12 正体

 ヴァン・ヘルシングは懐中電灯で行く先を照らしつつ、馬を走らせながらふと、考え事をした。

……まさかヴラドにあんな事を言われるとはな……。

『“You must not die.”』

 ふっ、と一笑するとさらに馬の速度を上げた。

 チェイテ城入口前の、以前テントを張ったところに馬を留め、その場に降りた。

 懐中電灯を顔と肩の間に挟み、手元を照らすと鞄を漁り、ランタンやオイル、杭、マッチを取り出す。

 マッチを擦り発火させるとランタンに火を灯した。次いで木製の杭の先にも火を点け、松明の代わりにする。

「ちょっと待っててくれよ」

 ヴァン・ヘルシングは馬の首を撫でながら言うとその足元にランタンを置き、鞄や伯爵から渡された剣、準備したものを携え、チェイテ城へと向かった。

 城の入口前に着くと辺りを気にしながら城壁を潜り、まっすぐ城門を目指す。城内は異様に静かで、それが不気味さを醸しだしていた。

 城門前に着くとヴァン・ヘルシングは持っていたオイルを撒き始めた。ランタン用のオイルなのでごく少量だが火を点けるには十分だ。

 城門の影からそっと中庭をのぞき込んだ。

 前回来た時は生ける屍たちが蠢いていた。その光景はヴァン・ヘルシングにとってトラウマだったのだ。

 霧が濃くて見えづらかったが蠢くものは何も無い。

 ヴァン・ヘルシングはひと先ず安堵のため息をつくと、火の点いた杭を掲げ、城門を潜った。

 中庭を横切り、城の中心部にある塔の地下室を目指す。

 塔や地下室までの道のりには、邪魔をするものや障害物などは何もなかったのだ。

 まるで、誘い込まれているようで――。

 ヴァン・ヘルシングは、考えすぎか? と思いつつ地下室の入り口である錆び付いた鉄製の門を用心深く、慎重に開けた。

 地下室内は以前と同じく悪臭が漂い、恐ろしい拷問器具が所狭しとあった。物の位置も前と同じだ。

 ヴァン・ヘルシングは懐中電灯で室内を照らし、拐われた娘を手当り次第探した。

 手の込んだ“隠し方”をしていると思いきや、娘はいとも簡単に発見出来た。

 娘は四肢を固定する台に磔られており、気絶していた。

「ソフィアさん!」

 すぐさま駆け寄ると、ヴァン・ヘルシングは娘の顔を松明で照らしながらその頬を優しく叩いた。すると娘は薄らと目を開けたかと思うと、恐怖に再び目をギュッと閉じ、体を震わせた。

「“ただれた顔”の女がっ!」

 娘の叫び声にヴァン・ヘルシングは耳を疑った。

……ただれた顔の女……?

 ヴァン・ヘルシングは変な焦燥感に駆られつつ、娘の手脚を固定しているベルトを外していった。

「ソフィアさん、歩けますか?」

 ようやく自由になった娘は磔台から降りようとするも、顔を歪ませて右の足首を押さえた。

「足首が痛いです……」

 娘が今にも泣きそうな声で言った。

 ヴァン・ヘルシングはまさか! と思い、失礼、と詫びながら娘の右の靴を脱がし、その足首を松明で照らして確認した。

 もしかしたら吸血鬼に噛まれたのでは? と不安に思ったが、娘の足首は大きく腫れ上がっているだけで噛まれた痕はなさそうだ。

 内心安堵したヴァン・ヘルシングは小さくため息をつくと、娘に靴を履かせ、外套を脱ぐと娘の肩に掛けた。

「私に掴まってください」

 空いてる手を差し出すと、足を怪我した娘を連れてヴァン・ヘルシングは、ゆっくりと――本当は急いで地上に出たいのだが――周囲に気を張り巡らせながら石階段を登り、途中娘が転びそうになるも塔の外へと出た。

