第34話 2015年 ~春紀君に聞いていないのなら……-1

 妹の胡桃が倒れ、水瀬春紀に連れて帰ってもらったあの日から数日後『スティール・ボックス』が無期限で操業を中止するという発表があった。

 その話はユグドラシル経由で聞いたが、彼も憔悴した表情を見せており、明らかにショックは大きいようだ。

 胡桃のほうは、次の日にはもうケロッとしたもので、お見舞いに来た水瀬春紀を驚かせていた。それでもなぜだか彼の方は、逆にこちらが不安になるほど心配していたのが気になった。しばらくは安静にしたほうがいい、ともいっていた。

 その場では胡桃はおとなしくしていたが、高校には普通に通っているし、放課後もいつも通りどこかをほっつき歩いているようだ。


 それから一週間がたった。

「しばらくはおとなしくしよう」

 水瀬春紀はそういっていたが、瑠奈としてはそういうわけにはいかない。バンドを一時休止するのは仕方がない。どのみち、水瀬春紀にメタルをやる気がないのなら同じことだ。

 しかし『メタル・ボックス』に続いて、『スティール・ボックス』でも同じようにヘヴィメタル症候群と思われる参事が起こったのだ。そちらに関しては、看過するわけにはいかない。

 なんとかしなければ、本当に日本のヘヴィメタルは死んでしまう。そんな社会に生きることは瑠奈にとっては監獄に収監されているに等しい。


 禁止されているとはいえ世界中でメタルが演奏されているのに、この狭い地域だけで立て続けに起こるということは、やはり何か知られていない共通点があるに違いないのだ。

 地域的な因子がなにか関連しているのだろうか。だとすれば、大阪とスウェーデンのイエテボリになにか共通点があるのだろうか。

 そう思ってインターネットで調べてみた。人口は大阪府が八百万人以上いるのに対して、イエテボリは五十万人。十倍以上の差があるのだが、それぞれの国内第二の都市という意味では共通している。

 第二の都市だからこその何かがあるのか。第二ということへの妬みやこだわりが何か関係しているか。もしくは港湾都市ならではのなにか……いやいや、違う違う。何か別の共通点は、と思って調べてみる。イエテボリも信号はあるが無視する人が多い、ゴミが多い。大阪と共通している。が――ダメだ、これも違う。

 瑠奈はノートパソコンを閉じて、立ち上がる。

「よし、そろそろだね」

 月曜日、火曜日と二日間、有給休暇をとっている。もちろん、ヘヴィメタル症候群についての調査をするためだ。一口に調査、といってもとっかかりが必要だ。


 とっかかり――それは、今回の件の関係者から話を聞くのもそうだが、もう一つ、以前『メタル・ボックス』の事件についても調査する必要がある。そこで共通点を発見するのだ。しかし、もう八年以上も前のことだ。普通は関係者を探すのも難しいが、今は水瀬春紀のつながりで二人――市川正一、楢崎徹から話を聞く必要がある。


 楢崎は大学でヘヴィメタル症候群関連の研究も行っているとのことで、これ以上ない情報源だ。一方、市川の方はどういう関わりがあるのかはわからない。ただ、水野春樹によれば、彼も当時のことを知っているだろう、とのことだ。それ以上は追及しても、直接彼に聞いてくれ、と突っぱねられた。


 まずは市川正一にはすでにアポを取ってある。仕事とは別で話がある、ということにして、あえて意図は伏せておいた。最初から伝えてしまうと断られてしまうかもしれない、と考えたのだ。予定では、そこから楢崎徹の所属先を聞き出し、ノーアポで行ってしまおう、と構想している。あの『777』という居酒屋で一度は顔を合わせているのだ。覚えていてくれているだろう、という希望的観測だ。


 月曜日の午前十時。

「やあ。久しぶりだね」

 市川は、黒いTシャツに濃い色のジーパンというラフな姿で、すでに会議室にスタンバイしていた。瑠奈は軽く会釈して部屋に足を踏み入れ、その正面の席についた。

 仕事ではないのだが、なんとなく服を決めかねた瑠奈は、けっきょく当たり障りのないパンツスーツ姿で大学に訪れた。


「お久しぶりです。すいません。お時間よかったですか?」

「ああ、大丈夫だよ。半分自由業のようなものだからね、この仕事は」

 市川は、本音なのかこちらに気を使わせないようにしているのか、どちらかはわからなかったが、とにかく笑いながらそういった。瑠奈はほっと息をついて、

「それでは、早速ですが単刀直入に要件をいいます――」

 二〇〇四年の『メタル・ボックス』でのライブでいったい何があったのか、そしてその後、原因の解明はなされたのか、その他、知っていることがあれば教えてほしい、との旨を伝えると、

