第30話 2004年 ~ヘヴィメタルを降らせたのは神ではない…… -4
「昼間の続きだけど、もう一つお土産があるんだ」
そしてとりだしたのは、MDウォークマンだ。
「もとはカセットテープの音だから、音質は悪いと思うけど……まあちょっと聴いてみてよ」
勧められるままイヤホンを耳にはめると、まず激しいノイズ音が脳に届いてきた。
「なに……これ?」
楢崎は答えない。ただ笑顔でこちらを見つめている。
わたしは、目を閉じ、耳から入ってくる音の奔流に集中した。
ノイズに混ざって、唐突にどかん、と破砕音が響いては消える。
――雷だ、となんとなくわかった。すると、今までノイズにしか聞こえていなかった音が、だんだんその輪郭を現してくる。雨の音だ。普通の雨に混ざって、ときおり鈍い音が響いてくる。――金属の雨『ヘヴィメタル』が降っている音だ。
一度目を開けて、楢崎を見つめる。
「楢崎さん……これって……」
「そう。その当時の雨の録音テープさ」
さらりと返してくるが、そんなことよりも――。
「どうやって手に入れたの?」
「偶然出張先の研究室にもメタル愛好者がいてね。その人と話していると、このテープの話になったんだよ。ただダビングするだけならタダだから、っていってくれたから、もらってきたんだよ」
わたしはイヤホンを耳から外す。
「でもこれって……音をきいちゃったらアレじゃないかな?」
こちらの意図を理解したらしい楢崎は笑いながら、
「それは大丈夫だよ。私だって何度も聞いているし、なによりその元テープを持っていたやつだって聞いているし、それに、この音源自体はヨーロッパでは何人も持っている人はいるんだ。でも、これを聴いてヘヴィメタル症候群を発症したなんて話はない」
そう断言されると、わたしとしては納得するしかない。
もう一度イヤホンを装着し直し、目を閉じて、流れてくる音に耳を澄ませる。
地面を打ち付ける雨音が、不自然なほど硬くとがった鈍い音色だ。ツインペダルのバスドラムというよりも、張りつめたスネアドラムを打ち鳴らす音に近い。
わたしは、その音の世界の奥へ、奥へと入っていく。
いつしか、まぶたの裏に薄暗い路地裏が浮かんできていた。金属の雨『ヘヴィメタル』に打ち付けられてぼろぼろの廃墟と化した住宅、そして雷鳴が鳴り響く街には悲鳴と阿鼻叫喚が満ち、裸の住民達が踊り狂っている。
じっさいの状況がどうだったのかは知らない。それでも、耳からの情報が、問答無用にわたしの想像力を刺激して、次から次に映像を生み出していく。少しボリュームを上げると、それは、鮮明さを増していき、よりリアルに、より色を伴って迫ってきた。
さらに奥へ奥へ……。空想の中で、当日の当地へ身を躍らせていく。
手でつかめそうなほどの低く垂れこめた空から、容赦なく降り注ぐ、雨。そしてひっきりなしに稲光が網膜に映り込み、雷鳴と共に地響きが起こる。
鼓動が高鳴ってくるのが、わかった。
ここは大阪のバーだ、ということは頭では理解しているけれど、それも次第に片隅の方に追いやられていく。わたしのなかでは驚くほどの信ぴょう性を伴って、自分は今、東ヨーロッパの片田舎にいるのだ、という認識が膨らんできていた。
バックのノイズに混ざって〈カオス〉のデスボイスが、世界を包みこんできていた。低く黒い雲に立って逆さ釣り状態になった〈カオス〉のメンバーが、髪を振り乱しながら演奏している。イエテボリでヘヴィメタル症候群を起こしたあのライブを再現しているのだ、となぜだか感じられた。深いデスボイスが、漆黒に彩られた町に浸みこんでいく。
裸の人々が口を開くと全て、デスボイスが吐きだされ、そのノイズが形を伴ってくる。それは人のシルエットであり、また、女性の乳房であったり、男性の性器であったりした。口々に吐き出されてくるそれらは、混然一体となって低い空へ渦を巻きながら昇っていき、それは〈カオス〉のボーカルの口の中へ吸い込まれていく。吸収するごとに体を悶えるそのボーカルは、ある臨界点を超えて、一気にはじけ飛んだ。
