第34話
大きく雷が鳴る。
近くに落ちたみたいだ。
雨は強くなる一方だが、もうしばらくすれば
やむだろう。
カーミラの赤が暗い部屋の中でうごめく。
男の欲と女である事の確認が、荒い息となって
夢中になる。
暗さに慣れ、二代目の冴えた目に、
苦痛か、喜びか、泣いてるのか、笑ってるのか、何とも理解しがたいカーミラの崩れた顔が
すがった。
2人の絡む場所だけ空気がよどむ。
二代目はウジのはう肌で不快な感触を
確かめながら、
自分が満たされた時、一気に興奮がさめ
この崩れた肉塊の前で後悔と背徳感で居たたまれなくなるのは、十二分に理解していた。
わかってはいても踏み留まれないのが男の欲だ。
崩れた肉は、いやらしく受け入れの準備を済ませている。
二代目は自分のあさましさを自覚しながら、
こうなったのはカーミラのせいだと、
彼女の落ち度を探していた。
…どのくらい過ぎただろう。
あれほどひどかった雨が、今はやみかけている。
「何でもいいのね…」
カーミラが言う。
二代目はいつのまにかカーミラと距離を取り、下げたジーンズを上げもせず尻を出したまま立っている。
「良かった…?」
そう言って、カーミラが笑った気がした。
二代目からは彼女の表情は読めない。
見たくない。
…あの姿になって、
何度女の欲を満たしたんだ…
そんな事を考えながら、二代目はなえた後悔を
ジーンズに納めた。
キャバクラ通りNo1店のトップキャストを
ものにしたのだ。
カーミラから連絡があった時、下心がなかったと言えば嘘になる。
しかし、この女は、もはや二代目の知る女では
ない。
何でもいいのね、の一言に無性に腹が立った。
こばむどころか受け入れるつもりで誘ってきた
奇っ怪な女と、女と見れば簡単におっ立てる
畜生以下の自分に…
カーミラと言葉をかわす気にならない。
この醜い吸血鬼を置き去りにして寺に帰ってしまおうか…
…そして朝になってしまえばいい。
吸血鬼を殺すのに刃物はいらぬ、
陽の光があればいい。
ある意味、彼女はサングラスとマスクなしで
光の中を歩けない。
ジーンズとシャツが血と埃で汚れている。
右掌が血で乾いて動かしずらい。
洗いたいが、ここの台所では流せないだろう。
この分だとカーミラの服は勿論のこと、
むき出しになった身体のあちこちに、二代目の血の痕跡がこびりついているはずだ。
暗さの中、カーミラの赤が黒っぽくガサゴソと動いている。
着崩れた服を整えているのだろう。
あのウジのうごめく乳房に血で自分の手型が
張り付いている。
想像しただけで、二代目はあさましい自分に
気分が悪くなった。
たまらず、二代目は、右側の抜けた穴から
外に出る。
今度は充分に足下を確かめて。
ミドリが居た正面の穴とは違って、ここはゴミも無く、比較的綺麗だ。
出て2、3メートル先に生垣がせまり、
その先は墓場が続く。
さらし首の生垣は、手入れをしていない為、
首をさらせないほど伸びきっていて、
得体の知れない何かを閉じ込めているように
思えた。
やみかけているとは言え、ここだけ雨に濡れない。
見上げると、墓場から大きな木の枝が何本も生垣を越えてこちらにかぶさっている。
生垣と屋敷とのスペースは、玄関まで続いているようだ。
二代目は、暗さに行手を探りながら玄関に
向かう。
あっという間に行き止まりになった。
台所が大きくせり出していて、生垣に食い込んでいる。
街灯の明かりが届いていない為、期待は薄かった。
なんとか行けないか、もがいてみる。
生垣は厚くヒイラギの葉がびっしり詰まっていて、墓場から迂回してここから解放されるのは
不可能だ。
できれば、見苦しい吸血鬼を置き去りにしたまま寺に逃げ込むつもりだったが、
あきらめざるを得なかった。
戻るとカーミラも穴の外に立っていて、
二代目の思考を見透かしているように、
気味悪い声でこう言った。
「おかえり。」
雨がやみかけの外は、埃っぽく澱んだ部屋の中より気分がいい。
二代目は血の乾いた掌をヒイラギの生垣に突き出す。
突き出した手全体をヒイラギの葉が
めちゃくちゃにひっかいた。
痛くはない。
弱い雨と葉にたっぷりと乗った雫が手を滑って
気持ちいい。
二代目は血で突っ張った掌に、たっぷり水を
含ませてジーンズの太股でぬぐった。
雨音はしない。
たまにヒイラギの葉づれがして風を主張する。
部屋の中からは、きしむ音に混じって、
何だかわからない音も、こちらの穴に抜けて
来る。
帰りたいのはやまやまだが、まだ部屋の中には
入りたくない。
ここを出て帰るにしても、玄関先でじゃあまたねで、さようならとはいかないだろう。
カーミラが黙って二代目を見ている。
二代目はカーミラの視線を感じてはいるものの、彼女を見返す事が出来ない。
黙っている事に耐えられない。
「これから、どうする…?」
二代目が口を開いた。
「… … これから。」
カーミラが繰り返す。
「これからって…
明日から先があると思う…?」
どうしたものかと何気なく吐いた言葉に、
カーミラの聞きにくい声が絡みつく。
「この姿でも…
上手くやって行けると思うなら…
教えてよ!」
二代目は何も言えず、足下を見つめている。
安易に口を開けない。
気まずく黙り込む。
些細な音や不規則な音が耳に入り込んで、
静けさを磨く。
二代目は、その静けさで、息苦しくなるのを必死でこらえた。
「あなたを見直したわ。」
口を開いたのはカーミラだった。
二代目にとって意外な言葉だが、嫌な予感がする。
カーミラが薄気味悪く笑った。
「避妊もしないで私を抱くなんて、勇気があるのね。
こんな姿になって、もう味わえないと思っていたわ。
…ごちそうさま…」
笑いを挟みながらカーミラは続ける。
「子供が出来て私似なら、可愛い子が産まれるわよ。
この醜さは、子に遺伝しないからね。
乳房も片方無事だから母乳もしぼれるわ」
二代目は情けなくガタガタ震えだした。
「覚悟は出来てるんでしょ!」
そう言ってカーミラが笑う。
笑いながら、暗闇でも良く見えるように、
二代目の頬を両手で押さえて、鼻先に顔を突きつける。
「目をそむけるなんて許さない!