「ああ、その話か……」

 小さく乾いた笑い声を発した市川が、口の中で小さく何かをつぶやいたように見えた。その口の動きは、僕はてっきり――という言葉のように、瑠奈の目には届いてきた。


「ヘヴィメタル症候群が、また起こったらしいね。『スティール・ボックス』だっけ?」

「ええ、そうです。それが――」

 妹の胡桃が関係していること、その場に水瀬春紀もいたことを伝えると、市川は少しだけ表情を動かして、

「初耳だね。またあいつも運がないというか……で、今回も警察が入って原因究明中なんだよね」

「究明というよりも、取り締まりの一環だと思います。そもそもメタルをやっていること自体が違法なので、責任者と下手をすると、バンドのメンバーも一緒に事情を聴かれるかもしれません」

「なるほど……前の――『メタル・ボックス』のときと同じだね」

 市川はしばらく視線を手元に落としたまま、沈黙していた。


 そうなのだ。けっきょく一般市民とメディアの目は、なぜヘヴィメタルを野放しにしているのか、という警察批判に終始して、その根本原因はなにか、ということに対しては驚くほど無頓着なのだ。とにかく、ヘヴィメタルを止めさせればすべて解決する、の一点張りだ。


「結論からいうと」と市川が話し始める。

「本当の原因は、僕にもわからない。まあ、当然のことだけど」

 瑠奈は頷いて、続きを促す。

「だけど、あの日のことはよく覚えているよ。『メタル・ボックス』でヘヴィメタル症候群が起こったあのライブ――」

「〈キング・オブ・メタル〉の最後のライブ、ですよね」

「そういえば、君は〈キング・オブ・メタル〉のことをよく知っているんだったね。……なんか恥ずかしいな」

 市川が笑みを浮かべると、その目じりには年相応の皺が刻まれる。同じ年齢だという水瀬春紀と比べると、かなり年上に見えていたが、ときおり見せる笑顔や仕草に、なぜだか若さ――というよりも、幼さが感じられる。

 なぜかはわからないが、男というものがそういうものなのだろうか、と瑠奈はとりあえずそう考えておく。


「恥ずかしい……というのは?」

「そりゃ……ね。自分がやっていたバンドのことだから」

「自分がって……え!? ひょっとして市川さんって〈キング・オブ・メタル〉のメンバーなんですか?」

 この言葉には、逆に市川の方が目を見開いて、

「あれ? そのことは聞いてなかったんだね……一応、ベースを弾いていたんだけど」

「そう、ですね。聞いてないですね……なんか、すいません」

「いや、謝ってもらうことじゃないけど……そうか……あ、ゴメン、あの当時のことだったね」

 と市川はそれ以上の質問を制するように、話を元に戻した。

 ひとしきりその当時のライブの様子、そしてヘヴィメタル症候群が起こったときの混乱について説明してもらう。が、ただそれを聞いただけでは、今回のライブの状況と違いも共通点も判然としない。やはり、その場にいなければわからないのだろうか――。いや、その場にいたとしてもわからないのだろう。けっきょく、そんな簡単な問題ではないのだ。でもやはりせめて――。


「せめて、その当時の映像ぐらい見られたら、少しは違うんでしょうけどね……」

 心の中でつぶやいていたつもりだったのだが、言葉に出てしまっていた。

「当時の映像、ね……」

 市川は口ごもる。

 当然だろう。そんな都合のいいものがあるはずもない。

「音源、だったらあるけど、さすがに映像はないなあ」

「――え? 音源ってあるんですか?」

 初めて聞いた。水瀬春紀にも聞いたことがない。そもそも、水瀬春紀もそのこと自体を知らないのではないだろうか。

「あるよ。音質はそんなによくはないけどね」

「いえ、それは全く問題ないんですが……その、それって、聴かせてもらっても?」

 市川は一瞬だけ、戸惑ったように口に手をあて、そして少しだけ視線を上の方に向けたが、

「わかった。ちょっと待ってて」というと、すぐに席を立って会議室を出ていった。

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