第6話 2015年 ~ヘヴィメタルのためなら…… -6
「改めまして、榛原胡桃です。よろしくお願いします」
「くるみちゃん、でいいのかな?」
「あ、はい。あの、くるみ、でいいです」
少し切れ長の目をしばたたかせながら、榛原胡桃がぺこぺこと頭を下げる。とりあえずは仕方がないが、いつまでも気を使われるのもやりにくい。
スタジオ練習のあと、榛原瑠奈の提案で近くのファミレスに入り晩御飯を食べて帰ることになった。一人暮らしのおれは問題ないが、榛原家はどうなのだろう、と少し気になったが訊きそびれた。
「ああ、おれも自己紹介忘れてたな。水瀬春紀だ」
「水瀬、さん?」
「ああ、水瀬さんでも、春紀さんでも――ハルキって呼び捨てにしてもらってもいいけどな」
「じゃあ、ハルキ、って呼ばせてもらいましょうか?」
フフフ、と口に手を当てて笑った榛原胡桃は、すぐに、
「あ、冗談です、すいません、調子にのりました」
とまたぺこりと頭を下げた。
ドリアとパスタ、サラダとポテトフライが揃ったところで、乾杯になる。おれと瑠奈は当然のようにビールを頼んでいたが、胡桃はドリンクバーのジンジャエールだ。
「未成年ですから」
という胡桃に、瑠奈が、
「ま、そういうことにしておきましょうか」
と反応したところから想像すると、家では胡桃も少しぐらいアルコール飲料を飲むのかもしれない。
「水瀬さん、ドラム、うまいじゃないですか……ほんとにしばらくやってなかったんですか?」
「少なくとも、就職してからは一度も」
「ふうん」
納得いかなそうな表情で、ポテトフライを一切れ口に掘り込んでビールで流し込んだ瑠奈は、
「じゃあ、昔はけっこう本格的にやってたんですね。例えば……そう、実はインディーズとしてデビューしてCDを出していたりとか――」
ひやり、と背中に汗が伝う。が、なんとか、
「そんなワケないでしょ」と、否定して、ビールのジョッキに手を伸ばす。
「それで、次からはどんな曲をやっていくつもり? あんまり小難しいのは勘弁してほしいけど」
とりあえず話題を変えるべく、姉妹に伺いをたてる。どのみち確認の必要はある話題だ。
あたりさわりのない内容だと思ったのだが、意外なことにまずは胡桃が、パスタに伸ばしていたフォークを止めてそっとひっこめる仕草をした。そのまま、姉のほうへ視線を向けた。
一方、瑠奈のほうは、そんな胡桃を一瞥もせず、ことん、とジョッキをその場に置いた。
「あと一人、メンバーがいるって、いいましたっけ?」
「あれ? ……ああ、そういえば」
確か、おれを除いて三人でやっていると聞いたような気がする。
「じゃあ、選曲はその残りの一人が来てからにするかい? で……その一人って男? それとも、女?」
「男ですよ」
瑠奈がいう。おれはほっと胸をなでおろす。あまり考えていなかったが、男一人というのもやりにくい。
「多分……ですけど」
なぜかそう付け加えた瑠奈に、首をかしげて返すと、
「確認したことはないですから、なんとなくそうかな、という想像しかできませんけど」
「なんとなくって……なにもそんな難しい判断はいらないだろ。そもそも名前でわかるんじゃないか?」
「名前は、ユグドラシル、です」
今度は胡桃が、なぜかどうだ、といわんばかりに胸を張って口にする。
「ゆ、ゆぐどら……? なんだって?」
「ユグドラシル、ですよ」
さらりといって、またぐびぐびとビールを飲み干して、店員におかわりを頼んだ瑠奈は、
「私たちも、本名は知りません。ネットでつながった仲間ですから。だから、ユグドラシルという名前以外、年齢も経歴もなにも知りません。……ユグドラシルっていうのは、どうも、北欧神話に登場する架空の木の名前らしいですけど」
「ああ、思い出した。『世界樹』のことだろ。なにかのゲームで出てきたな」
それでも、自分の名前として平気で口にできるのは、どうにも一筋縄でいく人物ではなさそうだ。どこかそこはかとなく暗鬱な空気が、心の中に淀んでくる。と、その雰囲気を感じとったのか、大丈夫ですよ、と小さくつぶやいた胡桃が、
