9 生ける屍たち
朝。朝食を済ませたヴァン・ヘルシングは、出掛ける準備をしていた。ベッドの上には吸血鬼退治の道具が入った鞄と、深夜に引き取った例の肖像画があった。伯爵は眠らずに椅子に掛け、ココアを飲んでおり、ヴァン・ヘルシングの身支度が終わるのを待っていた。その脇には剣が二振り立て掛けられてられていた。
「眠らなくて良いのか?」
ヴァン・ヘルシングは上着を羽織りながら伯爵に尋ねた。
「心配せんでいいよ。それよりも、俺も気になっていることがあるのでね」
「そうか」
二人は各々、必要な物を持ち、宿を後にした。宿を出ると近くの空き地へと向かった。もちろん肖像画を燃やすのだ。
今日は天気が良かった。気温は、冬なので低いものの太陽が出ていたので、震えるほどではなかった。
空き地に着くと、前回と同様に枯れた雑草を掻き集め、その中に肖像画を置いた。
ヴァン・ヘルシングはマッチを発火させると雑草の中に放り込んだ。邪魔をしてくる風が今日は弱かったので、雑草はみるみる燃えていき、一緒に肖像画を火の中へと飲み込んでいった。
ヴァン・ヘルシングが暖をとっていると、隣で伯爵が静かに言った。
「多分だが、また新たな肖像画が出るだろう……」
「だろうな。その前に手を打たねば……」
ヴァン・ヘルシングは力のこもった声で返した。
肖像画を燃やし終え、焚き火を鎮火させると二人は馬車をひろい、再度廃屋敷へと向かった。天気は良好だというのに、屋敷周辺に近づけば近づくほど空はどんよりと灰色の雲に覆われていった。いつしか太陽は見えなくなってしまった。
屋敷に着くと、ヴァン・ヘルシングは馭者に正午に迎えに来るように依頼した。
ヴァン・ヘルシングは早速屋敷の庭へと向かい、庭の隅にある納屋を物色した。目当ての物はスコップである。蜘蛛の巣だらけの納屋の中を、色々引っ掻き回し、ようやくスコップを発見した。ヴァン・ヘルシングはすぐさま納屋から出ると、スコップを高々と上げた。
「ははっ! あったぞ!」
そんなヴァン・ヘルシングを伯爵は、首をかしげながら見つめた。
「それで何をするのかね?」
「何って、“掘っくり返す”のさ。庭中を。吸血鬼の墓探しさ」
ヴァン・ヘルシングは、当たり前だろう? と言わんばかりにスコップを地面に突き刺すと、鞄を地面に下ろし、上着を脱いで鞄の上に置いた。スコップを再度持つと、手短に足元の、枯れた雑草が生い茂る地面を掘り始めた。伯爵がそろそろとヴァン・ヘルシングの元へ歩み寄ってきた。
「どうした?」
ヴァン・ヘルシングは掘る手を止めると伯爵を見上げた。伯爵はどこか後ろめたそうに目をパチクリさせつつ、静かに言った。
「この屋敷の庭には……“もう誰も埋まってない”ぞ……?」
「……早く言ってほしかった」
ヴァン・ヘルシングは深いため息をつくと、空を仰ぎその場に立ち尽くしたのであった。
少しして、ヴァン・ヘルシングは少々怪訝な表情で伯爵に向き直った。
「エルジェーベトが屋敷に出たなら、屋敷の庭にでも眠っていると思うだろ……?」
すると伯爵も怪訝な表情を浮かべた。
「昨日の昼間には“誰も”いなかった。しかし真夜中には確かに死人の存在があったのだ。無論吸血鬼の存在も。だが――」
伯爵は一呼吸置くと、続けた。
「バートリ・エルジェーベトが姿をくらましたと同時に、地面に埋まっていた死人の存在も、跡形もなく消え失せてしまったのだ」
伯爵の言葉にヴァン・ヘルシングははふむ……と考え込んだ。
「なら、エルジェーベトやその死人たちは、今はチェイテ城に“いる”ということか?」
「そういうことになるだろうね。見るからに、“彼女ら”が埋葬されたのは屋敷ではない。初めてチェイテ城に行った時、中庭のそこら中に埋まっているたのは察知出来た」
伯爵の返事にヴァン・ヘルシングは眉を潜めた。
「その“彼女ら”というのはエルジェーベトの犠牲になった娘たちのことか……。そう言えば、お前の“気になってること”って何だ?」
ヴァン・ヘルシングの問いに伯爵は小さく息をついた。
「夜にならないと確かめられない、かもしれない……」
ヴァン・ヘルシングは馬車が来るまでの間に屋敷の扉や窓の隙間にニンニクの花や葉を詰め込んだり、汁を塗りたくり、吸血鬼がもう入り込めないように施した。
宿に戻ると昼食を済ませ、チェイテ城の前で野営するための準備をした。
ヴァン・ヘルシングは宿の近くの店で幌布やロープ、スチール製の水筒などを購入し、伯爵はヴァン・ヘルシングのための夜食を作り、それらを鞄に詰めていく。
日没の2時間くらい前。
