第22話 2015年 ~裸の魂で感じてください…… -2

 前を行く榛原胡桃は、両肩にスリットの入った黒いシャツに、白いホットパンツといった露出の多い服装で、いつもよりも大人びて見える。姉の瑠奈よりも身長が高く、シルエットだけだと、完全に大人の女だ。

 その胡桃が足を止め、横に並んできた。


「もうすぐですから」

「それっぽいね」

 見るからにB級ロックバンドのポスターやら、ライブイベントのお知らせが壁に貼られるようになってきていた。


「〈キング・オブ・メタル〉のあのアルバムで、ギター二人でハモリのメロディを弾くところがあると思うんですけど」

「ああ」と、おれは思い返し、

「『シルバーメタル』のイントロとか?」

「そうです、そうです。その部分」

 胡桃はこちらに近寄ってきて、

「あのフレーズを作ったのは、ハルキさんですか?」

「そうだな。おれといえば、おれだな」

 へえ、と胡桃はなぜかじっとこちらの目を見つめてくる。おれは逆にさっと視線をそらしてから、「それが?」と、訊き返す。


「どうやったらあんなに絶妙なハモリが出来るのか、わからないです。ギターの弾き方って人それぞれ違うじゃないですか。私も何回か、ツインギターで人と一緒にユニゾンやハモリをやったことがあるんです」

「譜面通り弾いたらいいだけなんだけど、やっぱりピタッと合わせるのって難しいな。それは分かる」

「でしょでしょ?」

 胡桃はなぜか嬉しそうに、話を続ける。

「だからこそ、あのアルバムの『シルバーメタル』はすごいな、と思いまして……あんなにお互いのギタープレイのことを分かりあっているバンドって他に知りません。もちろん、プロのアーティストも含めて」


 胡桃がなぜこのタイミングで、〈キング・オブ・メタル〉の話を出してきたのかは不明だった。あまり突っこまれても面倒なので、その意図を問いただすことはせず、曖昧に答えておいた。

 その空気を感じとったのか、胡桃のほうもすぐに口を閉ざした。


 五分ほど進むと、目の前に二階建ての建物が見えてきた。一階はコンビニになっていて、二階がライブハウスになっていることが、外からもうかがえた。


「あの二階が『スティール・ボックス』?」

 ほぼ確信をもってそう訊ねたのだが、意外にも、違います、と首を振った胡桃が、

「二階は別のライブハウスです。いわゆるJポップやら軽いロックが流されるような……あの建物には地下もあるんです」

「なるほど、その地下のライブハウスが『スティール・ボックス』ってわけね」

 これには胡桃も頷き、

「鋼鉄の床板と壁に囲まれ、後ろのカウンターにはビールとウイスキーの瓶が並ぶ、メタルの殿堂です」

 宣伝文句のように、そういって得意げに首をかしげる。


「……胡桃ちゃんは、なにかこの設立に携わっているのか?」

「いえ、無関係です……ただのメタルファンです」

 にこりと微笑む。屈託のない、純粋な笑顔だ。

 ふ、と昨夜の布団のなかで見たうるんだ瞳が脳裏をよぎる。

 反射的に、昨日、と声に出しかけたとき、

「あ、ラシル!」と、おれに背を向けて胡桃が駆けていく。


 その目的の建物の入り口に、ユグドラシルが立っていた。その周りには何人か、知らない男女がたむろしている。いずれも、胡桃と同年代か少し上ぐらいに見えた。当然、おれよりはずいぶんと若い。

 ひょっとすると、年齢的にひどく場違いな場所に来てしまったのではないか、と一抹の不安がよぎる。『スティール・ボックス』というライブハウス自体、若者たちがノリと勢いだけで作った代物なのではないか――。

『メタル・ボックス』をもじったような名前からして、今さらながらに不安がふつふつとわいてきた。


「こんにちは。ようこそ我が城へ」

 優雅に頭を下げるユグドラシルは、胸元の大きく開いた黒いTシャツに、ごてごてしたネックレス、さらにぴっちりとした黒いパンツといった服装で、明らかにメタルライブの臨戦態勢だ。

 一方で、Vネックにピンクのシャツ、ジーパンというカジュアル極まりない服装のおれは、周りの人間にはどう見えているのだろうか?


