2025年【月刊 METAL KING 創刊号】-1

〈メタル復活宣言 ~編集長Mの挨拶に代えて〉


 ついに、という表現が正しいのか、最早、というべきなのか、僕にはわからない。実に三十年ぶりとなる、日本のメタル専門誌復活である。あの忌まわしき『メタル禁止令』が発令されて以来、悶々とした日々を過ごしてきた諸氏にとっては「ついに」であろうし、また、条例が解除されてから一ヶ月後の創刊に対しては、「最早」の声もあろう。そちらはもしかすると、若い人たちが多いのかもしれない。もっとも、僕がかねてから(三十年以上前から……)いっているように、へヴィメタルは神の音楽である。こうして復活することなど、端からわかりきっていたことであり、驚愕には当たらない。しかし、それがどうにかこうにか僕が生きている間に実現したことに対しては、感涙に耐えない思いである。


 さて、久しぶりのメタル専門誌である。公には、へヴィメタルという音楽そのものが、演奏することはおろか、聴くことすら許されていない状況であった。当然ながら、新しいアルバムなどあるはずもない……はずもない、のだが。そこはそれ、やはりこちらも当然といえば当然なのだが、アングラでは次々と新しいメタルが生まれ、そして演奏されていたのだ。ただ、メタルが冬の時代を迎えていたことは変えがたい事実。特に二〇〇〇年代後半から、二〇一〇年代前半まで、日本のメタルは死んでいたといっても過言ではない状況だった。しかし、ここ五年と少しの間、徐々にではあるがメタル復活の兆しを肌で感じていたのは、僕だけではないだろう。実はそのころから着々とメタル誌創刊の準備を進めてきた、といったらあなたは信じるだろうか? 僕と同好の編集者たちは、ある意味当然来るべき今日のために、構想を練り上げてきたのである。


 前置きが長くなった。わかっている。読者諸氏が望んでいるのは、こんなくたびれたオッサンの一人語りなどではない。それはわかっているのだが、今回だけ、と許してほしい。なにしろ、三十年である。この三十年、メタルのことを考えない日は一日もなかった。この日を待ち続け、そしてどこかで細々と生き続けているはずのメタル者達を追い続けてついに還暦を過ぎ、それでも僕は――。と、すまない。書けば書くほど、どんどんと感情があふれ出てくる。しかし、読者が知りたいのは、僕の思いではなく、アーティストたちの熱い魂なのだ。それはわかっている。よし、僕もプロフェッショナルだ。淡々と進めようではないか。


 まず今回『METAL KING』創刊号ということで、それにふさわしい特集記事は何か、と考えた。メタルとは何ぞや、という方のために今一度ブラック・サバス、アイアン・メイデンに立ち返ってメタルの基礎から歴史を洗い直すもよし、さらに、東欧の金属の雨に始まった一連のへヴィメタル症候群についての顛末を解説するもよし。また、この三十年間の間に現れては消えていった世界のへヴィメタルバンドについて、概説することも外せない。そう考えると、それだけでも紙面が埋まってしまうな、とほくそ笑みながらも事の重大性にひしひしとプレッシャーも感じていた……そんな矢先、僕の耳に飛び込んできたのは、『へヴィメタル・タワー』のこけら落としの情報だった。『へヴィメタル・タワー』とは、『メタル・ボックス』『スティール・ボックス』の流れを引き継ぐ第三のメタルの殿堂となる――のだそうだ。以前から噂ではちらほらと聞いていたがその全貌は謎に包まれていたため、伝聞口調でしか話せない。しかし今回、唐突に、その開業が宣言された。僕ですら、寝耳に水だったのだが、いったいどこの誰がそのプロジェクトを推し進めていたのか――。僕はそれからすべての仕事を放り出して、あらゆる人脈を駆使し、情報を集めた。結果は僕にとっても予想外であり、喜ばしい誤算だった。どうやら中心になっていたのは、あの〈キング・オブ・メタル〉のメンバーだったことが判明したのだ。〈キング・オブ・メタル〉とは何ぞや――メタル愛好者の中でも、そういう疑問を持たれる方も、もしかするといるのかもしれない。ただ、それについては、ここでは語りつくせない。この号では〈キング・オブ・メタル〉の全貌について、後に特集記事を組んでいるので、そちらを参照願いたい。


