5 シュヴァルツヴァルトへ

 ベルガー公爵家発足200年を祝う舞踏会まで、あと1週間を切った。

 昼間、ヴァン・ヘルシングはアムステルダム市立大学の研究室で旅の準備をしていた。

 万が一ベルガー公爵が不死者だった場合として、吸血鬼退治の道具や、いつも持ち歩いている鞄の中の手術道具を抜かりなく確認する。

 アムステルダムからシュヴァルツヴァルトへは、鉄道や馬車を使って、約3日ぐらい掛けて行く予定だ。

 ヴァン・ヘルシングは机の脇に置かれてある棺――今は伯爵が“不在”――を見下ろした。

……伯爵はどうやってシュヴァルツヴァルトに行くんだ?

 伯爵とて日中行動することは多少は可能だろうが、滞在先での“睡眠”はどうするのだろうか? 棺を持っていくのか? こんな大きな棺を持ち運ぶのは……目立つ。


 3日前。

 突然伯爵が、少しの間留守にする、と言ってきたのだ。

 どこに行くのか尋ねると伯爵は、トランシルヴァニアに、と答えた。

 一体何をしに? まさか私の元から逃げる気では? とヴァン・ヘルシングは考えたが、その時は家とここ――研究室――にある棺、2つをぶっ壊すまでだ、と心に決めていた。だが、それは杞憂に終わったのであった――。


 話を戻して。

 ヴァン・ヘルシングが空っぽの棺を見つめていると、研究室の扉がコンコンと音を立てた。

「どうぞ」

「失礼します」

 扉を開けたのはバースだった。

「アドリアン君、どうしたんだい?」

 ヴァン・ヘルシングは椅子から立ち上がり、バースを迎えた。

 バースは荷台を押しており、その荷台には大きなアンティークの、頑丈そうな木製の長持ち(衣装ケースのこと)が乗せられていた。

「先生、トランシルヴァニアからお荷物です。すごく重いです……」

「トランシルヴァニア? まさか……」

 ヴァン・ヘルシングは長持ちに駆け寄り、蓋を開けようとすると、長持ちの蓋が一人でに開き、その隙間から青白い肌の、爪が尖った手がにゅっ、と出てきたのだ!

 ヴァン・ヘルシングとバースは飛び上がった。

「うわぁっ!」

「ぎゃっ!」

 蓋が完全に開き、長持ちから“起き上がって”きたのは伯爵だった。

「待たせたね、ヘルシング君」

 伯爵が面白おかしそうな表情でヴァン・ヘルシングとバースを眺めては続けた。

「滞在先では棺より“こちら”の方が良かろう。誰も長持ちの中身が“土”とは思うまい」

 ヴァン・ヘルシングは伯爵が出てきた長持ちを興味深そうに見下ろした。

 確かに長持ちの中身は土だった。きっと伯爵の地元であるトランシルヴァニアの土が敷き詰められているのだろう。

 吸血鬼である伯爵とて自身の棺があろうと、住み慣れた場所の“土の上”で眠らなければ力を回復することが出来ないのだ。

「税関はどうやって突破したんだ? ずっと長持ちの中にいたのだろう?」

 ヴァン・ヘルシングの問いに伯爵はニンマリと口角を上げた。

「君宛だと怪しまれないな。流石は教授殿」

「私の名前を悪用するな! 褒めてないだろうっ?」

 全くっ……とヴァン・ヘルシングは腕を組んで、眉を潜めた。

「シュヴァルツヴァルトへは、これを持っていく」

 伯爵はそう言うと、土を巻き立てないように長持ちの蓋を静かに閉めた。

「なるほど。確かに外見は衣装ケースにしか見えないな」

 ヴァン・ヘルシングはあごに手を当て、うんうん、とうなずいた。

「先生、気をつけて行ってきてください。そして必ずシュヴァルツヴァルトの吸血鬼の話を聞かせてください!」

 バースは目を輝かせヴァン・ヘルシングの手を取り、握った。

「まだ吸血鬼と決まったわけでは……」

 ヴァン・ヘルシングの戸惑いの表情も虚しく、バースはいそいそと研究室を後にしていった。 


 夕刻。

 ヴァン・ヘルシングはシュヴァルツヴァルトへの旅の計画を立てていた。伯爵はソファーに腰掛け、ココアを嗜みながら医学書を読んでいる。

 その時、ヴァン・ヘルシングが唸り、万年筆を放った。

「駄目だ。資金が足りない……」

 伯爵が振り向く。

「招待状と一緒にあるその金貨は何だね?」

「ヴィルヘルム伯爵からの依頼料だ……。だが私は、相談事に対して対価をもらうつもりはないんだ。本業は大学教授で医者だ。吸血鬼退治は言わば研究のために行っているだけであって、金をもらうつもりはない。もらった依頼料は返却する」