 中庭手前まで来ると、城壁の角からそっとのぞき見る。

 ヴァン・ヘルシングは愕然とした。

 濃い霧の中、中庭には人のようなものが地面を這うように蠢いていたのだ。それもたくさん、だ。だが中庭を抜けるにはこの生ける屍たちを越えていかなければならない。

 ヴァン・ヘルシングは火の点いた杭を娘に手渡すと、地面に鞄を置き、もう一本杭を出した。

 新たに取り出した杭にも火を点けると、ヴァン・ヘルシングは娘を真剣な眼差しで見つめた。

「ソフィアさん、ここを出たら命懸けで右に向かって走ってください。そちらに城門があります。さらに城壁を出ると馬を待たせてあります。それに乗って村まで行ってください」

「あなたはどうされるの!?」

 娘が不安げにヴァン・ヘルシングの腕を掴んだ。

「私にはやるべきことがありますので」

 そう返したヴァン・ヘルシングは掴まれた腕から娘の手を優しく離すと、腰の剣をゆっくり引き抜いた。

「さあ、行って! ソフィアさんの後ろは私が守ります。何が襲いかかってきても、松明の火で払い除けてください」

 さあ! とヴァン・ヘルシングは娘を駆け出させた。

 城壁の角から出るや否や、娘は目の前に広がるおぞましい光景に悲鳴をあげた。

 生ける屍たちが娘の悲鳴に反応し、ゆっくりとだが、次々とこちらに迫ってきたのだ! すかさずヴァン・ヘルシングが目の前にいた屍に松明の火を点けた。とたん、屍は藻掻き苦しみ、耳をつんざく不快な“音”をあげ、たちまち不気味な黄緑色の炎に包まれた。そして何かが焦げたような悪臭を漂わせた。

 ヴァン・ヘルシングと娘はその様子に狼狽えたものの、彼はさらに近くの屍に火を点けた。

「早く行くんだっ!」

 ヴァン・ヘルシングに促され、娘は前に松明の火を突き出し、足を引きずりながらも出来るだけ早く走って行った。

 ヴァン・ヘルシングも娘の後を追いつつ迫ってくる薄気味悪い屍たちに火を点けたり、首を落とすまでの腕力は持ち合わせてなかったのでせめて、近付かれないよう剣を懸命に振るった。

 ようやく娘が城門を出た。ヴァン・ヘルシングも屍たちを退けながら門を潜ると、撒いておいたオイルに松明で火を点けた。

 火は一気に燃え広がり、城門前を塞いだ。

 追ってこようとしていた屍たちがわらわらと城門を出ようとして火に炙られていった。

 黄緑色の炎を上げ、辺りには不気味な音と黒煙、悪臭が立ち込めた。

 ヴァン・ヘルシングは額の冷や汗を袖で拭うとひと先ず、安堵のため息をついた。

……これで屍たちは出られないな。

 真っ暗な夜空を見上げると、ちらちらと雪が降り始めていた。激しくならないことを祈ったが、雪は次第に強く、冷たい風に煽られ斜めに降ってきた。火が消されるのでは、と思われんばかりだ。

 身動きの取れる内に娘の後を追おうと、剣をスラックスのベルトに差した時だった――。

『おぉのぉれぇぇええっ!』

 怒りに満ちた女の声がしたかと思えば、ヴァン・ヘルシングの体が吹っ飛び、ものすごい力で背中から城壁に叩きつけられたのだ!

「うぅ……」

 ヴァン・ヘルシングは全身の痛みに顔を歪ませ、地面にぐったりと倒れた。

 霞んだ視界には立ち上る黄緑色の炎と、より激しさを増した、荒れ狂う白魔。そして黒煙――その中に霧が濃く漂っていた。

 その霧は徐々に人の形を取ると、現れたのは見知らぬ女だった。それも侍女が着るような服装だ。

……誰、だ……?

