第52話 2015年 ~あなたは、へヴィメタルを愛していますか?-12

 ゆっくりと目を開くと、あの尖塔が視界に入ってきた。

 あのとき、おれが足を踏み入れずに終わった、天まで続く白い塔だ。

 目の前には、細身の青年と、十代前半と思われる少女が一人、鎖かたびらを身につけ、凛と佇んでいる。二人がその手に携えているのは、剣だ。


「ハルキ、何をぼんやりしているんだ? 目的の塔はすぐ目の前だ」

 青年がいう。続けて、皮の手袋をはずして髪をかき上げた少女もいった。

「あの塔でメタルマスターから、へヴィメタルウォーリアーの称号をもらうために、いままで幾多の苦難をともに乗り越えてきたのではないか」


 何をいっているのか、と、一瞬だけ思った。

 が、その刹那、脳の奥にしまいこまれていた記憶が怒涛のように流れ出してきた。

 そうだ。おれたちは、ここまで数え切れないほどの二者択一問題に答え、そして行方を阻む怪物を、剣と魔法の力で切り抜けてきたのだ。

 少女と思っていた目の前の人物が、実は少年だという事実も同時に思い出された。

 それに……そうだ……。

「クルミ」

 青年に向かって、おれはいった。

「何? ハルキ」

「いや……そうだ。クルミだな……」

 青年の顔を持つクルミが、不思議そうにこちらの目を見つめ、そして口角を上げて笑みを形作る。

 そして、もう一人の少年がミツキという名前だったことも、なぜだか急に思い出されてきた。

「そうだ……」

 自分の姿を確認してみる。

 黒いローブを身にまとい、手にはシルバーのメイスを握っている。その上端には大きなピンクの宝石がはめ込まれている。そうだ。これを手に入れるためにも、多くの苦難があったのだ。

 いくぞ、と剣を持つ二人が地面を蹴り、小走りで塔に向かう。その背中を、追っていく。

 子宮を持ち、さらに男性器も持つ。そんな存在が集い、そしてメタルマスターに謁見する。これこそが、長い年月をかけてメタルの神により仕組まれてきたことだ。おれたちは、神の意向に従いへヴィメタルウォーリアーとして再び地上に降り立つ。そして、メタル界を正しい方向に導くのだ。


 すでに入手済みの塔の鍵を使って、正面扉を開き中へ足を踏み入れる。五メートル四方ほどのだだっ広い空間だ。床も壁もレンガで固められている。嘘のように鮮やかなオレンジ色だ。一番奥に、上へと続く階段がある。

「とにかく、最上階を目指すぞ」

 クルミの言葉に、ミツキが頷き、そして剣の切っ先を天井へ向けた。

 もちろん、塔というからには目的地は最上階だ。

 階段を上がりきると、そこにもオレンジ色のレンガ造りの部屋が現れた。下の階と何も変わらないように見える。

「とにかく上だ」

 途中に出現した紫色のゲル状モンスターはおれの炎の魔法で片付け、そして頭が三つあるライオンのゾンビは、胡桃の剣でとどめを刺した。三階、四階、とただ無心に上がっていく。


 何度階段を上がったのか、数えるのも面倒になってきた、ちょうどその時、視界が銀色に包まれた。

「近いぞ」

 金属製の床と壁はのっぺりとした一面の銀色だ。

 幾分慎重に足を進めるクルミとミツキの後ろについて、おれは一歩一歩、踏み出す。

 奥に、階段がある。シルバーの階段。

 上りきると、一気に視界が開けた。空は雲ひとつ、チリひとつない、水色。最上階を超え、ついに屋上に出たのだ。

 背後はすぐ、腰の高さでレンガの枠組みがある。越えると塔の下まで、一直線だ。恐る恐る覗き込む。と、白いもやが、一面を覆っており景色は見えない。周囲に視線をめぐらせても、同様の白しか見えないことに気づいた。それは雲なのだろう。ついに、雲の上まで来てしまったのだ。


