最終話


「おはよう御座います。」


カーミラが店の外に出ると、赤ずきんの仮装をした女が立っていた。

知らない顔だ。

カーミラが店を離れている間に入店した

キャストだろう。

赤ずきんは、いきなり出て来たカーミラの姿に目を丸くしている。

その後で背の高いスーツ姿の男が、

三角耳のカチューシャを付け、尻尾のような物をぶら下げて立っていた。


「お店の人よね…誰かしら…

特殊メイクでしょ。素晴らしい仕上がり。

まるで2、3人食い殺して来たゾンビみたい。

あんまり、目立たないでね。」


そう言って赤ずきんは、滅多にお目にかかれない生き物を見るような目で、カーミラをのぞき込む。


同伴のキャストだ。

赤ずきんと狼のつもりらしい。

面倒なのに捕まった。


店はキャバクラ通りの奥にある。

幸い、この2人以外誰も居ない。

カーミラはトートバッグのナタを握りかけたが、思い直した。

カーミラは無差別殺人鬼でも、狂っている訳でもない。

自分に全く無関係なこの2人に危害をくわえる訳にはいかない。

それにミドリとのゲームは、店を出た時から

始まっているのだ。

ミドリ宅にたどり着く前に捕まるようなら、

そこでカーミラの負けは確定する。

うまく、あしらわなければならない。


「誰だろう… 当てたいわ。

何か話してみて。

そうだ、トリックオアトリートって言ってみて。」


赤ずきんが少し興奮気味に言う。


「ト…リック…オ…ア…ト…リー…ト…」


仕方なくカーミラが声を絞る。


「声まで作ってるの?

