13 地下へ

 ヴァン・ヘルシングは、自身の前を進む伯爵の後について行き、自分が昨夜囚われていた牢獄を目指した。

 伯爵が向かった先は、なんと礼拝堂だったのだ。ヴァン・ヘルシングはそれに戸惑いを隠せず伯爵に問い掛けた。

「ここは礼拝堂じゃないか。ここの墓は――」

 伯爵はヴァン・ヘルシングに構わず礼拝堂内に入った。ヴァン・ヘルシングは怪訝な顔であとに続く。

 昨日と変わらず礼拝堂内はしんと静まり返って、厳かな空気が漂っていた。ただ祭壇の位置が大幅にずれていた。

 ヴァン・ヘルシングは伯爵の動向を見守った。

 伯爵はためらうことなく正面の祭壇まで進むと、祭壇が元々あった場所の床を指さした。

「これだ。エイブラハム」

 ヴァン・ヘルシングは伯爵が指差す床をのぞき込み、目を丸くした。

「礼拝堂の下に地下牢があったとはっ……。悪趣味な……」

 そこには地下へと続く隠し扉があったのだ。その隠し扉を開けると、下へと続く階段が現れ、奈落の底へと向かっていた。

「明かりが必要だ」

 ヴァン・ヘルシングはそう呟くと、持ってきた鞄を漁り、杭とマッチを取り出した。

「本当は杭を無駄遣いしたくはないんだが……。いざという時はナイフで対処しよう」

 そう言うとヴァン・ヘルシングは伯爵に杭を持たせ――杭を持たされた伯爵は微妙な反応を示した――、マッチを擦ると杭の先端に火を灯した。

「お前は夜目が利くかもしれないが、俺は利かないからな」

 ヴァン・ヘルシングは伯爵から火の点いた杭を受け取ると、空いている手で地下へと続く階段を手で示した。

「お先にどうぞ」

 ヴァン・ヘルシングの“お先にどうぞ精神”に伯爵は眉を潜めた。

「俺に火を点けるでないぞ?」

「分かってるさ」

 伯爵を先頭に二人は地下への、石造りの階段を降りていった。

 下に降りていくにつれ肌寒く、ジメジメした空気と、鼻を突く臭いが強くなっていった。

 一番下に着くと、ヴァン・ヘルシングは火の点いた杭を掲げ、辺りを照らした。やはり礼拝堂の下は牢獄だった。

 地面には黒い土が敷き詰められ、石造りの壁が奥の方まで続いている。壁に沿って進むと広いところに出た。壁には鉄格子がはめ込まれ、その奥には白骨化してバラバラになった死体がいくつかあり、ヴァン・ヘルシングは顔をしかめた。

……こんなところに私は閉じ込められていたのか……。

 ヴァン・ヘルシングを先導する伯爵は、迷路のような地下牢を、どんどん奥へと進んでいく。時折足元をネズミがチョロチョロと通り過ぎていった。

 どのぐらい歩いたのだろうか? 長い時間地下を進み、伯爵が立ち止まった。その先には立派な棺が一つ、土の上にそのまま置かれてあった。

「あれはっ……!」

 ヴァン・ヘルシングが棺に駆け寄った。その後ろから伯爵もついてきた。

「ちょっと照らしててくれ」

 ヴァン・ヘルシングは伯爵に、火の点いた杭を押し付けるように持たせると、棺の脇に膝を突いた。深く息を吐き、両手を擦り合わせると、棺の蓋に手を掛けて棺の向こう側に思いっ切り押していった。棺の蓋がゴトンッ! と地面に落ち、派手な音が辺りに響き渡り、木霊した。

 棺の中から、“死人のように――死人だが――”横たわり、真っ赤な目をかっ開いて、口の端から先ほど吸血した子供の血を滴らせたベルガー公爵が現れた。

 ヴァン・ヘルシングと伯爵は、眠っているベルガー公爵をのぞき見た。ヴァン・ヘルシングはそっと手を伸ばすと、ベルガー公爵の顔の前で手を振ってみた。が、ベルガー公爵はうんともすんとも言わなかったし、それどころか呼吸すらもしていなかった。

「こう見ると、吸血鬼も無防備なことよ……」

 ヴァン・ヘルシングの背後で伯爵が呟くように言った。

「いやいやいや、お前が言うか?」

 そう反論しつつヴァン・ヘルシングはふと、疑問に思った。

……こうして“眠っている”間は、本当に意識がないんだろうか?

