15 “レノーレ”を出迎えて
茶髪の吸血鬼の少女は黒い霧の姿で、舞踏会に“獲物”として招待した貴族たちがいる部屋の前の廊下を行ったり来たりして漂っていた。
『チッ! どこもかしこもニンニクがっ!』
黒い霧はどこかの部屋に侵入出来ないか、必死になって探していた。来客用の部屋がある区画を回り、ようやく一つ、ニンニクが施されていない扉を見つけることが出来た。黒い霧はしめた! と扉の隙間からシュウ……と侵入していった。
室内は真っ暗だった。だが吸血鬼には何の障りもない。
黒い霧は少女の姿に戻り、ベッドに静かに近づいていった。ベッドの上には誰かが眠っているようで、掛け布団がこんもりとしている。微かに血の匂いもする。先日吸血した時の名残だろう。
少女は暗闇の中、真っ赤な目をギラギラさせ、口角を上げると、空腹にさいなまれた“虎”のようにベッドの上に飛びかかった。
「吸ってやるっ!」
だが、少女が捕まえたのは血の付いたシャツと、タオルの“塊”だったのだ。
少女は驚愕に目を見開いた。
「何っ!?」
すると、横から勢いよく剣先が伸びてきて少女を狙った。寸前のところで少女は刃を避け、飛び退くと床に着地した。刹那、少女の首が“飛んだ”。
少女は目をかっ開き、自身の首をはねた奴を睨み付けた。血に塗れた剣を構えていたのは伯爵だった。
……何故、ここにっ!? では、最初に剣を突き出してきたのは……?
少女はさらに視線を動かした。
ベッド脇にいたのは、上着の中から明かりの灯ったランタンを取り出し、決意に満ちた表情を浮かべたヴァン・ヘルシングだった。
ヴァン・ヘルシングは片手に剣を、もう片方にランタンを持ってベッドを飛び越え、少女の元に駆けていった。
少女の首がゴロンと床に転がった。その傍らで少女の首から下の体がドサリと倒れた。そこへ、ヴァン・ヘルシングが急いで駆け寄り、力強く剣を振り上げた。少女は物凄い剣幕でヴァン・ヘルシングを睨んだ。
……そうはさせるかっ!
少女はまたたく間に体を霧に変化させ、ヴァン・ヘルシングの剣を回避した。ヴァン・ヘルシングの振り上げた剣先は空しく、絨毯の敷かれた床に突き刺さった。
「チッ!」
ヴァン・ヘルシングは舌打ちすると、素早く次の行動に移す。剣を放り出すと、上着から小さな金の十字架を取り出し、黒い霧に向かって掲げた。
「この部屋からは出さんぞっ!!」
霧の中から少女が真っ赤な瞳をギラつかせて現れた。その背後に伯爵が剣を構え、少女を挟み撃ちにした。
少女はヴァン・ヘルシングと伯爵を交互に睨み付けると、ベッドの方に駆け出した。伯爵が素早く追う。少女はベッド脇の、サイドテーブルの上のランプを鷲掴みにすると、カーテンが閉められた窓に目掛けて、力強く投げた放った。
ガッシャァンッ! と派手な音が鳴り渡った。窓に大きな穴が空き、風が勢いよく入ってきた。カーテンが激しくなびき、硝子の破片を部屋中に散乱させる。
ヴァン・ヘルシングは破片を避けようとベッドの影に隠れたが、破片の一つが頬を掠め、一筋の赤い線を引いた。
「っ!」
「大丈夫かね? エイブラハム」
瞬時に伯爵が身に付けているマントを広げ、ヴァン・ヘルシングの上に覆い被さった。ヴァン・ヘルシングは伯爵を見上げた。
「すまない、ヴラド」
「礼には及ばんよ」
伯爵は手を伸ばすとヴァン・ヘルシングの頬の傷を親指でなぞり、その指をぺろりと舐めた。ヴァン・ヘルシングはどこか複雑な気持ちでそっぽを向いた。
少しして、風がおさまると二人は室内を見渡した。もう少女の姿は室内にはなかった。
「あの吸血鬼、窓から逃げたなっ!?」
その時、ガッシャァンッ! と、今度は隣――伯爵の部屋から硝子の割れる音がした。
「お前の部屋だ!」
ヴァン・ヘルシングはランタンを拾い、すぐさま部屋を出た。伯爵も剣を拾い、後を追う。
ヴァン・ヘルシングは十字架片手に伯爵の部屋の扉の取っ手を掴み、開け放った。扉を開けた刹那、黒い霧が目の前に広がっていたが、ヴァン・ヘルシングが前方に腕を伸ばし、黒い霧に十字架を見せつけた。
「出さんぞっ!?」
ヴァン・ヘルシングは十字架を突き出しながら前に進み出て、黒い霧を下がらせた。黒い霧の中から少女が姿を表し、物凄い剣幕で唸り声をあげながらジリジリと後ずさっていく。
「この老いぼれめっ……」
少女はヴァン・ヘルシングを睨み、呟くように言うと、一瞬部屋の奥に目を向けた。ヴァン・ヘルシングも少女の目線を追う。その先には暖炉があった。ヴァン・ヘルシングはヒュッと息を飲み、目を見張った。
……しまった!
