第19話 2001年 ~モラトリアムと呼ぶなら…… -5
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〈キング・オブ・メタル〉は順調だった。個々の演奏技術は日を追うごとに着実に向上が見られたし、バンドとしての一体感も増してきているのが、実感できていた。
わたし個人のことでは、髪を銀に染めはじめたのも、この頃だ。それまではずっと脱色することもなく黒髪で通してきたため、だいぶ思い切ったことだったのだけれど、それが我ながら驚いてしまうほど似合っていた。恋人である楢崎にも好評であったうえ、〈キング・オブ・メタル〉のライブを見に来てくれた人のなかには、『ギターの方、天上界から堕天使が舞い降りてきたのかと思うほど美しかったです』とまで書いてくれた人もいる。
誇張なのかなんなのか、そもそもほめられているのか小ばかにされているのかもわからなかったけれど、とにかくその姿が際立っていたことだけは間違いない。そして、メタルはその楽器の演奏と同じぐらい、インパクトが重要だと常々思っていたわたしにとっては、いずれにしても、それでよかった。
楢崎との交際も、順調だった。週に一回は会って近所を散歩したり、また、街に繰り出して楽器屋巡りをしたりCDショップで何時間も粘ったり、といった普通のカップルとは少し違うデートを楽しんだ。お互いに酒好きということもあり、夜は安くていい店を探して歩いた。ときには泊りがけで旅行に行ったりもしたが、そういったときには金銭的には全て楢崎に依存していた。
そもそも年齢もだいぶ上で、社会人と学生の違いもあり金銭的な部分に関しては仕方がない、という甘えの部分もあった。さらに、楢崎から告白してきたことに加え、この数カ月でいろいろな男から声をかけられたり、直球で付き合ってくれといわれたりしたことで、自分に自信が出てきた。多少金銭的に負担してもらっても、相手にとって十分に元が取れる女なのだろう、という自惚れに近い打算が働いていたことは否めない事実としてあった。
大学三回生の秋も暮れはじめ、周囲には就職のことを口にし始める人も出始めていたけれど、なんとなく大学に残ることを意識していたわたしは、まったく気にしていなかった。というより、働く、というフレーズが、どこか遠い世界の出来事のようにしか感じられなかった。ありえないことなのだけれど、今のこの生活がずっと続くような気がしていた。世間一般からすれば、ただのモラトリアムだ。なにも生み出さず、社会人としての個人的な能力開発もなされていない、形だけの学生生活。しかしわたしにとっては、それが人生の全てだった。酒とメタルに溺れる、今のモラトリアムこそが、唯一無二の価値ある生活だった。そこに男が加われば――。
かつての自分からは考えられなかったのだけれど、この頃のわたしは男とみると付き合ってみたらどうなるだろう、と想像してしまうようになっていた。日々の電話での会話のやりとり、休日の街でのデート。さらに夜の営みを想像しては悶々としてしまうこともあった。楢崎とは付き合い始めて半年以上が経過していた。とくに不満もなかったけれど、さしたる刺激もない、というのが本当のところだった。
そんな折、大学の軽音部のつながりで、複数のメタルバンドが出演するイベントに出てみないか、という誘いを受けた。出演予定のバンドが一つ、メンバー間のいざこざによって急きょ空中分解することになったとのことで、その代役だった。その関係で日程が一週間後と差し迫っていたのだけれど、もともと〈キング・オブ・メタル〉はいつでも人前で演奏ができる程度には仕上がっているバンドだったため、断る理由がなかった。
ライブのことは当然楢崎には伝えたのだけれど、たまたまその日は大事な会議のあと、教授陣を接待しなければならないということで見には来られない、といわれた。残念です、と伝えた反面、わたしのなかに、なにか少しいつもとは違うドキドキ感が芽生えていたことは、否定しようのない事実だった。
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