第37話 2015年 ~春紀君に聞いていないのなら……-4

 急行電車から普通電車に乗り換えて、ようやく目的の駅に到着した。駅前には複合ショッピング施設が一つあるだけで、道中は住宅街が続く。歩いて十分ほどでユグドラシルの待つライブハウスに到着した。そのときにはまだ、入り口には人だかりが出来ていた。


「早かったね」

 野次馬からは少し距離を置いて、ユグドラシルが立っていた。その隣には黒いシャツとパンツに身を包んだ中年の男が、こちらを向いて立っていた。

「今日は機材関連の話をするために、このライブハウスのオーナーである彼に会いに来ていたんだけど、そこでまた、見ての通りの惨状だね」

 すでに開き直っているのか、それとも今回は知り合いが巻き込まれていないことからの余裕なのか、ユグドラシルは乾いた笑い声を上げる。


「君が、榛原瑠奈さんだね」

「ええ」男に向かって、瑠奈は答える。

「名前だけは、いつも彼から聞いているからね」

「そうですか……よろしくお願いします」

 この場合、相手にも自己紹介を求めるのが礼儀なのだろうか。

 瑠奈は少し考えてみるが、やめておくことにした。

「それで」と、ユグドラシルに向き直る。

「今はどういう状況?」

「今?」ユグドラシルは髪をかき上げながら、

「さっき警察の人も帰って行ってね。もう中は落ち着いているよ」

「念のため、中を見ておきたいんだけど……大丈夫ですか?」

「ん? ああ。好きにしてくれていい」

 男はいうと、視線を外してポケットから煙草を取りだす。

 瑠奈はその煙草に火が付く前に、男に背を向けて入り口に向かった。


 中は『スティール・ボックス』に比べると少し小さめのフロアで、白を基調にした明るめの装飾がほどこされていた。ギターアンプはマーシャルではなく、ジャズコーラスが据え付けで置かれている。


「今日も、アレが起こった時にはメタルバンドが演奏をしていたね」

「メタル……といっても、色々とあると思うけど、どんな系統?」

「ああ……多分君はあまり興味が無いタイプの、いわゆる新しいメタルだったね。色々なジャンルがミックスされている」

「ああ、なるほどね……」


 最近、そういったバンドが出てきているとは聞いたことがある。これはメタルではありません、といってしまえば、メタル禁止法逃れにはなるかもしれない。

「そのヘヴィメタル症候群が起こったときに演奏していたバンドとは、面識はあるの?」

「いや、僕はないな……どっちかっていうと、あのオッサンに聞いた方がいいんじゃないか?」

「オッサン?」

「ああ、オッサンってのは、さっき外で喋ってたオーナーのこと。今日ヘヴィメタル症候群が起こったときの演奏バンドは、このライブハウスの常連だったらしいからな。普段から何かと関わりがあるって聞いたけどな」

「そう……機材関係で話に来てたっていうことは……ひょっとして、あの人がいつもいってた246なの?」

「違う違う。246もオッサンだけど、あんなにオッサンじゃないし」

「微妙ねえ。まあいいけど……そういえば、機材を調達するってことは、またバンドを始めるつもり?」

「うん?」

 ユグドラシルは、少し首を傾けてから、

「いや、別に」

「え? なら、どうして?」

「だって」とユグドラシルは、さも当然のように、

「バンドをやるやらないにかかわらず、常に新しい機材はチェックしときたいんだよ。大阪で新しい機材の入手といえば、246か、ここのオッサンか、っていわれてるだろ?」

「いや、知らないけど……」

 瑠奈が苦笑するのには構わず、うん、と自分の言葉に納得するように頷いたユグドラシルは、

「ネットの世界では常識だよ」という。

「すいませんね。デジタル音痴で」

 瑠奈が口をとがらすと、あわてた様子で、

「と、そういう意味でいったんじゃないんだ……そうそう」

 と、話題を変えてくる。

「このこと、ハルキさんは知っているのかい?」

「いえ、水瀬さんは今、仕事中なので……」

「じゃあ、今晩どこかで、もしよければ榛原家ででも、皆で話が出来ないかな。胡桃ちゃんも含めて今日のことを共有しておきたいし、それにバンドの今後のこともあるし」

 集まったところで、バンドの今後のことなどなにか進展するだろうか?

 そのことには疑問はあるものの、話をしなければならないことは間違いない。

『水瀬春樹に聞いていないのなら、これ以上は言えない』

 楢崎教授はそういったのだ。

 そう。鍵は水瀬春紀が握っている。

「じゃあ、今日の夜七時頃、私の家で」

「え? ハルキさんはいいの?」

「大丈夫。というか、這ってでも来てもらう」

「這ってでもって……」

 事ここに至った以上、彼には全てをさらけ出して協力してもらうしかない。

 それが、水瀬春紀の使命だ。

 瑠奈はそう思う。

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