 女の顔は黄緑色の炎に照らされ、鬼の面のように恐ろしく浮かんで見えた。その顔は火傷を負ったようにただれていたのだ。

……“ただれた顔の女”っ!

 ヴァン・ヘルシングは恐怖に身震いした。

……私がホスチアを当てたのはこの……吸血鬼なのか? やはり、バートリ・エルジェーベトでは……。

 その時ふと、ヴァン・ヘルシングに不安が過ぎった。

……ヴラドは……?


 伯爵――カタリーナはエルジェーベトに接近しては何度もその体に剣を突き刺し、退治を試みるがエルジェーベトは塵になるどころか出血の様子も見せなかった。

 それに苛立たしさを覚えたカタリーナはとうとうエルジェーベトの首を切り落とした。

 エルジェーベトの首は地面にゴロリと転がり、身体が崩れ落ちた。だが――。

「首を落としても、心臓を突いても、妾は滅びぬぞぉ?」

 まるでカタリーナを小馬鹿にするようにエルジェーベトは言った。

「小賢しい!」

 カタリーナは痺れを切らし、地面に横たわるエルジェーベトの首から下――背中目掛けて、何度も剣先を突き刺した。

「余の前から失せろっ!」

「あはははっ!」

 エルジェーベトは身体を貫かれているのにも関わらず声高らかに嗤い続けた。

『さて、そろそろ潮時ね――』

 その時だった。

 ふっ、とエルジェーベトの周りを漂っていた霧が忽然と晴れたのだ。それと同時に吸血鬼の気配も消え失せた。

 戸惑いつつカタリーナは静かに剣を納めると、横たわるエルジェーベトの身体を見下ろした。

 エルジェーベトの身体はピクリとも動かず、今やただの死体そのものだった。

 カタリーナは嫌な予感を覚え、エルジェーベトの死体に手をかざした。

「目覚めろ。そして余に教えるのだ。あの吸血鬼が何者なのかを――」

 するとエルジェーベトの死体の上に青白い光の柱が出現したかと思えば、その中にバートリ・エルジェーベトがぼんやりと姿を現した。肖像画と同じ、中世期のドレスを身にまとい、青白く漂ってはいるものの清楚な佇まいでカタリーナのことを見つめていた。その表情は憂いを帯びていた。

 カタリーナはその青白く浮かぶエルジェーベトを認識するとやはり、と納得し、深いため息をついた。

 あの吸血鬼は最初からバートリ・エルジェーベトではなかったのだ。

「お前が本物のバートリ・エルジェーベトだな?」

 カタリーナが問うとエルジェーベトは深くうなずき、静かに話し始めた。

『“あの娘”は私が……私が、殺した最初の娘、ユーリ……。私の侍女だったの。彼女が私の髪を梳いてる時に、髪が引っ掛かって痛かったから、つい叩いてしまったの……。違うの……。殺すつもりだなんて――』

「言い訳は結構。余には関係のないこと――」

 カタリーナはエルジェーベトの話を遮るとさらに質問を投げ掛けた。

「その侍女をどこに埋めたのだ?」

 エルジェーベトは後ろめたそうにうつむき、呟くように言った。

『……地下室の前の地面――』

 そう言い掛けたところでエルジェーベトは、はっ! と血相を変え、顔を上げた。

『急がないとっ、手遅れになるわ!』

 そう言い残すとエルジェーベトはふわりと煙のように消えてしまったのだった。それと同時にエルジェーベトの死体は砂のように崩れ去り、ようやく土へと還っていった。

 カタリーナはその様子を感慨深く眺めつつ、何が手遅れになるんだ……? と不審に思ったが、その時脳裏にヴァン・ヘルシングのことが浮かび上がったのだ。

「ブラム!」

 カタリーナは姿を黒い馬に変えると全速力でチェイテ城へと向かった。その頃には雪が、どんよりとした夜空からちらちらと降り始めていた。

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