 さて、〈キング・オブ・メタル〉――忘れもしない。メタルが冬の時代の真っ只中にあった二〇〇七年。浮浪者のようにただただ裏の街をさ迷い歩いていた僕は、ひょんなことから、一枚のCDを手に入れる。それが〈キング・オブ・メタル〉のアルバムであった。どうせまた紛い物なのではないか、と半信半疑のまま、オーディオデッキにディスクをセットし、再生した。雑誌を手にソファに座り、ローテーブルにはコーヒーを用意して完全に休憩モードに入っていた、そんな時に『シルバーメタル』のリフが始まり、そして僕はそれから三十分ほど、全ての曲を聴き終わるまで微動だに出来なかったことを今でも鮮明に覚えている。長年あらゆるジャンルのメタルを聴いてきた僕でさえそんな状態にさせるような、そんなどこか神がかったバンドだったように思う。ただ、そうはいいながらも、僕自身実際にバンドの面々には、今まで会ったことがなかった。その一枚のアルバム以外は、全てが謎のヴェールに包まれたバンドで、僕がどう頑張ってみても結局メンバーを探し当てることは出来なかった。語りつくせない、と思いながらも少し語ってしまったが「会ったことがなかった」と、過去形でいっているあたりでピンと来た方もいらっしゃると思う。――そう。今回僕はこの創刊号を出すに当たり、ついに〈キング・オブ・メタル〉のHARUKIとKURUMIの二人に、インタビューを取り付けることに成功した。当然、こればかりは人に任せるわけにはいかない。自分でマイクとテレコを持ってインタビューに向かうなんて事はずいぶんと久しぶりなことだが、実際に彼らに会い、そして生の声を聞くことが出来た。その印象だが……一言でいうことは難しい。思っていたとおりだったのか、もしくは期待外れだったのか――それを自分に問うても結局答えが見つからない。それが実情だ。あえていえることがあるとすれば、彼らは僕よりもはるかに先を行っているということだろうか。なんというか……そうだな。こう、メタルに未来へと続く道があるとすれば、僕はおそらく日本のメタル愛好者たちを背後に従えて、少なくとも先頭集団を走っている、という自負はある。しかし彼らは、その遥か先を歩いている。駆けているのでも、疾走しているのでもなく、悠然と一歩一歩、歩いている。その背中すら、僕には確認できないほどの未来の道を、闊歩しているのだ。そんな気がする。彼らとの謁見――そう、謁見という表現がふさわしい――は、長時間に及んだ。本創刊号では、その一部始終を出来る限りノーカットで収録した。結果として、過去のインタビュー記事ではありえなかったほどの、膨大な紙面を割くことになった。それは我々編集側の怠慢だ、という意見もあろうが、今回ばかりは断じてそうではない、といい切れる。なぜなら、彼らはメタルの神の声を代弁している(実際、彼ら自身の口からもそのようなセリフが何度も出てきている)。その神の声を、我々の裁量と判断で短縮や削除をくわえてよいものだろうか? 受け取り方によってはいかようにも解釈できるような表現が多いのも事実としてあり、やはり出来る限り多くのメタル愛好者達に、神の生の声を聴いてもらいたい、との僕たちの熱い思いから、今回このような形をとらせていただいた。


 三十年の思いはとてもではないけれどもここだけでは語りつくせないが、ここは一旦筆を置こうと思う。またいつか、この紙面で今までの経験の欠片でも話す機会をいただければ、これほどうれしいことはない。

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