「なあ、ヴラド」

 ヴァン・ヘルシングが伯爵を見上げた。

「何だね?」

「こうして眠っている間は、意識はあるのか?」

 ヴァン・ヘルシングからの質問に伯爵は即答した。

「ない」

【原典で伯爵は、城で眠っている際にジョナサン・ハーカーにシャベルの先端で額をど突かれたが、起きなかった】

「では、一度眠ってしまったら、日が落ちるまで目覚めないということか? なら何故マンハイムに着いた時、長持ちから出てこれた?」

「何だ? 眠って良かったのかね? 俺が眠っていたら君や馬車に同乗していた者たちは森に潜む狼たちの餌食になっていただろうに……」

 伯爵は眉を潜め、ヴァン・ヘルシングを見下ろした。

「そ、そうか……。それは心配を掛けたな……」

 ヴァン・ヘルシングは詫びるように返すと、ベルガー公爵の眠る棺に向き直り、持ってきた鞄を脇に降ろした。中身を漁り、木槌や予備の杭を取り出すと憂鬱な表情を浮かべた。

 7年前、ドラキュラ伯爵を滅ぼすべくトランシルヴァニアの伯爵の城を訪れた際、一人で、そう一人で! 城にいた女吸血鬼3人を、ヴァン・ヘルシングが滅ぼしたのだ。その時に感じた、自分は殺人者になってしまったのではないか? という感情が呼び起こされてしまったのだ。相手は不死者だと分かっていても、眠るその姿はまるで生者のように、頬に血色があり、白く、ふっくらとしていた。

 ヴァン・ヘルシングは深いため息をついた。

「……俺一人でやる。ヴラドは見えないところにでも――」

「案ずるな、手伝おう。こう見えて俺はもう7人を“やっている”」

 伯爵の言葉にヴァン・ヘルシングは驚愕し、伯爵を見上げた。伯爵は早速空いている手で一振りの剣を構えていた。

「そう言っていただけると助かる……」

 ヴァン・ヘルシングは安堵したように言うと、木槌と杭を両手に持ち、ベルガー公爵の胸の真上に構えた。そして木槌を高くかざすと一気に杭の頭に向かって振り下ろした。杭の先端がベルガー公爵の胸に突き刺さった。刹那、ベルガー公爵は目を勢いよく見開き、口から血の泡を吹き出した。

「がはっ!!」

 ベルガー公爵は悲鳴を上げたかと思えば身を捩り、悶え始めた。ヴァン・ヘルシングはまた木槌を振り下ろして、杭をさらに打ち込んでいった。

 少しして、ベルガー公爵は目を閉じ、静かになった。ようやくベルガー公爵に本当の死が訪れたようだ。

 ヴァン・ヘルシングは額に玉のような汗を流しつつその場に座り込んだ。

「ヴラドすまん、後は頼んだ……」

 ヴァン・ヘルシングは疲れ果てたように言った。

「了解した」

 伯爵は火の点いた杭をヴァン・ヘルシングに手渡すと、剣を構え、ベルガー公爵の死体に歩み寄った。胸に突き刺さった杭を掴み、ベルガー公爵の上体を起こすと、伯爵は剣を一文字に振り払いその首を切り落とした。とたん、ベルガー公爵の死体は塵となって崩れ、消えていった。それを見届けたヴァン・ヘルシングは安堵のため息をもらした。

「大丈夫かね? エイブラハム」

 伯爵がヴァン・ヘルシングに手を差し伸べ、彼を立ち上がらせた。

「ああ……。還暦を過ぎると、心身ともに疲れやすいとくる……」

 ヴァン・ヘルシングは苦笑いを浮かべながら返した。

「ならば、吸血鬼の仲間入りを果たして“若返る”かね? あの“ドイツの学者”のように」

 伯爵が口角を上げ、冗談まがいに言ってきた。

「おい! お前は、自分は“メフィストフェレス”だと言いたいのか?」

 ヴァン・ヘルシングは、伯爵の言葉が冗談だと分かっていても、聞き捨てならない、といった様子で尋ねた。

「君も同じ学者だろう?」

 伯爵が平然とした様子で返してきた。ヴァン・ヘルシングはふと、伯爵が自分の元にやって来た時のことを思い出し、――こいつは犬に化けてやって来た!――首を勢いよく左右に振った。

