第28話 2004年 ~ヘヴィメタルを降らせたのは神ではない…… -2
一次会の店はどうやら『メタル・ボックス』御用達の店だったらしく、だからこそあれだけあからさまにメタル愛好者だけの集まりが許されたのだ。
〈キング・オブ・メタル〉のメンバー四人だけで、今度は大衆居酒屋の隅に陣取り、こっそりと飲むことになった。
席に着くと、さっそくボーカルの田中零が、B5サイズの半分程度の紙切れの束を出してきた。今日のライブの感想を書いたアンケート用紙だ。
「あの取りのバンドには悪いけど」と前置きした零は、
「今回は俺たちが主役を食ってしまったみたいだな。……特に、オリジナル曲のシルバーメタルの評判は上々だぜ?」
『シルバーメタルのギターソロは鳥肌が立ちました。今まで見たメタルバンドの中で一番美しいソロでした』
『〈キング・オブ・メタル〉最高でした。是非また、どんどんオリジナル曲を作ってください。CDできたら、絶対買います』
『ギターの方、僕と結婚してください』
「結婚って……なんだこれ?」
「いいじゃない? ライブ映えしてたってことで」とドラムの角泰斗も機嫌よく焼酎をあおる。わたしはロックにしたウイスキーに口をつけて、
「でも〈キング・オブ・メタル〉はアイドルグループじゃない。音楽の評価なのか、それとも見た目の評価なのか、それははっきりと区別しておかないと」
「両方含めてのものじゃないのかい? まあ、ボーカルよりもギタリストへの賛辞が多いことはちょっとショックだけど」と零がいう。
「じゃあ、ポイズンの存在を認めるのか?」
相変わらずひたすらウイスキーを口に運んでいる市川が、いう。完全に目が据わっている。
「ポイズンはいただけないね。それでも、ここで例として名前が出てくるということは、それはそれですごいことなのかもね」
わたしがいうと、
「まあ、紙一重だな」と角も言葉をかぶせてきた。
その居酒屋を出たころには、わたしと市川だけはすでに最終電車もなくなっていた。
「二人でホテルにでも泊まっていけば?」
零はさらりとそういうと笑った。もちろん冗談だ。
角泰斗と田中零が電車で帰った後、二人だけはタクシーで家に帰ることにした。
本当は――。
ふわふわと定まらない思考回路が、勝手に空想を進める。
半年前体を合わせた男と、久しぶりに出会う。そして――。
本音をいうと、わたしの中では、もう一度あの日と同じことが起こるのではないか、と期待している部分が、半分ぐらいはあった。楢崎が不在、という前回と同様のシチュエーションだ。しかし、男は彼女連れで来ていた。その時点で当てが外れた。
「今から」
なんとなく、わたしは隣でふらふらと酔いを楽しんでいる市川に、いった。
「うちで呑み直す?」
「――えっ?」
「だって……うちまでならせいぜい三千円程度だけど、市川の家までタクシー使ったら、それこそ一万円ぐらいいくんじゃない?」
「まあ、それはそうだね」
ひとときの間のあと、
「じゃあ、行こうかな……酒、ある?」
「もちろん」
わたしは笑いながら、
「ビールが何本かと、焼酎の一升瓶、それからジャックダニエルが半分ぐらい」
「十分だね」
市川も笑って答えた。
誘った時点でこうなることはわかっていた。というよりも、逆にこのために、わたしは誘ったのだ。
ビールを何本かあけて、ウイスキーに手を付けたあたりで、わたしの方から体を寄せていくと、市川は簡単に落ちた。落ちた、という表現は正しくない。周りの人間の話からすると、もうずいぶんと昔から、市川は落ちていたのだ。ただわたしがそれに気付かなかっただけだ。
そして今、一糸まとわぬ姿で、二人ベッドの上に横たわり抱き合っている。
薄暗いその六畳ほどの空間が、ぐらぐらと揺れているように感じられた。
スピーカーから垂れながされているのは、ブラックサバスだ。トニーアイオミのずっしりと重いギターリフに溺れ、耳元の荒い吐息に悶えた。
市川がわたしに入ってきた瞬間、頭の芯から指先までがしびれたように感じ、わたしは声を上げた。自分のものではないような今まで聞いたことのないかすれた声が規則的に口から洩れ、さらにその声に呼応するように、耳元の吐息も激しく、荒くなっていく。
市川の行為は、長かった。
後半、少し戻ってきていた思考で、そういえばコンドームは付けたのだろうか――と思い返すが、そんな記憶はない。いわなければ……と快楽に押し流されそうな理性を必死につなぎとめて、
「市川……ゴム――」
その言葉は、急速にテンポを上げ激しさを増してくる市川には届かない。
押し寄せてくる快楽で、脳に霞がかかってくる。
「ちょっと……まっ――」
果てたあとも、市川はしばらくわたしの中に入ったまま、倒れこんできた。
しばらくしてから「ごめん」という小さい呟きが、耳元で聞こえた。わたしが答えずにいると、もう一度ごめん、という言葉が吐きだされる。
「――なにが?」
わたしは返した。それは自分でもびっくりするほど、冷たい声のように感じられた。
二人ベッドの上で、しばらく放心したようにぼんやりと座り込んでいた。
今自分を支配している感情が喜怒哀楽のどこに位置しているのか、まったくわからなかった。無、というのが一番しっくりくる。
わたしは無言で立ち上がってそのまま浴室へ向かった。
熱いシャワーを浴びると、意識がはっきりしてくる。酔いも少し覚めてくる。
すると、しだいに、どうでもよくなってくる。
けっきょくわたしは、メタル以外はどうでもいいのだ。一時の快楽に溺れようが、酒に溺れようが、メタルの神にさえ見放されなければ、あとは何でもいいのだ。
あの『メタル・ボックス』でライブを行い、そして観客に認められたのだ。
それはすごいことなのではないだろうか?
じわじわと、今さらながらに実感が湧いてくる。
気分が上向いてきたわたしは、浴室を飛び出してバスタオルで適当に全身を拭いてそのまま体に巻きつける。
寝室に戻ると、薄暗い部屋ではまだ市川がベッドに座り込んだままだった。下着だけはちゃっかりと身に着けてはいたけれど。
わたしは迷わずに明かりを全開につける。
と、市川がびっくりしたようにこちらへ目を向ける。その視線の感じから判断すると、ほとんどアルコールは抜けているようだ。
「今日、やったんだね、わたしたち」
最初、きょとん、とこちらを見つめていた市川だったが、
「あの『メタル・ボックス』で、〈キング・オブ・メタル〉が認められたんだよ」
「――ああ」
ようやく合点がいったように何度も頷きながら、それでも「そうだね」といっただけで、それ以上何も返してこない。
「まあいいけど、次はまた新しい曲作りだから、頑張らないとね」
「ああ、そうだね」
「それと……」とわたしは市川を見据え、
「もし、妊娠してたら……おろす費用、出してよね。まあ、全額とはいわないけど……そうね、半額――いや、三分の二で……どう?」
といった。
言葉を失ったように押し黙った市川に、
「どうなの?」
ともうひと押しすると、これに対しても、小さく「そうだね」とだけ返答し、そしてすぐに押し黙った。
急速に眠気に襲われたわたしは髪を乾かしてTシャツと下着だけを着込むと、ベッドに横になって目を閉じた。
隣で市川が立ち上がり浴室に行ったところまでは覚えているけれど、その後彼がどこでどうやって寝たのかはわからない。
翌日、昼前に目を覚ますと、市川の姿はなかった。
わたしはそのまま、日常に戻った。
酒とメタルに溺れる、そんな日常に。
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