徹底してるのね。誰だかわからないわ。

降参します。

お客様が見たら腰を抜かすわよ。

凄過ぎて。」


そう言いながら、無邪気に笑う赤ずきんを見て、カーミラは少しだけ気がとがめた。

まもなく2人は店に入って、目を覆いたくなるような惨状の目撃者になるのだ。


「ポチ。」


赤ずきんが狼を呼ぶ。

狼の名がポチとはいいセンスをしている。


「トリックオアトリートに答えなきゃね。」


赤ずきんが言うと、狼がカーミラに1万円を突き出した。


「お菓子の持ち合わせがないから、それ取っといて。」


無表情の狼に反して無邪気な赤ずきんが言う。


彼女は、かなり人気のあるキャストなのだろう。

カーミラにはわかる。

カーミラの白シャツは血にまみれ、

前がはだけ、ブラがずれて、カリフラワーの乳房が顔を出していたが、狼は気にも留めないで、白シャツに1つあるポケットに1万円をねじ込んだ。


ハロウィンの夜、傷んだ乳房など、コスプレと思うのが普通だ。

カーミラは、さっきこの乳房に助けられた。

リアルだとわかれば、この無表情な狼も

カーミラを追い詰めたスタッフのような 

反応をするのだろうか…


「殺…して…き…た。

ゾ…ンビ…じゃ…な…い…」


カーミラが言う。


「大丈夫。

人殺しには見えるから。」


赤ずきんが笑った。


「ナン…バー…ワン。

吸血…鬼。

借り…を…返し…に…来た…」


カーミラはそう言うと、赤ずきん達に背を向けて歩き出す。


「この店どころか、今夜はこの街でNo.1よ!」


カーミラの背中で、明るく叫ぶ赤ずきんの声がした。

そして、店の扉が閉まる音がした。




チラシやらポスターやら、街をあげて宣伝したかいあって、各通りはいつになく人で溢れている。

異形に着飾った街だ。


まるで白装束のようだったカーミラのシャツとタイトミニは、背中の一部を残し、

血で赤黒く染まり、いつまでも生乾きのまま

身体に張り付く。

興奮していて気づかなかったが、あちこちに

引っかき傷を見つける。

その傷の周辺に、このイベントの為にデザインしたであろう綺麗な爪が肉片ごとはがれて、

へばり付いていた。


トートバッグは女には重く、数十歩歩いて、

ねを上げたくなる。

ウオッカ1本分軽くしたが、ヒールで歩くには

かなりしんどい。

けれど、荷物に振り回されてるような無様な

歩き方はしたくない。

自身、隠れて隠した毎日の中、今夜だけは

堂々と胸を張って歩くのだ。

リアルとフェイクが入れ替わるハロウィンの夜を。


カーミラが歩くと、仮装した群れが退き、誰もが遠巻きに彼女を目で追う。

昨日なら、みな目を背けていたはずだ。

おそろしく見事な仮装と勘違いされ、人を殺して血だるまな姿に感心されている。

ハロウィンの夜がカーミラに恋しているようだ。


歩き出してまもなく、キャバクラ通りを

耳障りなサイレンを響かせて、パトカーが

猛スピードで走り抜けて行く。

赤ずきんが通報したのだろう。

仮装の群れの興味は一気にパトカーの後を追う。

カーミラの前を制服警官が2人、血相変えて

迫って来た。

仮装の警官には何人もすれ違ったが、それとは明らかに違う。

2人と目が合った。

2人とも、仮装の群れと同じ目でカーミラを見ると、引き留めもせずに走り去って行った。


ションベン通りに人はいない。


街をあげてのイベントなのだから、

テンションの高い不届者の1人や2人居ても

おかしくないのだが、いつにも増して

静まり返っている。

酔って正体を失くすには、まだ時間が早いのだろう。

墓場と道を分ける切れかかった街灯の奥に、

ひときわ明るい街灯が見える。

ミドリの家(廃墟)だ。


今回のゲームは負けない。

負けようがない。


バッカスのゲームは、小細工までして絶対に

勝てるはずだった。

…たまに、グラス片が舌を傷つける痛みを

思い出す。

今回もミドリが屍人であるのをいい事に

絶対に勝てるゲームを押し付けた。

警察から逃げ切ると言う一言に、カーミラは

全てを清算するつもりでいる。

カーミラは急いだ。


ミドリ宅に着き、カーミラは驚く。

廃墟の玄関口が、厚手のベニヤで打ち付けられ、出入り出来なくなっている。

カーミラは仕方なく玄関先に荷物を置くと、

寺に向かって歩いて行った。


寺ビルは妙に静かだ。

カーミラは二代目が殺された事を知らない。

寺をうろつく。

都合よく二代目に会えればと思ったようだが、諦めて廃墟の玄関先に戻った。



雨が降り出した。

弱い雨だ。

冷たい雨だ。

かなり寒い。


カーミラはスピリタスを1本取り出すと、

封を開け直に口に含む。

ほんの少しなのに咳き込み、喉から胃へ

一直線に焼ける。

