第1話 2015年 ~ヘヴィメタルのためなら…… -1
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実はオレ、隠れてメタルを聴いているんだ、と言い寄ってきた会社の先輩男性に、ほんの少しだけでも興味を持ってしまった自分が腹立たしい。それなら一度外で食事でも、と会社帰りに大衆居酒屋でくだらない仕事の愚痴を聞かされた上、付いて行ったバーで渡された携帯音楽プレイヤーから流れてくるのはただの大衆パンクバンドだった。
「なにこれ。メタルでも何でもない」
榛原瑠奈が思わずそう口にすると、
「あれ、いや、そんなはずはないんだけど……だってほら、こんなに激しいドラムで、ほらこのノリの良さ、それから――」
その後も見当違いなことを並べ立てるその先輩男性に、
「わかりました」と自分のグラスのウィスキーだけを飲み干して立ち上がる。と、先輩も立ち上がり、
「じゃあ、この後――」
「誤解しないでください」と、睨み付ける。
この際、先輩であろうとなんだろうと関係ない。
「わかった、というのは、あなたがへヴィメタルを全く知らない、ということがわかった、といったんです」
「だってそんな……いいじゃん、メタルじゃなくても」
開き直ったのか、そんなことをいいながら、こちらの肩にまわそうとしてきた手を払いのけた瑠奈は、
「帰ります。だいたい、なんだっていうんですか。メタルだっていうから来たんです。それがメタルじゃなくてもいいわけないじゃないですか。もう、まったく。いったい何を考えているんです。ほんとに、あーもう」
胸をかきむしりたくなるような衝動をすべて言葉にしてしまった。
後から考えるとさすがに会社の先輩に対してそれはないだろう、とわかるのだが、このときはどうしようもなかった。
会社の女性社員は全て非メタル愛好者だということがわかってしまった。仕方なくの妥協で男性社員でも構わないと思ってそれとなく訊いて回っていた結果がこれか、という落胆。そして、なぜみんなもっとメタルを聴かないのか、という怒りだ。法律で禁止されているとはいえ、こっそり聴いていたぐらいで捕まるなんてことはほとんどないのに。
昔から、周囲の人間がメタルの話をしないのは、ただただ周りにバレるのを恐れているのだろうと思っていた。あんなに素晴らしい音楽を好きにならない人間なんていないはずだ、という確固たる自信があった。
――みんな本当は好きなんでしょ?
と、高校のとき一度思い切って周りの女友達に聞いたことがある。
そのときの彼女たちのぽかんとした顔は忘れられない。そのときは瑠奈の冗談だということであっさり流されてしまったのだが、そんなことがあっても『本当はみんな、メタルが大好き』という信念は変わらなかった。
それが崩壊したのは、短大の軽音楽部に入ったときだ。
これからは大手を振ってメタルの話が出来る。そう思っていた。
「ヘヴィメタルなんて、ダサい。もう過去の音楽だし」
面と向かってそういわれたのが、入部して一カ月後のことだった。その子がそういったことよりも、周囲のだれもがその意見に同意しているらしいことの方が、瑠奈にとってはショックだった。
けっきょく、大学でも同志は見つからず、ただただ家でギターやベースを弾いては一人で悦に入っていた。
二十歳で就職してからも小さな可能性にかけていたのだが、見事に裏切られ続けている。
いや、一人だけ、まだ見込みがある人がいる――。
ある飲み会の席で一度、どんな話題だったのかは忘れてしまったが、
「それって、ブラックアルバムを出した頃のメタリカみたいですね」
という例え話をしてしまったところ、皆一瞬ぽかんとして、それでも飲みの席のこと、特に誰にも触れられることなく流され、そのまま別の話題へと入っていった。
この頃にはもう、その程度のことは慣れてしまっていた瑠奈は、またやってしまったという一瞬の後悔があっただけで、十代の頃ほどのダメージはない。
逆にこのとき、喧騒に包まれている周囲で若干一名、その空気には微妙に馴染まずに静かに居住まいを正している一人の先輩男性が、かすかな笑みを浮かべたのを、瑠奈は見逃さなかった。あの発言に対して笑うことができるのは、メタル愛好者以外にはありえない。彼はそうに違いない、と瑠奈は確信するに至る。
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