「ハルキ、早くこちらへ」

 胡桃に呼ばれ、振り返り前に進む。階段がある側とはちょうど反対側にはプリズムにより七色の輝きを放つ透明の台座に支えられて、一本の剣が飾られている。

 いや、飾られている、という表現はしっくりこない。おそらく持ち上げることはできないだろう、と思わせるような重量感がその剣からはにじみ出ていて、まるで主のようにこの場に馴染み、威厳を放っている。


 ――ワレハ、メタルマスター……


 剣から、声が響いてきた。

 直接脳に語りかけてくるような、全波長を網羅する声だ。


 ――ワレヲ、カイホウセヨ……


「開放? 剣を、台座から取ればいいのか?」

 いいながら、クルミが手を伸ばそうとした、その刹那、正面からの衝撃に襲われ、視界が反転する。

 次の瞬間には、体に痛みが広がっていく。背中、腕、そして臀部。

 視界には、青空。頭を打っていないことが幸いだ。おれは体を起こし状況確認を行う。目の前には、クルミとミツキが、なんとか立ったまま踏ん張ったらしく、足を大きく開いて構えの姿勢だ。

 じわじわと、音が戻ってきて、ようやく一時的に耳が聞こえなくなっていたことに気づいた。

 ずしん、と体の芯を揺さぶる衝撃波が正面から降りかかってくるが、踏ん張って耐え、その元へ目をやる。上空だ。

 そこには、一匹のドラゴンがいた。

 ぐるぐると、旋回しながら吼え、そして、こちらに向かって羽を振る。と、少し遅れて衝撃波が届く。


 ――ワレヲ、えめらるどどらごんカラ、カイホウセヨ……


「エメラルドドラゴン!」

 ミツキが叫ぶ。

「知っているのか?」

 クルミも叫ぶ。

「知っている。……空の王にして、風を操りすべての魔法をはじき、そして剣を寄せ付けない、最強のドラゴンの一角に位置している」

「魔法をはじき……剣を寄せ付けない……」

 ミツキとクルミの武器は、剣だ。そして、おれは魔法。

 と、ドラゴンがこちらへ一気に下降してくる。おれは反射的に体をかがめる。

 短い悲鳴が、耳朶を打った。そちらへ目をやる。少年が倒れている。頭を打ったのか、苦悶の表情を浮かべながら、それでも必死に体勢を立て直そうとしている。

「来る!」

 クルミの叫び声に振り返ると、上空で爆発音のような吼え声を上げたドラゴンが、またこちらへ下降してくるのが目に入ってきた。

 おれは何もできず、ただただ、体をかがめてやり過ごす。

 視界の端に、果敢にも剣で立ち向かうクルミの姿がとらえられた。振りかざされる羽にタイミングを合わせて剣を掲げていたが、あえなく弾き飛ばされる。その細いからだが宙を舞い、危うく屋上から落ちてしまうところで何とか柵に手をかけて持ちこたえる。おれは胸をなでおろした。

「駄目だ……剣と魔法では、勝てない」

 いつのまにかおれの脇に寄ってきていたミツキが、いかにも苦しそうな口調でいう。

「しかし、やるしかない!」

 おれは自分を鼓舞し、口の中で呪文を唱え、メイスをかざす。

 空間から炎が現れる。その炎を十二分に成長させてから、勝ち誇ったように宙を舞っているドラゴンに向けて、一気に放出する。

 エメラルドドラゴンは、気づいていない。少なくとも、おれにはそう見えた。

 炎に包まれる、その一瞬前に、ただ羽を一振り。それだけで、炎は泡のようにはじけて消えた。

「剣もダメ……魔法もダメ……いったい、どうすれば!」

 クルミも、近寄ってきていう。

 おれは言葉を返せない。

 三人の仲間を集めて、この塔の鍵を手に入れ、そしてこの屋上まで来た。ここまでは、順調だった。しかし、何か最後のピースが一つ、足りないのだ。それに気づかずにここまで来てしまった。

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