第16話 2001年 ~モラトリアムと呼ぶなら…… -2

「メタルのドラマーとボーカリストなら、私の知り合いで目ぼしいのがいるけどな。たしか今、二人ともバンドメンバーを探していたはずだし、年齢も君たちと同じぐらいだったと思う」


 バンドメンバー集めがうまくいかない、という話題を、昨晩の飲みの席では出していた。そのときはただそのまま流れたのだけれど、次の日の朝に、楢崎がわたしたちにこう提案してきた。

 わたしも市川も、すぐにこの話にのった。ひょっとするとこのまま、メタルバンドができないのではないか、と危惧していたところだったのだ。


 小阪大学の人間ではないがいいのか、という楢崎の言葉にも、わたしにはまったく断るという選択肢がなかった。そもそも、小阪大学に入った理由がメタルバンドをすることだったのだ。

 メンバーが集まるのなら大学など関係がない。それには市川も同意見だった。楢崎はそれ以降、わたしたちのバンドが出るライブには必ずといっていいほど足を運んでくれた。それは自分がメンバーを引き合わせた手前もあっての気遣いだと思っていたのだけれど、あるとき、それだけではなかったことがわかった。


 バンドの打ち上げのあと、お開きとなって帰途についたのだけれど、たまたま楢崎とわたしが同じ方向で二人になり、もう一軒だけ飲みに行こうという話になった。誘われたときにはまったくなんの意識もなく、酔いの勢いで軽くついて行ったのだけれど、

「良かったら、付き合ってくれないか」と、そこで告白されたのだった。


 ちょうど大学二回生のカリキュラムが終わり、春休みに入ったときのことだ。

 それまでまったく男女の色恋沙汰には縁がなかったわたしは、どう答えていいのかわからずに、なんとか笑顔を形作りながら、

「ちょっと、考えさせてもらえますか」とだけ答え、その日は解散した。


 それから数ヶ月間、わたしは初めて、男性のことで悩むことになる。

 実をいうと、楢崎のことは少し異性として意識しはじめていたのだ。そんな自分の気持ちに気づかないふりをしていた矢先の彼からの告白で、どうしたらいいのかがわからず戸惑いが大きかったのだけれど、本心では純粋に嬉しかった。


 軽音楽部には女性も多く所属しており、何人かはたまに遊びに行くような関係の友人もいた。楢崎に告白されたことを思い切ってその友人に相談すると、

「何を悩んでいるのかわからない」という答えが返ってきた。

 その友人は高校時代から次々に男をとっかえひっかえしているようなタイプで、彼女にしてみれば、今彼氏もおらず、しかもちょっとでも好意を持っている相手に告白された、というわたしの状況は、迷う余地がない、とのことだったのだ。


「まずつきあっちゃいなよ。あとのことはそれから考えればいいじゃん……それに、相手だってそんなに待ってくれないかもよ」

 いわれて、はっとした。

 そうなのだ。わたしが悶々としている間に、脈がないと判断した楢崎が別の人と付き合ってしまう可能性もあるのだ。そんな単純なことですら、経験のないわたしは気がついていなかった。


 それでも、わたしが一歩を踏み出せなかったのは、そんなに単純に世間一般の道に従ってしまってもいいものだろうか、という逡巡だった。自分は女性である前に、あくまでもメタル崇拝者なのだ、という意識が強かった。

 それは理屈ではなく、今となってはわたしの体を構成するすべての細胞にまで刻み込まれた信念だった。メタルの神を裏切る行為にならないかどうか――わたしの中の判断基準は、そこだったのだ。

 そういう意味で、相談する相手は、逆に今のメタルバンドのメンバーなのだろう、という結論となった。わたし以外は全員男性だったのだが、メタルを敬愛するという意味では同胞なのだ。そのメンバーならきっと、なんらかの道を示してくれるはずだ――と、あとから考えれば、どうにも見当違いなことを、このときは本気で信じていた。

 そしてその判断が、のちのいざこざを生むことになる。


 楢崎に紹介されたバンドメンバーは、ボーカルは田中零という名前で、レイという名前の語感に違わず、中性的で綺麗な顔をした男だった。女性顔負けの高音を平然と歌い上げることができる類まれなハイトーンボーカリストだ。また、ドラマーは、角泰斗という中肉中背の男だ。普段は無口だが、メタルのこととなると、とたんに饒舌になる。

 その二人とベースの市川、そして、ギターのわたしを加えた四人で恥ずかしげもなく〈キング・オブ・メタル〉というバンド名で活動をしていた。その頃には大学入学時とは見違えるほどのテクニックを身につけ、名前負けしないという自信もあった。課題曲としては往年の名曲から、最近のはやり曲まで、メタルであればなんでも演奏した。この頃にはメタル禁止の規制もしだいにうやむやになりつつありライブハウスではなかば公然とメタルが演奏されるようになっていた。


「いいじゃん、付き合っちゃえば」


 ある日のスタジオ練習後、飲みの席で唐突に切り出したわたしの相談に対して、まず田中零はさらりとそういうと、髪をかきあげた。


 普段プライベートの話などほとんどしないわたしたちは、お互いの恋愛事情を知らない。しかし、その容姿を見る限りではおそらく女性のほうからよってくるであろう零は、聞いてみると案の定、彼女もちであった。ドラマーの角泰斗も、高校時代から付き合っている彼女がいる、という。


 一番付き合いの長かった市川にもこういった話をするのは、このときが初めてだった。はじめは少し口ごもっていたが、彼には今付き合っている人はいないとのことであった。


「どうなんだろう。俺たちも楢崎さんのことをそんなに知っているわけじゃないからね。薦めるもなにもないけど。あとは、君しだいだろうね」

 角泰斗は意外にも優等生的な回答を示してくれたが、それはそうだろう、ということ以外に感想がなかった。

 彼ら二人も、あるライブイベントでたまたま楢崎と知り合っただけで、このバンドに加入して以降は、個人的に楢崎に会うことはないようだ。


 わたしは市川を見た。

 と、その視線に気づいたのかどうか、一瞬だけこちらに目を向けた市川は、すぐに視線をあらぬ方へ向けて煙草に火をつけた。

「君はどうなの?」

 田中零が、市川に訊く。角泰斗も視線をそちらに向けて答えを待っている。

「えっ? 僕?」

 と、わたしから見てもわざとらしい言葉で驚きを表現してから、彼はいう。

「そうだな……別にどうということもないけど……まあ君が一人の女性として判断したらいいんじゃないかな……」


 結局、誰からもわたしの求める答えは出てこなかった。

 ということはつまり、男女間のことにメタルは関係ないのかもしれない。それはそれ、これはこれ、とメタルの神様も許してくれるのかもしれない――。

 この日のわたしの結論は、こんなところだった。ただ、依然として付き合うか否かの判断はできずじまいだった。

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