元々薄着で凍えた身体はスピリタスくらいでは温まらない。

雨はさらに冷して行く。


カーミラは舌打ちした。

雨が強くなれば計画に狂いが生ずる。

雨を降らせたのはミドリか…

簡単には勝たせてくれないようだ。


カーミラは、トートバッグからガソリンの入った携行缶と残りのスピリタスを出すと、

血だらけのスカートのポケットを探って

ライターを取り出した。

人が来たら準備に取り掛かる。


雨が強くなったって、誰も捕まえられない。

最後のゲームは私の勝ちよ。

ミドリさん…


寒さに耐えながらカーミラは辺りを見渡す。

見納めの景色が、ションベン通りの灯りと

寺ビルと墓と廃墟とは悲しい。

悲し過ぎて可笑しい。

笑いが止まらない。

ホーンテッドハウスで頂点に居た時の景色を思い出して重ねようとしたが、周りが地味過ぎて、さらに笑いが止まらなくなった。

さっき胃を焼いた、ほんの少しのスピリタスで酔った訳ではない。

カーミラは、暖を取れる訳でもないのに

さらし首の生垣に身体を預けた。


足音がした。


いよいよかと、カーミラは生垣から顔を出し

辺りを伺う。

足音はさっきひとけの全くなかった寺から近づいて来る。

二代目か…

女だ。

二代目でもなく、寺から人が来るとは

訳がわからない。

人が来るとしたらスナック通りからに決まっている。


カーミラはナタを握りしめた。


女は弱い雨で少し濡れている。

ノースリーブの赤いワンピース。

生地が薄くて白い下着が透けている。

ワンピース全体に大きな黒いしみが張りついている。

普通、真夏だってこんな服は選ばない。

女は、寒さに耐えながらナタを握りしめる

カーミラより、かなり薄着にもかかわらず

平然としていた。

けれど、紫と言うより黒に近い唇の色が、

寒さを語っていた。


「返して。」


女の黒い唇が動く。


女は、血だるまでナタを握るカーミラと対峙しても、全く動じる様子はない。

それどころか、よりどころのない目で

カーミラを威嚇している。


「幸せになりたいの。

彼はどこ。」


女の言葉にカーミラは戸惑う。


「少しばかり血を吸ったからって、彼を自由にできると思ったら大間違いよ。」


女の言う事に、カーミラは全く理解できないが、女の顔には見覚えがある。

すぐには思い出せなかった。

二代目に殺されかけた時、

男を置き去りにして二代目と逃げた女だ。

喉の渇きに耐えられず、男の耳にかぶりついた事がある。

その事を言っているのだろうか…

カーミラにとって女の言葉は、支離滅裂で全く意味をなさない。

加えて、女は寺から来た。

女は寺に出入りできると言う事なのか…

女は二代目とどう言う関係なのだ。

カーミラの思考は混乱する。


カーミラが女に気づかなかったのは、

その変貌ぶりだ。

あの夜、死に損ないのカーミラを見て悲鳴をあげていた女の姿はどこにもない。

むごたらしい顔に奇形に傷んだ乳房、

血だらけのカーミラを見ても女は眉一つ動かさず、年齢不詳なあどけない顔に反して、

寒さの中裸同然の服を着て、カーミラ相手に

むき出しの女をさらしていた。

言い様のない女の不気味さが、カーミラを

威圧する。


「ひとりでハッピーバースデーは歌えない。」


女は狂っているようには見えない。

人殺しのカーミラが、丸腰の女相手にナタを突きつけ後退りする。

冷たい汗が雨と混ざってカーミラの崩れた顔をなめ、顎に集まり落ちた。


「それ、彼の…」


スピリタスの横に置いたライターを見て、女が言う。


ここで拾ったライターだ。

タバコは捨てた。

スカートのポケットに入れていたため

返り血で汚れている。

特長のないライターだが、女にはわかるのだろう。


「返して!返して!返して!返して!」


ライターをか…

ライターが無くては困る。

今更、代わりはない。

カーミラは店前でポチにもらった1万円を

思い出し、ライターの代金のつもりで女の前に突きつけた。

諭吉が血で汚れている。

女は以外にも素直に金を受けとった。


「会えないなら用はない。」


女はそう言うと、置いてあった携行缶やウオッカを見て突然笑いだす。


「放っておいても構わないようね。」


女はカーミラに興味が失せたのか、笑いながら寺に向かって歩き始める。


寺に戻るとはどう言う事だ。

二代目は寺に居るのか…

あの薄気味悪い女が二代目の女なのか…

カーミラを抱いた二代目ならあり得る。

なら、男を追うのはなぜだ。

男を置き去りにして、逃げたではないか。

今日、偶然会ったとは考えにくい。

あの女、寺からカーミラが来るのを見張っていたのだ。


何が何やらわからない。

この女の出現も、雨と同様ゲームを妨げる

ミドリのさしがねか?