ヴァン・ヘルシングと伯爵は必要なものを携え、宿の前で馬車を拾うとチェイテ城へと向かった。二人の荷物の多さが気になったのか、馭者が尋ねてきた。
「お客さん方、キャンプにでも行くんですかい?」
「ええ、まあ……。そのつもりです……」
ヴァン・ヘルシングは苦い表情を浮かべながら静かに答えた。
チェイテ城前に着くと、ヴァン・ヘルシングは早速、城の入口前の、木が生い茂る場所にテントの準備を始めた。木と木の間にロープを張り、それに幌布を掛ける。幌布の四隅に釘を打ち、固定した。
即席のテントの完成だ。
「よし、今夜はここで野営だ」
ヴァン・ヘルシングは出来上がったテントを見下ろした。
「これでは、君には寒いと思うが……?」
伯爵が不安そうに聞いてきた。
「もちろん寒い。だから焚き火用の木の枝とか拾ってくるさ」
そう言うとヴァン・ヘルシングは暗くなりかけている背後の茂みに踏み入ってしまった。伯爵も続いた。
空が薄紫色に染まり、もう日没だということを告げていた。
ヴァン・ヘルシングは上着の上に外套を、膝には毛布を掛けて焚き火に当たり、伯爵特製のサンドイッチを食していた。サンドイッチを平らげるとヴァン・ヘルシングは両手を擦り合わせ、鞄からスチール製の水筒を取り出しマグカップに温かいココアを注いだ。湯気の立つココアを飲んだヴァン・ヘルシングが一息つくと、その吐息が白くなって薄明の空に昇っていった。もう、辺りの空気は震えるほどに冷たくなっていた。
『寒いかね?』
肩から伯爵の声がし、そちらに目を向けると黒いコウモリと目が合った。ヴァン・ヘルシングは鼻先を赤くさせ、少し鼻をすすりながら返した。
「少し。とくに首の辺りが……」
『ほう』
コウモリはヴァン・ヘルシングの肩を這っていき、外套の襟を超えていったかと思いきや、彼の首に抱きつくように腕を伸ばして翼でヴァン・ヘルシングの首をすっぽりと包み込んでしまった。コウモリのもふもふの毛並みが顎下や首筋に当たり、コウモリは――伯爵は吸血鬼のはずなのに温かく感じられた。
「温かい」
『それは何よりだ』
空のほとんどが真っ暗になり、月だけが異様に輝いて見えた。
ヴァン・ヘルシングは懐中電灯で足元を照らしつつ、伯爵とともにチェイテ城へと向かった。辺りは月明かりに怪しく照らされ、所々石が崩れ落ち、朽ちた城を淡く浮かび上がらせていた。チェイテ城がより一層不気味に見えた。その城壁を潜り、奥へと続く城壁に沿って城門前に着くと、先ほどまで並んで歩いていたのに、急に伯爵が立ち止まった。どうした? とヴァン・ヘルシングが尋ねようとすると、伯爵が彼の口を手で覆ったかと思えば耳元で囁いてきた。
「……エイブラハム、明かりを消せ――」
伯爵に言われた通り、ヴァン・ヘルシングは無言で懐中電灯の明かりを消した。そして伯爵が続ける。
「気をしっかり持てよ?」
ヴァン・ヘルシングは伯爵の言葉の意味が分からず、ただうなずくだけうなずいた。ようやく伯爵がヴァン・ヘルシングの口から手を離し、濃い霧が漂う城門のトンネルの向こうを真っ直ぐ指差した。ヴァン・ヘルシングは城門の影から中庭をのぞき見た、刹那――。
「あっ――」
とっさに伯爵に再度口を塞がれた。ヴァン・ヘルシングは口を塞がれていることを気にする余裕もないほど目をかっ開き、体中を震わせながら中庭に釘付けとなっていた。
……あれはっ……何だっ……?
霧の中、月光に照らされ、地面を這い蠢く無数の人影が見えたような気がした。その人影は人間のように見えたが、どれもやせ細り――否、骨と皮に、風化してボロボロになった服をまとった何かだった。
それは死体だったのだ。生ける屍だ。土に還ることを許されず、無惨に、意志に反して蘇らされた哀れな骸たちだった。
ヴァン・ヘルシングは今にも倒れそうになり、伯爵に支えてもらわないと立っていられないくらいに震え、静かに涙を流した。
……なんと酷いことをっ……!
鉄の意志を持つヴァン・ヘルシングですら耐えられないほどの衝撃の強さに、彼は思わず顔を背け、両手で覆ってしまった。そんな彼に、伯爵はマントを広げると、ヴァン・ヘルシングをそっと引き寄せてその身体を包んだ。
「君ですら、衝撃的だったね……」
伯爵はヴァン・ヘルシングの頭をあやすように撫でた。ヴァン・ヘルシングは伯爵の胸元に額を押し付け、呼吸を整えようと努めたが未だに震えが止まらなくて、やるせない気持ちでいっぱいになった。
そうこうしている間にも、中庭の地面からは幾体もの生ける屍が出て来て、群がっていた。その中心にいたのがバートリ・エルジェーベトだった。
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