「俺はまだ人生に退屈も、落胆もしていないぞっ?」

【ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ファウスト』にて、年老いて人生に退屈と落胆を感じた学者ファウストの前に、黒い犬の姿で悪魔メフィストフェレスが現れる。ファウストはメフィストフェレスと契約をして若返り、やりたいことの限りを尽くす】

 ヴァン・ヘルシングは服や鞄についた土を払った。

「早くここを出よう。息が詰まりそうだ。そろそろ地上の空気が吸いたい……」

 ヴァン・ヘルシングはげっそりとした表情を浮かべ、足取り重く、元来た道を進んでいった。伯爵も彼に続いた。

 道中、ヴァン・ヘルシングは上着の胸ポケットから銀製の懐中時計を取り出し、現在の時刻を確認しようと杭に灯してある火で時計を照らし出すと、既に午後の3時を示していたのだ。ヴァン・ヘルシングは驚きの表情を浮かべた。

「もうこんな時間だ! 外はもう夕方のはずだ! 早く戻って、子供たちのっ――」

 突然ヴァン・ヘルシングが頭を押さえ、よろけた。火の点いた杭が足元に転がった。

「“ブラム”ッ」

 倒れかかったヴァン・ヘルシングを伯爵がとっさに抱き留めた。ヴァン・ヘルシングは息を切らしており、顔色が悪かった。そんな彼を伯爵は静かに横抱きにした。

「昨日の今日だ、まだ貧血が治っていないようだね」

 ヴァン・ヘルシングは弱々しく伯爵のマントの襟にしがみ付き、今にも眠ってしまいそうな表情で伯爵を見上げた。

「……先ずは子供たちの……その後にココアが飲みたい……」

「了解した。軽食も作ろう」

 ヴァン・ヘルシングは申し訳無さそうに伯爵の胸に頭を預け、目を閉じた。

 伯爵はヴァン・ヘルシングを起こさないよう、ゆっくりとした歩調で地上を目指した。






※近年の吸血鬼もの(とくに『吸血鬼ドラキュラ』のリメイク児童本とか。私が初めて読んだのは小学生の時で、金の星社から出版された『ドラキュラ』でした)で吸血鬼退治の時、退治人は何のためらいもなく吸血鬼の心臓に杭をぶっ刺していますが、原典では、鉄の意志を持つヴァン・ヘルシングですら、眠っている吸血鬼の心臓に杭を刺すことに躊躇してしまう描写があります。

 ホント、原典読んでほしいっ!

 インテグラじゃないけど、『詳しくはブラム・ストーカーを読め』って言いたい!

 私が参考にさせて頂いてる原典翻訳版は角川文庫と創元推理文庫、水声社、光文社です。今のところとくに参考にさせて頂いてるのが光文社で、サブとして水声社、角川文庫です。創元推理文庫も古風な言い回しで(流石平井先生……)どの翻訳本よりも登場人物たちの性格をイメージしやすいのですが、何分20世紀初頭から後半の方でしたから、21世紀の筆者には……。どうも登場人物たちの口調が時代劇っぽいです(笑)。伯爵が『ムハハハハ!』と嗤う……。

 もし本作を読んでいただいて、原典を読みたくなった! てなっていただけましたら、私は今のところ光文社をおすすめします。

 原典は元々英語――それも古典の!――なので、翻訳者によって翻訳の仕方は変わりますし、誤訳だったということもありますし、ブラム・ストーカー氏はヴァン・ヘルシングがオランダ人ということを配慮して、カタコトの英語を話しているという設定にしていたみたいで、私も実際ヴァン・ヘルシングのセリフを訳している時、何か、変じゃない? と思いつつ訳してました……。でも日本人に初めて英語を教えてくれたのはオランダ人なのに……(確かそのハズ。日本が鎖国の時代に)。







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