまり吟味せずに発言したが、それにしてはいいネーミングではないか、と感じられる。

『帰ってきたメタルエリート』

 ほどよくダサいけれど、わざとらしさは控えめで、どこかシュールな匂いもする。

「今、オリジナル曲って何曲作る予定?」

「『シルバーメタル』、『デスボイス・フロムザ・ロウスカイ』と……もし、今の『帰ってきたメタルエリート』をやるんなら三曲ですね……ああ、でもほかのメンバーもそれぞれ新曲を作っているといってたんで、多分近いうちにあと二、三曲はできるかな」

「そうか。じゃあ、近いうちにアルバムが完成するんだね」

「アルバム……」

 考えてはいなかったが、そういうことになるのだろう。

「君たちが何のためらいもなくメタルアルバムを作るためにも、私はヘヴィメタル症候群のなぞを解いてみせるよ」

「ああ、そうですね。そのために京津大学に行くんでしたね」

 そのことを伝えるために、今日ここに来たのだ。ともすれば、そのことを忘れそうになる。

 このあと、翌日が仕事だということで、わたしの家には泊まることなく楢崎は帰っていった。

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