第7話 2015年 ~ヘヴィメタルのためなら…… -7

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 いつになく長い打ち合わせから戻ってきた水瀬春紀の表情からは、感情は読み取れなかった。ちらちらと覗き見ていた瑠奈の元にやってきた水瀬に呼ばれ、今まで彼がいた会議室に向かう。

 上司の姿はすでになく、薄暗い室内は水瀬と瑠奈の二人だ。

 会議室用のパソコンに接続されたプロジェクターから、パワーポイントの資料が映し出されている。


「さっそくだけど、大学との共同開発のプロジェクトが決まったから。前から話には出ていたあの小阪大学との件」

 水瀬春紀が切りだす。

 微笑を浮かべているように感じられるが、目は笑っていない。よく見ると口も頬も笑っていない。ではなぜ、微笑しているように見えるのかは、瑠奈自身にもよくわからない。おそらく全体的な柔和な雰囲気が、そう思わせるのだろうと推測するしかない。


「それじゃあ、やっぱり例の知り合いがいる研究室ですか?」

「そう。……残念ながら、ね。しかも担当もその知り合いになりそうだな」

 この件に関しては、その研究室に知り合いがいる、ということも含めて、なんとなく以前から耳にしていた。

 残念ながら、ということばが冗談なのか、それとも本当に嫌がっているのか……それは、また近いうちに訊いてみよう。瑠奈はそう考え、いったんは仕事に集中する。


「じゃあ、内容説明をお願いします」

 その後資料でプロジェクトの概要が説明され、大学の初回訪問日程もすでに決定していると聞かされた。

 瑠奈たちの会社は、金属の原材料を加工して、様々な部品として電気機器や自動車のメーカーに販売している。その中で彼女らが所属しているのは、最も基礎的な技術の開発を担当する部門だ。加工の技術に加え、最近ではもっと上流にさかのぼって材料自体の研究にも着手することになったらしい。その流れの一環として、大学との共同開発の案件が浮上してきた。


 具体的な研究室名が挙がってきたのはつい最近、それこそ瑠奈がこの部門に移ってきたあとのことになるが、そのときの水瀬春紀の顔が忘れられない。

 それは単純な嫌悪感ではない、どこか複雑な思いを含んでいるように見えた。苦いものを噛んでしまったような、しかしそれをすぐに吐きだしてしまうのもはばかられて、ずっと噛み続けている――そんな感じだ。

 所属の大学に舞い戻るのは、一体どんな気分なのだろう。

 一度そのことを訊ねた際には、

「そういっても、おれは大学院は別のところに行ってるからね。出身大学といっても、もう全く無関係だな」

 そういって笑っていたのだが、今考えるとそれならおかしい気がする。何も意識する必要はないのなら、あんな表情にはならないはずだ。となると――。

 わだかまっているのは、その研究室にいるという知り合いその人自身、ということになる。そう。そうに違いない。非常に論理的な帰結だ。そうなると――。


 瑠奈はさらに、思いを巡らせる。空想を膨らませ、水瀬春紀という人物を夢想してみる。『ブラックアルバムを出した頃のメタリカみたいですね』という発言に反応した水瀬春紀。普段は寡黙で年齢不詳。すっきりと通った目鼻立ちは、かつては(ひょっとすると今も……)女性にもてていたことが想像できる。しかし、当の本人にはそれほど興味がないのだ。なぜなら――。ここまで思考を進めて、思わず瑠奈はにやりと笑んでしまう。


 なぜなら彼は、ヘヴィメタル愛好者だから。


 ヘヴィメタルをこよなく愛する彼は、色恋沙汰にかまけることなく、ヘヴィメタルにまい進していたに違いない。そうだ。そうに違いない。

ハッと気づく。また想像が行き過ぎた。

 そうして勝手に思い込んだ挙句に、まったくの偽物をつかまされたことが、今まで何度あっただろうか。こちらから声をかけた手前なかなか邪険にもできずにずるずると愛想笑いを振りまいていると、なにを誤解したのかすぐに恋人気分になって馴れ馴れしくなってくる。そんなことが、今まで何度繰り返されたことか。

 しかし、今回は違う。なぜだか瑠奈はそう確信している。その証拠に、こちらから積極的に攻めても、彼の方からはまったくそんなそぶりは無いではないか。メタル愛好者はやすやすと世間の常識にとらわれたりはしない。もっと神聖で、重厚なのだ。それがヘヴィメタルだ。


 会議室での一通りの説明を受けたその日の仕事後、しばらくオフィスに残って調べ物をしていると、珍しく水瀬の方から瑠奈に話しかけてきた。


「まあ、大学の知り合いには事前にちょっと連絡を取ってみるよ」

「ああ、そうですか?」

 瑠奈は首をかしげる。

「でも、そこまでしなくても、別に当日でも構いませんけど」

 そうだね、といいながらもゆるく微笑んだ水瀬春紀は、いった。

「ただ……そうだな……なんせ久しぶりだからな。そいつとは」

「久しぶり? どのぐらいになるんですか」

「どのぐらいだろう。なにせ、大学を出てから、一度も連絡を取っていないから……」

 最後の方はごにょごにょと、独り言のような囁き声だったが、それでも瑠奈の耳にははっきりと聞こえてきた。


 大学を出てから、ということは、もう十年以上話していない、とそういうこと?

 ますます、頭のなかにハテナが浮かんでくる。

 そこまで疎遠にしているような人なら、もとからそれほどの関係性ではなかったのではないだろうか。それこそ、お互いに顔は分かる、という程度で。それならば別段、気にするようなものでもないはずだ。


 しかし逆に、親密な関係があった、という可能性もある。何らかの理由で連絡が取り辛くなってそのままうやむやになってしまった、という関係性。そう、それはありえない例えではあるが、元恋人だ、とか、そういった関係性。そうであれば、事前の連絡が必要だろう。そうであれば、今までの彼の複雑な表情はわかる。

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