少女は先ほどとは打って変わってニヤリ、と狡猾な笑みを浮かべると、姿を黒い霧に変えた。ヴァン・ヘルシングが暖炉に向かって駆け出した。
「逃さんっ!」
だが、ヴァン・ヘルシングよりも早く黒い霧が暖炉の中に入り、部屋を脱出してしまったのだ。ヴァン・ヘルシングは暖炉の前に、疲れ果てた様子で座り込んだ。
「ああ、盲点だった……。くっそ……あの吸血鬼はシンタクラースかっ!?」
【シンタクラースとは、蘭国のサンタクロースのこと】
そんなヴァン・ヘルシングの横に伯爵が静かに立った。
「君の言っていることがよく分からんが、俺とて霧になっている吸血鬼を足止めするのは至難の業。君は良くやっている」
そう言いながら伯爵は、ヴァン・ヘルシングに手を差し伸べた。ヴァン・ヘルシングは深いため息をつき、差し出された伯爵の手を握ると、ゆっくりと立ち上がった。
「奴を追わないと……」
その時――。
「きゃぁぁああっ!」
周りの空気を切り裂くような女性の悲鳴が聞こえたのだ!
「行くぞっ!」
「隣の部屋のようだ」
二人は勢いよく部屋を出ると、ヴァン・ヘルシングの部屋とは逆方向の隣の部屋の前に駆け出した。部屋の扉の前に着くと、ヴァン・ヘルシングは急いで扉を開け放とうとしたが、びくともしない。
「くっそぉっ……!」
ヴァン・ヘルシングは無我夢中で扉の隙間に詰め込んだニンニクの花や葉を急いで取り除いていった。
「ヴラド! 剣をっ!」
伯爵はすぐさまヴァン・ヘルシングに剣の柄を差し出した。剣を受け取ったヴァン・ヘルシングは刀身の先端を扉の隙間にねじ込み、てこの原理で扉の隙間を力任せに広げていった。
「ヴラドッ! 行けっ!」
伯爵はヴァン・ヘルシングが言うよりも早く霧の姿になり、シュウ……と扉の隙間へと消えていった。次の瞬間、扉の向こうから犬か、もしくは狼が喧嘩をするような激しい咆哮が聞こえ、ヴァン・ヘルシングは肩をびくつかせた。
「ヴラドッ……?」
ヴァン・ヘルシングは剣を構えながら、静かに扉を開けた――。
『開けるなっ! ブラムッ!』
僅かに開いた扉をこじ開けるように、勢いよく茶色の狼が躍り出てきたのだ。
「あっ!」
狼がヴァン・ヘルシングに襲い掛かってきた。ヴァン・ヘルシングはすかさず剣を水平に構え、狼からの攻撃を防ぐ。狼は口から鮮血を滴らせ、剣の刀身に激しく噛みつきながらヴァン・ヘルシングを真っ赤な目で睨んだ。狼の重みで剣の刃がヴァン・ヘルシングの左の手の平に食い込み、血がにじみ出る。ヴァン・ヘルシングは痛みに顔を歪ませた。
『余のものに触るな!』
狼の背後から黒い犬が牙を剥き出し、狼に掛かった。犬は狼の後ろ首に噛みつくと、ヴァン・ヘルシングから強引に引き剥がし、廊下に力強く投げ飛ばした。
『大丈夫かね? エイブラハム』
犬は、血が流れ出るヴァン・ヘルシングの左手を舐めながら聞いてきた。
「すまん。今のは俺が悪かった……」
ヴァン・ヘルシングは不本意ながらも左手を犬に差し出しながら剣を杖代わりに立ち上がり、身構えた。
