6 ホーエンツォレルン城へ

 夕刻。ヴァン・ヘルシングと伯爵は身支度を済ませると、宿を立った。

 宿前に呼んでいた馬車の馭者に行き先を告げると、馭者は恐怖に怯えた様子を見せ、渋ってきたが、伯爵――今はヴィルヘルム伯爵のご息女の代わりとしてカタリーナの姿だ――が金をさらに払うと、馭者は仕方がなさそうに馬車を出発させた。

 フィリンゲンの町を出て、馬車は鬱蒼とする森に入った。

 いつの間にか上空には月が昇っていた。

 人狼も思わず遠吠えを上げてしまいそうなほどの、綺麗な満月だった。

 道中馬車の中、ヴァン・ヘルシングは昼間の酒場での話や墓地での出来事を伯爵――カタリーナに説明した。

「ほう。不可解な死、消えた死体……。はやり余の同胞がいるようだな?」

 伯爵は少女の姿でニタリと口角を上げ、白い牙を剥き出しにした。

「頼むから、その姿でその笑みは止めてくれ」

 ヴァン・ヘルシングは大きなため息をついた。

「お前がヴィルヘルム伯爵のご息女じゃない、とバレたら我々、否、私が一巻の終わりだ」

「その時は君を担ぎながら戦おう」

 カタリーナの言葉にヴァン・ヘルシングは苦笑いを浮かべながら、そうか……と呟いた。

 馬車内に沈黙が流れ、ヴァン・ヘルシングはふと、カタリーナ姿の伯爵を横目に眺めた。

……カタリーナ・シーゲルといったな。伯爵の生前の妻の名か? 否。以前アルミニウス君から伯爵の生前のことを聞いたが、伯爵には2人の妻がいて、その中に“カタリーナ・シーゲル”という名はなかった。では、一体……。

 ヴァン・ヘルシングはカタリーナの方に向き直り、口を開いた。

「伯爵」

「何だね?」

 カタリーナがヴァン・ヘルシングの方を向く。

 ヴァン・ヘルシングは小さく息を吐き、カタリーナに尋ねた。

「“カタリーナ・シーゲル”とは誰なんだ?」

 ヴァン・ヘルシングからの質問にカタリーナ――伯爵は目を見開いた。

「何故……その名を……?」

 カタリーナは驚愕した表情で聞いてきた。カタリーナの様子にヴァン・ヘルシングは困惑した。

「何を言ってる? お前が初めて私にその姿を“お披露目”した時に、そう名乗ったではないか」

 カタリーナは目をパチクリさせ、そうだったか……? と呟くように言うと馬車の窓の外の方に顔を向けてしまった。

「はて……誰だっただろうな……?」

 カタリーナは素っ気なく言ったが、どこか物悲しげな雰囲気を醸し出しており、静かにヘッドドレスの黒いベールを顔に掛けてしまった。

 ヴァン・ヘルシングは気まずくなり、自身も窓の外に顔を向けた。

 ホーエンツォレルン城へは順調に進んでおり、今のところ狼との遭遇はなかった。ただ、少しずつだが空気がひんやりと冷たくなってきている。

「いやぁ、これじゃ数時間後には雪が降ってきそうです」

 馭者がヴァン・ヘルシングとカタリーナに言った。

 先ほどまで綺麗に出ていた月はいつの間にか、分厚い灰色の雲に覆い隠されてしまっていた。

 木々の間からホーエンツォレルン城が見え始めた。そして辺りから狼たちの遠吠えも聞こえ始めたのだ。

 馬車が一気に速度を落とした。

「伯爵」

 ヴァン・ヘルシングは横目にカタリーナを見た。

「分かっておる。狼どもが来たら余が追い払ってやろう」

 しばらくして馬車はホーエンツォレルン城間近に迫ったところで馭者が突然馬車を止めると、恐怖に慄いた表情で振り返った。

「旦那さま方、申し訳ないが、これ以上は城に近づきたくない。ここから歩いて行ってくれ。言うだろ? “Denn die Todten reiten schnell【ドイツ[以下:独]語、死者は急いで馬を走らせる】.”って! おいらはこれ以上“墓地に向かって”走りたくない」