「ラシルは別に普通に付き合えますから」
「ラシル?」
「ああ、すいません。わたしがそう呼んでいるんです。ユグドラシル、の最後をとって、ラシル……いい名前でしょ?」
そういって、なにがおかしいのか口元に手をそえてフフフ、と笑う胡桃も、少し変わっているのかもしれない。
それとも、これが世代の差というやつだろうか。
おれは愛想笑いを返して、瑠奈に目を戻した。
「まあ、というわけで」と瑠奈は少し充血が見られる目をしばたたかせてから、
「選曲の話は、次回ラシルが来たときにすることとして、まずはバンド間の親睦を深めましょう!」
金曜日の会社帰り、ファミリーレストランで、夜九時半。
スーツの男女と、セーラー服の女子高生が一人。隣に置いている楽器がなければいったいどういう関係に見えるだろうか。
「そういえば、もうこんな時間だけど大丈夫?」
携帯電話のディスプレイを見せるが、その時間にも姉妹は特に反応を示さない。
「大丈夫ですよ。私たち今、二人暮らしなので」
胡桃がいう。
「父は今、東京の方に単身赴任」
その言葉を、瑠奈がひきとって、
「母はだいぶ前に出て行っちゃいました。別に、男を作ってね」
さらり、といった。
「そうか」
どういえばいいのかわからなかったが、
「じゃあ、大丈夫なんだな」とだけいっておく。それ以上の言葉は不要だ。あくまでも、この三人はただのバンドメンバーだ。
この日は結局、当たり障りのない話題を交わしているうちに十一時を過ぎ、お開きとなった。ビールを三杯飲んだおれに対して、瑠奈は五杯。
「次は私に負けないように」
と、うろんげな目で指を突きつけ、榛原瑠奈はそのまま去っていく。ぺこり、と小さい会釈だけを残して胡桃も、姉の背中を追っていく。
会社の最寄りから二駅先、駅から歩いて五分の距離にあるマンションの一DKが、おれの部屋だ。ここに移ってきてからもうすぐ三年になるが、いまだに誰も呼んだことはない。読みかけの本、たまに聴くCD、脱いだままのトレーナーなどが乱雑に積みあがったその部屋の真ん中に一つ、ブロック状のソファを置いて、そこに身を横たえる。そして、音楽を聴きながら焼酎を飲むのが、仕事から帰ってからの日課だ。
いつのまにそうなったのかはわからない。
あの日――。
へヴィメタル症候群が、発生した、あの日が、ターニングポイントだったことは間違いない。
目を閉じる。
ぐらり、と体が揺れる。
アルコールで、三半規管がマヒしているのだろう。
このまま寝てしまうかどうか、まどろみの中で考える。寝てしまっても問題はない。しかし、それではなんのために酔っているのかもわからない。
ふと、数時間前のスタジオ練習のことが脳裏に蘇ってくる。
変わっているということで敬遠する人が多い中、一部の男性社員からはひそかに人気のあった瑠奈に誘われたことに、羨望やら妬みの視線を浴びた。ただでさえそんな状況なのに、行った先に、さらに高校生の女の子がいた、などと言おうものならどうなるかわからない。このことはとりあえず黙っているに限る。
まどろみの中、おれはギターを弾いていた。
ドラムには、あいつが、座っている。
当然、ツインペダルがセットされており、バスドラムの連打がベースラインとあいまって海となり空間を包みこみ、心と体を支配する。
ギターの音色が、その海を切り裂く。びりびりとした異様な刺激が脳裏で火花を散らす。
そうだ、この火花を、すぐ最近も感じたのだ。
すぐに、それが胡桃のギターを聞いたときだったと思い当たる。思い出せないあのフレーズも含めて、胡桃のギターは『へヴィメタル』を継承しているのではないだろうか?
ふと、うすら寒くなるような、それでいてどこか期待しているような、自分でもなにがなんだかわからない感覚に襲われる――。
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