犬はヴァン・ヘルシングの左手を舐め終え満足したのか、狼の前に進み出て威嚇の声をあげた。狼は弱々しく起き上がり、唸り声を上げたかと思えば、声高らかに“嗤った”。
『あははっ! 早くしないとあの女、吸血鬼になっちゃうよぉ?』
「何っ!?」
ヴァン・ヘルシングは目を見張り、狼が出てきた扉の向こうに目を向けた。
狼は足を引きずりつつ廊下の先へ駆け出した。
「待てっ!」
ヴァン・ヘルシングは剣片手に走り出した。その隣に黒い犬が続く。ヴァン・ヘルシングの隣を、犬が余裕ありげに“早歩き”しながら、彼を横目に“言った”。
『エイブラハム、これでは逃げられるぞ?』
「分かってる! これでも走ってるんだ!」
ヴァン・ヘルシングは頑張って走っているつもりのようだが、やはり彼は初老の身。すでに息を切らしており、足が遅くなっていた。
犬は鼻でため息をつくと走りながら姿を歪ませた。
『乗れ! エイブラハム!』
伯爵の呼び掛けにヴァン・ヘルシングは振り返った。そこにいたのは黒い犬でも伯爵でもなく、黒い細身の、あばら骨が少々浮き出た立派な馬だった。ヴァン・ヘルシングは目を丸くしつつ、その場に立ち尽くし、呆然と黒い馬を見上げた。
「ヴラド……か?」
『早く乗れ』
黒い馬は急かすように言った。ヴァン・ヘルシングは困惑した様子で返す。
「だが……鞍がな――」
『俺のたてがみにでもしがみ付けば良い』
馬はヴァン・ヘルシングが言い終える前に即答した。
『良いのかね? エイブラハム。今まさに吸血鬼になってしまうかの瀬戸際の人間がいるというのに、たかが馬具ごときで馬に乗れないなどと?』
馬は身を屈めると、暗闇の中でも見える真っ赤な瞳で挑発的にヴァン・ヘルシングを見上げてきた。
『その馬は俺だ。遠慮などいらんわ! 俺にしっかりと掴まっておれ』
ヴァン・ヘルシングは真剣な表情を浮かべ、力強くうなずいた。
「分かった」
ヴァン・ヘルシングは剣をスラックスのベルトに差すと、馬のたてがみを掴み、一気に馬の背にまたがった。馬はヴァン・ヘルシングが乗ったのを確認すると、ぴんと力強く胸を張った。
『では“レノーレを迎えに行く”としよう。“ヴィルヘルム”伯爵?』
【ビュルガーの『レノーレ』より、レノーレは恋人であるヴィルヘルムを戦争で失い、神を呪った。だが、その日の真夜中にヴィルヘルムが帰ってきて、レノーレに結婚しよう、と告げる。レノーレと共に乗った馬を、ヴィルヘルムは急いで走らせる(Denn die Todten reiten schnell【独語:死者は急いで馬を走らせる】.)。ついた場所は墓所だった。夜が明け、ヴィルヘルムの体が崩壊し骸骨となる。二人は大地に飲み込まれていった】
ヴァン・ヘルシングは鼻で笑いつつ、馬の首をポンポンと撫でた。
「どっちが“死者”だ? “エリーゼ・フォン・ヴィルヘルム”伯爵ご令嬢?」
『そうだった。俺も今“ヴィルヘルム”だったね』
馬はヴァン・ヘルシングを乗せ、狼を追い、廊下を駆けていった。
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