 馭者はビュルガーの『レノーレ』の一節を叫ぶように言うと、馬車を降り、黙々と積荷を降ろしていった。

 最後に土の入った長持ちを持とうとしたが、普通の人間が持ち上げられるわけもなく、馭者は焦り、慌てながら長持ちを降ろそうと苦戦する。

 ヴァン・ヘルシングは小さくため息をつき、カタリーナにうなずいてみせた。カタリーナは少々不満そうに片方の眉を上げると、馭者の横から長持ちを軽々と持ち上げ、馬車から降ろした。

 馭者はカタリーナの怪力に恐れおののき、悲鳴を上げながら急いで馬車に乗ると、馬を走らせて引き返してしまった。

 鬱蒼とする暗い森のど真ん中に二人は置き去りにされたのであった。

「さて、ここからは歩き、だな」

 ヴァン・ヘルシングは降ろされた鞄を両手に持った。

「あのまま馬車をぶん取ればよかったのではないのかね? どうせ長持ちを持てるのは余だけだったものの……」

 カタリーナは少々悪態をつくものの、長持ちを軽々と頭上に持ち上げ、ヴァン・ヘルシングの横についた。少女の姿であの重い長持ちを持ち上げているのは実に摩訶不思議な光景だった。

 二人はホーエンツォレルン城、城門までの長い道のりを登り、ようやく城門前までやってきた。城の門は開いており、灯りを持った城の従者たちが待ち構えていた。

「Guten Abend【独語:こんばんは】、旦那様、ご令嬢」

 がたいの良い一人の従者が丁寧に会釈をした。

「こんばんは」

 ヴァン・ヘルシングは荷物を降ろすと、シルクハットを脱ぎ、会釈をした。カタリーナは品良くお辞儀をする――無論、従者の目に止まる前に長持ちは降ろした――。

「ハイゼンベルクから参った、ヨハン・フォン・ヴィルヘルムと、我が娘、エリーゼだ」

 ヴァン・ヘルシングは燕尾服の上着のポケットから招待状を出すと、従者に差し出した。

「これはヴィルヘルム様! 遥々ハイゼンベルクから良くお越しくださいました! ささ、お荷物はわたくし目が! 部屋にご案内させていただきます。……馬車の方は……?」

 従者は辺りを見渡した。

「この森の途中で車輪が壊れてしまってね。ここまで歩いてきたというわけさ」

 ヴァン・ヘルシングは慣れた様子で答えた。

「そうでしたか」

 従者はカタリーナの横に置いてある長持ちに目をやる。

「こちらはエリーゼ様のですね? お運びします」

 そう言うと従者は、なんと、土の詰まったあの重い長持ちを軽々と持ち上げてしまったのだ! ヴァン・ヘルシングは内心驚き、身構えた。

……人間があれを軽々と持てるとは思えん。この従者はまさか……。

 従者は長持ちを肩に担ぎ上げ、もう片方の手でヴァン・ヘルシングの鞄を持つと、城内へと案内していった――カタリーナはヴァン・ヘルシングに“お入り”、と言ってもらい入った【原典で伯爵は、ジョン・セワードの病院に侵入する際、入院患者であるレンフィールドをそそのかして招き入れてもらった】――。






※私の手元にある原文版で、

「Denn die Todten “reiten” schnell.――For the dead “travel” fast.」

 翻訳本では、

「死者は速やかに旅をせん」

とあるのですが、ドイツ語の表記で“reiten”は『馬に乗る、乗馬』という意味だったので、僭越ながら、作中では

「死者は急いで馬を走らせる」

と訳させていただきました。

 実際この一節が出る、ビュルガー(ドイツ人)の『レノーレ』では、馬に乗って旅をしていたので(旅なんだろうか? 墓場に向かってるというのに……)、だから英語に翻訳された際、“travel(旅行)”と訳したのかな? と……。

 まあ、要するに原文の方を翻訳させていただきました。







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