「こちら、友人の無邪気とピンク」

 ユグドラシルの隣には、彼らと同年代と思しき男女の姿があった。共に痩せ形で、同じようなぴたりとしたシャツと、フェイクレザーのような黒のパンツを履いている。

「ムジャキです。よろしく」

「ピンクです。どうも」


 二人は恐る恐るといった様子で頭を下げ、ちらちらとこちらを見ている。

おれが口を開く前に、

「彼は、わたしのバンドメンバーなんです」

 と胡桃が間に入る。

「それと彼は――」


〈キング・オブ・メタル〉のギタリストなんです。


 榛原胡桃は、きっとそう言いたいのだろう。

 ちらとこちらに向けてきた目が、なにかを訴えかけてくる。


「ときに、クルミちゃん」

 右、左、と順番に目線を動かしたユグドラシルが口を挟んできて、話題がうやむやになる。

「瑠奈さんはやはり来なかったんだね」

「え? ああ、お姉ちゃんね。お姉ちゃんはデスメタルには興味がないから」

「ホントに、それだけ?」

 なぜか胡桃に詰め寄るユグドラシル。

「ホントです。安心してください」

 何度も頷く胡桃。

 その様子を端で見ていた、ピンクと紹介されていた少女が、

「ラシル、瑠奈さん好きだもんね」

「あのお姉ちゃんが男と遊びに行くことなんてありえないから。それだけはこの胡桃ちゃんが保証しますよん」

 不敵に片側の唇だけを上げる仕草がコミカルだ。

 それらのやりとりにおれが思わず鼻で笑ってしまう。と、聞こえたのか、ユグドラシルがこちらに目を向け、

「ハルキさん」

「はい」

 その血走ったような白目に尻込みして思わず敬語で返してしまう。

 ぐい、とさらににじり寄ってきたユグドラシルは、

「というわけなので」人差し指を鼻先につきつけてきて、

「瑠奈さんには手を出さないように」


 唐突になにをいっているのか――。

 言葉が出ずにただ後ずさるおれの腕が、なにかにからめ捕られる。

 柔らかいものが、腕に当たる。

「大丈夫よん」

 絡み付いてきたのは、やはり胡桃だった。

「ハルキさんは、もうわたしがいただいちゃったもん」

 冷やりとするセリフだ。

「やるなあ、胡桃」と無邪気がいう。

「おめでとう」と、ピンクもおどけていう。

「はいはい、わかったわかった」

 ぱちぱち、と手を打ちながら、ユグドラシルも首を振る。

「ねー、ハルキさん?」

 腕にくっついたままこちらを見上げる胡桃の顔が目と鼻の先に迫ると、再度、昨夜の姿態がフラッシュバックしてきて、なにもいい返せなくなる。どこからどこまでが冗談で、なにが本気なのか――。まったくついていけない。昨夜のことはもう公然のことなのか? それとも今の会話とはまた別件なのか?


「あ――」

 ぱっとおれから離れた胡桃が、

「すいません。また、調子にのりました」

 丁重に両手を左右につけて頭を下げる胡桃。

「いや……、別にいいんだけど――」

 このテンションの落差にもついていけない。引っ込み思案なのか大胆なのか、真面目なのかふざけているのか。


 いや、そうじゃない。

 今では心の奥底に追いやってしまった、錆びついた感性を引っ張りだしてくる。

 胡桃は胡桃、ラシルはラシル、なのだ。

 そして、おれは――。


「ところで、オジさ……えーと、246は?」

 おれのもとから離れた胡桃が、きょろきょろと首をふる。

「彼は遅れる。仕事の関係なんだと」ユグドラシルが答える。

「ああ、やっぱりそう……246らしいね」

「にーよんろく?」思わずおれが訊く。

「オジさ……」いいかけてゴホン、とわざとらしく咳払いした胡桃が、説明を続ける。

「彼は、いつもギターの機材関係でいろいろとお世話になっている人なんです」

「キーボード関連もね」ユグドラシルが補足する。

「オジさんっていうからには、けっこう年は上なの? おれぐらい、とか?」

 胡桃は首をふり、

「いえ、全然、ハルキさんよりも上じゃないですかね?」

「ああ、多分そうだよ……若干、年齢不詳だけど……まあいずれにしても、時間があれば紹介するから――」

 建物の入り口から、うなりのような地響きが鳴っている。

 ついに、ライブが始まるのかもしれない。

 気づいたのだろう。ユグドラシルも、胡桃も、他の二人もいっせいに地下へ続く階段に目を向ける。

「記念すべき瞬間だ。こんなところで油を売っているわけにはいかないね」

「そうそう。いきましょう」

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