 そう言いながらヴァン・ヘルシングは、真剣な眼差しで伯爵を見た。

 伯爵はおもむろに立ち上がると、ヴァン・ヘルシングの目の前に立ち尽くし、彼を見下ろした。

「ならばこの余が、君のパトロンになってやろう」

「は?」

 ヴァン・ヘルシングは目を丸くし、伯爵を見上げた。伯爵は目を細めて続ける。

「余には、使い道のない金がたんまりとある。どうかね?」

「しかし――」

 ヴァン・ヘルシングが困惑しているのを他所に伯爵は、ポールハンガーに掛けてある上着から布の袋を取り出すと、ヴァン・ヘルシングの前に静かに置いた。

 ジャリ、と金属がぶつかり合う音がし、袋の口が緩んでいたためか、中身が露になる。随分と古い大量の金貨が顔を出した。

「さあヴァン・ヘルシングよ、これで汽車の切符を買い、馬車を呼ぶのだ。そして吸血鬼の根城に乗り込み、滅するがいい!」

 伯爵は声高らかに言った。

「伯爵はどうする? 私が吸血鬼を滅ぼすということは、伯爵の“同胞”を消し去るということだ。お前は黙って見過ごすというのか?」

 ヴァン・ヘルシングは眉を潜めた。

 伯爵は落ち着いた様子で返した。

「余の“血族”はもういない。君たちに“消されて”しまったからね。それに、こうして落ち着く場があるというのに、吸血鬼を増やして何になるのかね? 余の飲める血が減る」

【原典で、伯爵の城にいた女吸血鬼3人やルーシー・ウェステンラはヴァン・ヘルシングたちが滅ぼした。吸血鬼は自殺した人間の墓や、血族にした吸血鬼の墓で休んだりする】

 ヴァン・ヘルシングはそうか……と呟くものの、伯爵が置いた袋に手を伸ばすことはなかった。


 4日後の朝、ヴァン・ヘルシングは馬車でアムステルダムを出発した。

 伯爵は長持ちの“中”で、馬車の上に乗っている。

 土の入った長持ちは馭者やヴァン・ヘルシングの二人では到底持ち上げることが出来なかったので、伯爵自ら持ち上げ、車体に乗せ、そのまま長持ちの中に潜り込んでしまった。

 馭者はびっくりしていたが、ヴァン・ヘルシングは何とか誤魔化した。

 約半日以上を掛けてオランダを出ると、深夜、オランダとドイツの国境で馬車を乗り換え、マンハイムを目指した。

 ドイツのマンハイムへも半日以上を掛けた。

 道中鬱蒼とする森の中を抜けるのだが、やはり狼が旅人を乗せる馬車を襲うという話を、同乗する客から聞いた。

 つい先日ヴァン・ヘルシングも、ハンガリーから戻る際に狼に遭遇した。だが今回は、全くと言って良いほど、遠吠えは聞こえるが、狼とは遭遇しなかった。伯爵も“同乗”しているからだろうか? 

