1 エイブラハムとヴラド
ドラキュラ伯爵がエイブラハム・ヴァン・ヘルシングの元にやって来て、はや10年が経った。
あれから色々なことがアムステルダムで起こった。その度にヴァン・ヘルシングと伯爵が“水面下”で解決し、巷の、ひっそりと吸血鬼を信じる人たちからはいつの間にか“退治人”とまで言われる羽目になった。
時に、伯爵が攫われそうになったり、変な吸血鬼崇拝者にヴァン・ヘルシングが殺されそうになったり、吸血鬼を追って二人して運河に落っこちたり――それについては別の機会に話そう――、色々あったのだ――。
1910年の11月。
ヴァン・ヘルシングはとうに70代後半を迎えており、赤みがかった髪はもう大半が白髪となっていた。それでも彼は、他の老人と比べると活き活きとし――伯爵や彼の周辺の人たち曰く――、アムステルダム市立大学医学科の教授としてまだまだ教鞭を執っている。
そんなヴァン・ヘルシングを支えているのが吸血鬼であるドラキュラ伯爵――ヴラディスラウス・ドラクリヤだ。
伯爵はヴァン・ヘルシングの助手であり、同居人であり、研究対象――ヴァン・ヘルシングはもう、そのようには言っていないが――である。吸血鬼である故、外見が10年前と変わっていない――時々姿を変えるが――。
二人が並んで歩いたら、周りの人たちはきっと二人を“親子”だと勘違いするに違いないだろう。
夕刻、アムステルダム市立大学のヴァン・ヘルシングの研究室にて。
書類や文献のまとめを一段落させたヴァン・ヘルシングは、例のごとく足元の鞄を机の上に持ってくると、中身を漁り、注射針と管を取り出した。無論伯爵への“夕食”だ。
伯爵はヴァン・ヘルシングがつく机の前のソファーで医学書を興味深そうに読んでいる。
ヴァン・ヘルシングは何のためらいもなくワイシャツの袖を捲り上げると、右手に注射針を構えた。だがその手を、突然遮られたのだ。
「ん?」
机の脇にはいつの間にか伯爵が立っており、注射針を掴むヴァン・ヘルシングの手に自身の手を乗せていた。ヴァン・ヘルシングは伯爵を、不思議そうに見上げた。
「ヴラド……?」
「エイブラハム、今夜もいい」
「だが……前回からかれこれ1ヶ月は経ってるぞ?」
すると伯爵は静かに手を伸ばすと、ひんやりとした手でヴァン・ヘルシングの頬にそっと触れた。ヴァン・ヘルシングは目をパチクリさせた。
「エイブラハム、最近痩せたな。食べる量も減っている」
伯爵が心配そうな面持ちでヴァン・ヘルシングの顔をのぞき込んできたので、ヴァン・ヘルシングは苦笑いを浮かべた。
「当たり前だろう? 俺はもう70代後半、否、後2年で80歳になる――」
ヴァン・ヘルシング並びに伯爵は、先日誕生日を迎えた。
「体にガタが来るのは仕方がないさ。もしかしたら明日にでも……」
まるで、もういつ死んでもおかしくない、と言いたげなヴァン・ヘルシングの口ぶりに、伯爵は眉を潜め、呟くように言った。
「君にはあと20年ぐらいは頑張ってもらわねばね……」
伯爵の言葉にヴァン・ヘルシングは目を丸くする。
「20年!? 俺、もう100歳近いじゃないか! 絶対に死ん――」
「そうだ」
伯爵がズイッと顔を、ヴァン・ヘルシングへ近づけてきた。ヴァン・ヘルシングは寄り目になり、伯爵を見つめた。
「君の方が先に逝ってしまうのは明白。だから、俺もどうしようかと考えているのだ……」
伯爵はゆっくりと背筋を伸ばすと、ヴァン・ヘルシングを横目に見下ろした。
「君が逝ってしまったら、俺はどうなるのだろうな……?」
伯爵の口調は軽いものだったが、ヴァン・ヘルシングにとっては重いものだった。
ヴァン・ヘルシングは、そうだな……ともらした。
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