よく見るのよ。
あんたが抱いた女の顔を!」
二代目はガタガタと震える身体をどうする事も出来ないでいる。
カーミラは二代目の頬を押さえたまま、
突きつけた顔をさらに突きつけて、二代目の唇に自分のそげた唇を合わせようとした。
震えが胃を揺さぶり、込み上げ、二代目の喉を焼く。
ウゲェ〜ッ
たまらずニ代目は、カーミラの顔に吐いた。
カーミラは吐物まみれの顔をぬぐいもせず、
そのままそげた唇を二代目の唇に押し当てて、
舌で強引に口をこじ開ける。
二代目は震えながらカーミラにされるがままに
なっている。
舌で散々二代目の口の中をかき回した後で、
カーミラは言った。
「顔や胸に難はあるけど、以前、あんたが毎晩金をつぎ込んで口説いていたカーミラよ。
落としたわね。
おめでとう。」
二代目の震えは止まらない。
「今夜から触り心地の違う乳房を自由にしていいのよ。
なんて贅沢なの。
キャバクラには戻れそうもないから…寺の女房も悪くないわね。」
顔や胸の崩壊に目をつぶればカーミラそのものだし、あのおぞましい姿を前に興奮して関係を
持ってしまったのは事実だ。
そもそも飲み歩いていた頃は、全てが遊びで、
キャバ嬢ともちょっと遊べればいいくらいにしか考えていなかった。
今は寺の仕事に打ち込み、夜に出歩こうとは
思わないが、久しぶりにカーミラから連絡があった時、年甲斐もなく浮かれたのも事実だ。
「まだ出来るでしょ。」
そう言ってカーミラは部屋に入った。
二代目の震えは止まらない。
震えが止まらないまま、まるで愚かな他人事のようにしらけた自分が居る。
経を読もう。
二代目は言う事をききずらくなった身体を
落ち着かせようとガタガタと震えながら
手を合わせた。
…あれ…
日に3度唱える経が、まったく思い出せない。
「雨が上がりそうよ。
ミドリさんとゲームの約束も出来たし、こんな所に用はないわ。
さあ、寺に行きましょう。
あんたの部屋で楽しみたいわ。
今日から毎日抱かせてあげる。」
カーミラは寺に居座るつもりだ。
こんな化け物、寺で飼う訳にいかない。
飼うどころか、言いなりにされるのは目に見えている。
かと言って、ここで邪険に別れれば、
どんな報復が待っているか予想がつかない。
カーミラは化け物だ。
それは見た目に限っただけじゃない。
その容姿が原因だろうが、彼女は全てをあきらめている。
彼女には自分を含めて、守るものがないのだ。
今の彼女は何をしても心が痛まないはずだ。
本物の吸血鬼より、今のカーミラはたちが悪い。
二代目の動揺は、軽く限界を越えていた。
「何してるの…?」
少し不機嫌そうな奇妙な声でカーミラが言う。
二代目の救いは、部屋が暗くてカーミラがまともに見えない事だ。
経を忘れるなんて…
手が震えて合わせづらい。
「行くわよ。寺へ…」
「チェッ!」
カーミラの言葉に、思わず二代目が舌打ちする。
不甲斐ない自分に向かって…
瞬間、震えが止まり、今まで経験した事のない
感情がドロリと二代目を満たして行く。
無意識の震えは、この感情を育てる為の準備だったのだ。
…殺意。
あっという間に部屋に飛び込み、二代目は
カーミラの髪をわしづかみにして引き寄せ、
長い首に両手をかける。
カーミラは驚いて身をよじったが、抵抗らしい抵抗はしなかった。
暗がりの中、ついさっき吐き出した二代目の胃液が、カーミラの崩れた顔を溶かしたかのように、耐え難い臭いを放つ。
二代目は経を思い出したのかブツブツと、
口元で低い音を転がしている。
エロイム エッサイム
エロイム エッサイム…
経じゃない!
エロイム エッサイム
エロイム エッサイム…
カーミラの首は驚くほどきゃしゃで、
大した力を使わずに、全てを奪って行く。
エロイム エッサイム エロイム エッサイム エロイム エッサイム エロイム エッサイム エロイム エッサイム エロイム エッサイム…
…
…
…
カーミラが力なく膝を折り、二代目に寄りかかった。
手に温かい物を感じ、二代目はカーミラの首から手を離す。
二代目の手に血がついていた。
カーミラが鼻血を出している。
カーミラの身体を転がして、二代目は思い出したように部屋を探る。
そして正面の穴に向かって叫んだ。
「出て来いよ!ミドリ!
雨がやんじまうぜ。
またイジメてやっからさあ。」
…ハハハハハハハハハハハ…フ…ハハハハハハハ…
二代目の低い笑いが屋敷をはいずる。
二代目は自分の笑い声に時折りむせながら、
まだ経を思い出せずにいた。
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