 そんなことを思いつつ、ヴァン・ヘルシングは馬車での道中、仮眠を取った。

 アムステルダムを立って3日目の朝。ドイツのマンハイムに着いた。

 本当ならケルンで汽車に乗ってマンハイムに行きたかったのだが、汽車と馬車では料金に雲泥の差があったのだ。

 ヴァン・ヘルシングは馬車の車体に足を掛け、乗り上げると、車体の上の長持ちをコンコンと静かにノックした。すると長持ちの蓋が薄らと開き、青白い手がにゅっと出てきた。

「Bună dimineața【羅語︰おはよう】」

 伯爵がそっと顔をのぞかせた。

「あ、ああ……。お、はよう……」

 ヴァン・ヘルシングは戸惑ったように返した。

「マンハイムに着いた。次は汽車に乗るぞ」

「了解した」

 伯爵は長持ちから華麗に飛び降り、地面に着地すると、馬車から長持ちを軽々と降ろしてしまった。

 この黒ずくめの男はずっと長持ちの中に入っていたのかっ!? と言いたげな表情の馭者に、ヴァン・ヘルシングは少々多めに金を払い、口止めをした。

 マンハイム駅で汽車に乗る。

 伯爵の長持ちは貨物の方に乗せ、ヴァン・ヘルシングと伯爵は一等車に――本当は節約のために三等車の切符を買おうとしたのだが、伯爵が横から金を出してきた――乗り込んだ。

 一等車はあまり人が乗っておらず、静かで落ち着けた。

 ふかふかの上質なシートにヴァン・ヘルシングは疲れた様子で腰掛けた。

 そんなヴァン・ヘルシングを伯爵は見下ろした。

「“御老体”には少々きつい旅かね?」

「すまん、少し寝かせてくれ……」

 ヴァン・ヘルシングは呟くように言うと、睡魔がやってきたのか、帽子を目深に被り、寝息を立ててしまった。

 伯爵は静かに、彼の隣に腰掛けた。

 

 生温かな空気と、氷のように冷たいものが首筋に触れたような気がして、ヴァン・ヘルシングは目を覚ました。

 視界に飛び込んできたのは、伯爵の肩口だった。

 瞬時に視線を動かすと、なんと、伯爵が彼の首元で口をあんぐりと開け、象牙のような白い牙を露わにしているではないか!

 ヴァン・ヘルシングは目をかっ開き、とっさに体を反らした。

「ああ、起きてしまった。もう少しだったというのに……」

 伯爵は残念、というよりかはからかうように言った。

「やめろっ。ちゃんと針と管は持ってきた! それに今は昼間だろう!?」

 ヴァン・ヘルシングは首筋を守るように手で押さえながら伯爵を睨んだ。


 オッフェンブルク駅に着くと、汽車を乗り換え、フィリンゲン駅を目指した。

 シュヴァルツヴァルトのフィリンゲンに着いた頃には正午を過ぎていた。

 フィリンゲンの町はとても静かで、古風な町並みだった。

 ヴァン・ヘルシングは上着の胸ポケットから真新しい銀製の懐中時計を取り出すと、頭上を見上げた。

 見上げた先には時計塔があり、ヴァン・ヘルシングは懐中時計の裏蓋を静かに開けると、鎖に付いている小さな鍵状の物を、時計本体の裏側の、中央の鍵穴に差し、ゆっくり回すと時刻を時計塔の時刻に合わせた。

 伯爵はヴァン・ヘルシングの持つ懐中時計を見つめた。

 ヴァン・ヘルシングの懐中時計には鍵の他に小さなコウモリ扇(扇子)をモチーフにしたコンパスのフォブが付いていた。

【コウモリ扇は、中世ヨーロッパ宮廷での女性貴族たちの必須アイテム(社交場で表情を隠すのに)→実は大航海時代に中国経由で日本からヨーロッパに伝わったものである】

「ほう、新品の懐中時計かね?」

「え? ああ」

 ヴァン・ヘルシングは時刻を合わせ終え、伯爵の前にかざして見せた。

「実はハンガリーに行く前に、私の教え子が東の国日本で医師をやっているんだが、その教え子に呼ばれて1ヶ月ほど滞在したんだ。旅先で、使っていた時計が故障してしまって、代わりを横浜で購入した。ダボ押し式のも考えたが、私には“これ”が慣れているんでね。少し奮発してしまった……」

「短期間で東の果てまで行ってたのか……。教授殿はご多忙だ」

「現役の頃のお前に比べれば……。ワラキア公国の元君主様」

 ヴァン・ヘルシングは皮肉を込めて返したつもりだったが、伯爵はそれを知りつつ鼻で笑い、言った。

「ご謙遜を……」

 ヴァン・ヘルシングは伯爵の様子になげやりにため息をつき、懐中時計を胸ポケットにしまった。

「日本にはイギリス経由で行った。その時にジョナサン君とミナさんと息子さんに会ってきた。3人共元気にしてたよ……」

 ヴァン・ヘルシングは数ヶ月前のことを思い出し、つい顔がほころんでしまった。

 ふと、伯爵を見上げれば、後ろめたそうにそっぽを向いていた。

 ヴァン・ヘルシングは慌てて話題を変えた。

「日本には初めて行ったが、不思議な文化だった。男も女も、皆揃って服の――着物と言うんだが――前の合わせ目が、自分から向かって右前なんだ! 何故女性も右前なのか、と聞いたら、『左前だと死人になってしまう』と言われたよ。本当に興味深かったよ……」