その後に訪れたのは、静寂だった。
ふらふら、と銀色に輝く鱗片が空から舞い降りてくる。
いつの間にか全裸になっていたわたしが、両手をかざしてその鱗片を手のなかにおさめた瞬間、全身に震えがはしった。言い知れぬ不安感と、そして恐ろしいほどの快感だ。
「――大丈夫か!?」
声が、どこかから、聞こえてくる。
快感に支配されたわたしは、その声にこたえることができない。
「――おい!」
空間を破って、声が耳に届いてくる。
わたしは目を開けた。
楢崎が、目の前に迫っていた。
「う……ん? なに?」
「大丈夫か? 急に机に突っ伏したと思ったら、息が荒くなっていったから……」
「ああ……大丈夫……です」
ここは大阪のバーだ。
現実に戻ったわたしは、周囲を見回す。
ぽつぽつと、カップルらしき客がいるが、みな自分たちの世界に入り込んでいるようで、こちらの様子には頓着していないようだ。
「今、幻覚を見ました」
そういうと、一瞬だけ戸惑いの表情を見せた楢崎は、
「どんな?」と返してきた。
しかし、わたしはそれを楢崎に説明する気にはなれなかった。それよりも、今の光景をなんとかして残しておきたいという衝動が起こった。
「ちょっと、ペンと紙……ありませんか……今、わたしなんか作れそうな気がする」
楢崎から受け取ったメモ帳を開いて、ボールペンを握ったわたしは、ただ気持ちの赴くまま、今の情景を書き留めていく。
『 稲光が網膜に焼き付き
雷鳴が地面を揺らす
老若男女が踊りだし
吠えながら駆けていく
デス声が町に浸みこみ
穴だらけの町が満たされる
全裸の住人が口から吐き出すのは
デス声の残骸
ヘヴィメタルを降らせたのは神ではない
ヘヴィメタルは人々の呪詛と怨念
ヘヴィメタルはカオスに引きこまれ
薄く引き伸ばされて世界に散っていった 』
一度ペンを置き、すぐ横にあったウィスキーのグラスを持ち上げる。手が震えているのがわかったが、気にせずに一気に開けた。喉が焼けつく。ぐらり、と視界が揺れる。
目を閉じて、ともすれば消えそうになる情景を必死でつなぎとめながら、わたしはペンを取る。
『 世界を包みこむデス声を
宙吊りの男たちが振り撒く
重い空から硬質の金属が
ゆっくりと舞い降りてくる
静寂のなかでひらひらひらと
ただ音もなくひらひらと
鱗片に手を出してはいけない
彼らの世界へ引き込まれる
ヘヴィメタルを降らせたのは神ではない
ヘヴィメタルは人々の呪詛と怨念
ヘヴィメタルはカオスに引きこまれ
薄く引き伸ばされて世界に散っていった 』
気が付いたときには、バーには誰もいなくなっていた。
わたしは、さらに追加されていたウィスキーを、もう一度、一気に開けた。
「もう一時だね」
終電の時間はとっくに過ぎていたけれど、わたしにとってはどうでもいいことだった。それよりも、今はただこの次々に這い上がってくる衝動を何かにぶつけなければおさまらなかったのだ。
「それで、その曲の名前は?」
メモ帳をのぞき見ながら、楢崎がいった。
「この……曲? ああ――」
自分は、曲の歌詞を書いていたのだ。
驚くことに、そのことすら認識していなかった。ただただ、書きたいことを書きたいように書いた。それだけだった。
「デス声が……空から降ってきて……それで……」
わたしがしどろもどろになっていると、
「――デスボイス・フロムザ・ロウスカイ」
と、楢崎が助け船を出してきた。
「ああ、それでいいかな」
それからもう一杯ずつ、二人ともウイスキーをダブルで注文してすぐに飲み干して、店を出た。
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