第18話 2001年 ~モラトリアムと呼ぶなら…… -4

  3


 四月十四日は、わたしの誕生日だった。

 楢崎と会う約束をしていたわたしは、夕方に大阪まで赴いた。

 待ち合わせ場所に着くと、彼の方が先に来て待っていた。


「すいません。遅かったですか?」

「いや、ジャストだよ」

 背中にはギターケースを抱え、手には大きめの荷物を抱えた楢崎が、先導して歩きだした。わたしはその隣について歩く。


「ひょっとして、昼間にどこかで演奏でもしてきたんですか?」

「ああ、このギターのこと?」

「はい……そういえば、楢崎さんってギターパートだったんでしたっけ?」


 すでにバンドはやめている、とはいっていたけれど、軽音部に所属していたからにはなにかパートを持っていたはずだ。うかつにもわたしは、彼の楽器を思い出せなかった。ひょっとすると、そもそも訊いてもいなかったのかもしれない。


「ギターもだけど、まあ色々とやっていたけどね」

「へえ、すごいですね。いろんなことができるなんて」

「いやいや、全部中途半端なだけだよ……むしろ、君みたいにこれだけは誰にも負けないというものがあるというのは、うらやましいよ」

「誰にも負けないだなんてそんな……たいしたことはないですけど」

 いいながらも、ほめられてまんざらでもなかったわたしは、なぜか思わず楢崎の手を取ってしまった。それは別に意味はなく、ただなんとなくの行動だった。すぐにはっとして引っこめようとした手を、逆に楢崎のほうから握ってきて、わたしはされるがまま流れに任せることにした。ただ相手の手の形に自分の手を沿わせるように、ほんの軽くだけ、力を込めておく。


 連れられていった高層ビルの上階のお洒落なレストランで食事を終えて、今度は駅近くのビルの地下にあるバーで飲み直していると、楢崎のほうから、誕生日のプレゼントがある、とおもむろにいってきた。


「そんな、悪いですよ……」

 そういったものの、本心では期待していた。思い返せば、誕生日のプレゼントを男性からもらうことも、このときが初めてだった。

 立ち上がり、背後の荷物に手をかけた楢崎は、ギターケースを開け、そのまま中のギターを取りだして全体が見えるようにわたしの目の前に掲げてみせた。


「――あ、これって」

「そう……君がほしいといっていたギターだよ」

 漆黒のボディはシャープに刈り込まれた形状で、その薄い指板から伸びるヘッドも、先端が尖る形の、ずっとわたしがあこがれていたギターだ。

「それと」

 いいながら、さらに鞄から手のひらサイズの金属の筐体を取りだす。

「このエフェクターは、このギターに合うように私が自作した物なんだけど、一緒にもらってほしいんだ。使うか使わないかは、音を聞いてから決めてくれたらいいけどね」

 そのまま押し付けるように手渡してくる楢崎に流されかけて、なんとか理性を働かせたわたしは、一度それらを丁重に固辞して、

「駄目ですよ。こんな高価な物……受け取れませんよ……」

 目の前のギターは、わたしがずっとほしいといっていたものだ。それを覚えていてくれたのだろう。ただ、それでも手に入れていなかった理由は、ひとえに金額の問題だ。今まで見た中で一番安い店でも二十万円台後半はしたはずだ。


「いやなに、私の知り合いに楽器屋やってるやつがいてね。それで安くしてもらったんだよ。そうだな……半額ぐらいには値切ったかな」

「それでも……」

 半額、とはいっているが、実際はそんなには安くなっていないだろう。少なくとも二十万円ぐらいは拠出しているはずだ。自作のエフェクターにどのぐらいかかっているのかはわからないけれど、いずれにしても軽くもらえるような額ではない。


「そうか……困ったな。もう私は弾かないからね……君にももらってもらえないとすると、またこれはどこかに売りに行かないといけないね……」

「え? ああ……」

 じゃあ、いただきます――と、そう喉から出かけてはいやいや待て待て、と押しとどめるという自分の中での葛藤に結論が付くより前に、


「じゃあ、こうしよう」

 と、先に口火を切った楢崎が、わたしが口を挟む間も与えずに、いった。

「これを君にあげる代わりに、これを君が弾いているところを、一番に私に見せてほしい。――そう、今すぐにでも。それでチャラってことでどうだろうか?」


 後から考えると滅茶苦茶な理屈だった。

 なにもチャラになっていないどころか、これから君の家に行きたい、といっているに等しいセリフだ。

 そこまで理解したうえで、わたしは首肯した。

「それはいい案ですね。それならもう今日帰ったらさっそく弾いてみたいので……その、今から、うちに来ませんか?」

 一瞬、戸惑ったような意外そうな表情をした楢崎はすぐに破顔し、いった。

「オーケー、じゃあ、そこまではわたしがこのギターを持っていくよ」


 この晩わたしは、自然な流れで楢崎と体を合わせることになった。

そして正式に恋人として付き合うことになる。


 後日、キャンパス内でたまたま見かけた市川を呼び止め、その旨を伝えた。

すると、おめでとう、よかったね、とだけ答えた市川は、さらりとした笑顔を見せ、そしてなにか用事があるのか、そのまますぐに背を向けて去っていった。

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