 そっと伯爵を見上げれば、伯爵は少し頼りなさげな表情を浮かべていた。

 気まずくなったヴァン・ヘルシングは大きなため息をつき、打って変わって、フィリンゲンの町を堂々と歩き出した。

「先ずは落ち着ける場所を探すぞっ?」

「……了解した」

 暗くならないうちに宿を探し、ひと先ずそこに落ち着いた。

 今夜、ベルガー公爵家の舞踏会がホーエンツォレルン城で開かれる。

 ヴァン・ヘルシングは今一度、持参した道具を確認し、あと燕尾服もハンガーに掛け、準備した。

 無論ヴィルヘルム伯爵の身代わりとしていくのだ。いつもの恰好で行くわけにはいかない。

 宿の少々年季の入ったベッドの脇の、長持ちを眺めた。伯爵は今その中で眠っている。

 ヴァン・ヘルシングは窓の外に目をやり、傾き始めた太陽を見つめた。

……どうか杞憂であってほしいものだ。


 ヴァン・ヘルシングは舞踏会が始まる前にフィリンゲンの町へ出歩いた。地元住民からベルガー公爵のことを聞いてみようと思ったのだ。

 町ですれ違った村人に、ヴァン・ヘルシングは片っ端からベルガー公爵のことを聞くのだが、皆口を揃えて、口にするな! 目をつけられる! と怯えては足早に去ってしまうのだった。

 村人たちはベルガー公爵のことを恐れているようだ。

 近くの酒場に入ってみると、昼間からビールを飲みまくる男たちで賑わっていた。流石ドイツである。

 ヴァン・ヘルシングは帽子を脱ぐと、カウンター越しの店員にビールを一杯頼み、酔っ払う男たちの輪に近づいた。

「もし。私は旅をしてる者なんだが、この老人の疑問を聞いてはくれないかね?」

 顔を真っ赤にさせた大柄な男が一人、ヴァン・ヘルシングに歩み寄ってきた。

「旅人さんか! あとでうちの肉屋に寄ってくれると嬉しいね!」

「ああ、もちろん寄らせてもらうよ」

 ヴァン・ヘルシングの返事に気を良くした男は、それで疑問とは? と聞いてきた。

「実はここら辺を治めてるというベルガー公爵のことな――」

 ヴァン・ヘルシングの言葉に、一気に周りの男たちが静まり返った。すると男が慌てた様子でシーッ! と人差し指を口元に当て、潜めた声で言った。

「……じいさん、公爵に聞かれたら目をつけられるぞ?」

 男はさらに声を潜めた。

「最近この村や近くの村で子供たちが消えている。俺の向かいの家の子供もな? 噂じゃ公爵が夜な夜な拐ってるんじゃないか? ってな。ま、平民の俺たちにはどうすることも出来ないのさ……」

 男はしみじみとビールを飲んだ。

「では、そのまま子供たちを放って置くというのか?」

 ヴァン・ヘルシングは男にさらに話を聞き出そうと試みた。

「村の男たちの5人で公爵のことを調べてみたが、後日そいつらは不可解な死を遂げた。そして“死体が消えちまった”んだ」

 男の話にヴァン・ヘルシングは目を見開いた。

……死体が消えた? これは初めて聞く。

「不可解な死に方とは?」

「首に噛まれたような跡があった。“死ぬまで”はな? だが、死んだ直後首の傷はキレイサッパリなくなっていた」

 ヴァン・ヘルシングは男の話を聞いて悟った。

……首の噛み傷。死後その傷が綺麗になくなる……。ルーシー【原典の登場人物。ルーシー・ウェステンラ。伯爵に吸血され、死後吸血鬼となった】と同じ状況だ。ではその男たちも……。

 ヴァン・ヘルシングは深いため息をついた。

 どうやら今回の依頼は、杞憂では済まされないようだ。

 

 その後ヴァン・ヘルシングは酒場で話した男から、不可解な死を遂げた男たちの墓を教えてもらい、訪れた。

 墓地は誰も入ったり出たり出来ないように、鉄格子の門には鎖が巻かれ、南京錠で施錠されていた。

 死体が消えた怪奇事件が起こって以来誰も、恐怖で近づいていないらしく、墓地内は枯れた雑草で荒れ放題になっていた。

 ヴァン・ヘルシングは鉄格子を掴み、前後に振ってみるがビクともしなかった。確かに人間が入ることは難しそうだ。だが、“奴ら”の仲間入りをしてしまった者はこんな鉄格子は屁でもないのだ。

 日が沈んでしまえば、奴らはコウモリや狼、霧に姿を変え、難なく墓地を出たり入ったりしてしまうのだ。

 ヴァン・ヘルシングは辺りを見渡し、この墓地を管理している教会を探した。

 こじんまりとした教会を見つけ、その扉を叩くが、中からの返事はなかった。

 静かに扉を開けると、教会内は誰もおらず、カビ臭い臭いが漂っており、左右に並ぶ長椅子には薄らと埃が積もっていた。誰も礼拝に来てないと伺える。

 前方の祭壇に近づいても、同じく埃が被っていた。牧師も長らく不在の様子だ。

 恐れ多くも勝手に教会内の事務室に入り、墓地の鍵を手に入れると、すぐさま墓地の南京錠を解除し、墓地内に侵入した。

 死体がなくなったという5人の墓は分かりやすく土が掘り返されており、棺が剥き出しになっていた。

 ヴァン・ヘルシングは心臓が早鐘を打ち始めるのを悟りつつも、一つ目の棺の蓋に手を掛け、開けた。

「っ!?」

 ヴァン・ヘルシングは目を丸くした。

 棺の中身は空っぽだったのだ!

「まだ昼間だと言うのにか? 否っ――」

 ヴァン・ヘルシングは地面に両膝を突くと、棺を撫で回したり、擦ったりしてまんべんなく観察した。

 剥き出しになっている棺には土などの汚れがついておらず、綺麗だったのだ。

……この棺は……偽物?

 他の四人の棺も確認したが、どれもこれも空っぽで、異様に綺麗だった。

 ヴァン・ヘルシングは苦虫を噛んだように顔を歪ませ、しゃがみ込んだかと思うと両手で顔を覆った。

「神よ……。どうかこの老いぼれにお力添えを……」

 今からホーエンツォレルン城へ向かい、消えた5人の死体の、本物の棺を探そうとも考えたが、この村から城までは馬車でも1時間はかかるところで、今、吸血鬼退治の道具を持ち合わせていなかったヴァン・ヘルシングにはどうすることも出来なかった。

 空を仰げば、もう日が西の方に沈み始めていた。

 ヴァン・ヘルシングは急いで宿へと戻った。






※明治時代に入ると、各国の外国商館が懐中時計を日本に輸入し、販売していた。これを商館時計という。当時日本はグレゴリオ暦を導入し始め、時計の需要がとても高く、すぐに売り切れてしまったとか。といっても、当時では高級品に分類される。

 因みに作中でヴァン・ヘルシングがもつ商館時計は、スイス商館、ファブルブラント商会の、準高級品に分類される攫獅子印の、“鍵巻き式”の懐中時計の設定。

 鍵巻き式とは、懐中時計本体とは別に小さな鍵状の付属品があり、それを使ってゼンマイの巻き上げや時刻合わせをしていた。要するに竜頭がない。16世紀から20世紀初頭まで作られていた。

 ダボ押し式とは、懐中時計本体の側面に小さなボタンがあり、そのボタンを押しながら竜頭を回すことによって時刻合わせが出来る。ボタンを押さずに竜頭を回すとゼンマイの巻き上げが出来る。19世紀後半から20世紀半ばまでその形式があった。その他に剣引き式というものもあった。

 それ以降は竜頭式が主流に。竜頭でゼンマイの巻き上げや、竜頭を引き出すことで時刻合わせが可能。20世紀後半まで。

 20世紀後半以降はクォーツ、電池式へと切り替わっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る