混沌とする頭の中、意思が固まる。


この女、生かしておけない。


カーミラはナタを握りしめると、女の後を追う。

追いついて、カーミラがナタを振り上げた。


「死ね!」


そう言ったのはカーミラでなく、

気配に気づいて振り向いた女の方だった。

瞬間、スナック通りの方から大勢の足音が迫って来る。

女は、カーミラがスナック通りに気を取られたわずかな間に居なくなっていた。


カーミラは急いで戻る。


雨は相変わらず弱いままだ。

ミドリ宅の奥で勝負したかったが、玄関先になってしまったのは仕方ない。

カーミラはスピリタスをラッパ飲みする。

キャバクラ勤めで鍛えた胃だが、

アルコール度が強すぎてむせる。

口には当てたが、ほとんどが溢れて血だらけのシャツが吸い込んだ。

すぐに猛烈な酔いが襲って来るだろう。

カーミラは携行缶のガソリンを頭からぶちまけた。

辺りはガソリンの揮発臭でいっぱいになる。

カーミラは残りのスピリタスの封を切り脇に挟んで、ナタとライターを握りしめて構えた。


カーミラの前は制服警官と目つきの悪い

背広刑事で囲まれる。

その後ろを大勢の仮装した野次馬が時間を空けずにいっぱいにした。

スナック通りの方でパトカーの音がする。

大して広くない道だ。

野次馬が多過ぎて入れないのだろう。

野次馬は向かいの駐車場までいっぱいになった。

彼らにとって、カーミラの凶行はハロウィンのイベントなのだろう。

凶行の結末を楽しみに見届けようと、一気に押し寄せた。


警察がカーミラに何か言っている。

野次馬の騒ぎで聞こえない。

警察はカーミラ側と野次馬側に怒鳴り散らしている。

野次馬が雪崩れ込んだ為、規制線をはれずに

手こずっている。

ガソリンの揮発臭が強い中、ライターとナタを持ったカーミラに警察はうかつに近づけない。

スピリタスの酔いが思考をむしばみ始める。


頃合いだ。


「あた…し…の…勝ち…ね。」


カーミラはナタを放って脇のスピリタスに

持ち替える。

火が着いたタイミングでスピリタスを飲み干すつもりなのだろう。


カチッ…


ライターを握るカーミラの手から音がした。

囲んでいた警察が、反射的にのけぞり後退る。

誰もが辺り一帯、炎に包まれると思っていた。


カチッ。カチッ。カチッ…カチッ…カチッ…


何度試しても火は着かない。

ベットリと固まりかけた血が、ライターを壊したらしい。

警察は火が着かない事がわかると、

ナタを放ってしまったカーミラを簡単に

取り押さえた。


野次馬は、呆気ない幕切れに騒ぎだす。

つまらないイベントは悪なのだ。


「その顔と釣り合うような事やれよ!」


「警察と戦え!」


野次が飛ぶ。


「化け物!」


「化け物!」


もはや騒げればいいみたいだ。


「それ酒か?最期くらい派手に飲んじゃいなよ!」


カーミラは手錠をかけられたが、なぜかスピリタスを握る事は許されている。


「化け物!」


「化け物!」


化け物の仮装をした野次馬がカーミラに言う。


「静かになさい!

道を開けなさい!」


野次馬を押さえようと、警察が夢中で怒鳴る。

狭い敷地に鮨詰め状態の野次馬は数人の警官に押さえられるほど甘くはない。


「また…ミド…リ…さん…の…勝ちね。」


カーミラがつぶやく。


耳障りなサイレンを鳴らしながらパトカーが、野次馬をかき分けノロノロと近づいて来る。


「人殺し!」


「化け物!」


「死ね!」


「死ぬなら派手に死ね!」


野次馬がカーミラの姿とののしる事に飽きて来た頃、寺近くの人だかりで誰か叫んだ。


「火だ!」


「寺が燃えてる!」


寺と言ってもビルだ。

2階のガラスが割れてチロチロと火がはみ出し、黒い煙が立ち登る。


「ウォー!オー!オー!オー!オー!」


野次馬は、間近の火事で混乱するかと思いきや、新しいイベントとばかりに笑いながら手をたたき、花火でも見るかのように盛り上がりだした。


野次馬の興味は、最期が間抜けな醜い殺人犯から、すぐに大きく育ちそうな寺の火事に移っている。

事実、火は思ったより足が早い。

立て続けに起きる事件に警察は焦ってうろたえる。

明らかに人が足りていない。

警察は手錠をかけて安心したのか、

カーミラには制服警官1人残して、寺の火事へ

向かってしまった。


「危ない! 離れて!

道を開けろ!」


規制線の確保にしくじった警察が怒鳴り散らす。

野次馬にとっては警察の動きもイベントの一部なのだ。

誰も聞く耳を持たない。

集団に火は気分を高揚させる。


火はあっという間に、寺ビルの窓と言う窓を

割り、夜空に向かって赤布を振るように

勢いを見せつける。

辺り全体、弱い雨と火が吐き出す煙に混じって、火の粉が舞い始めた。

寺の火の勢いが辺りを暖める。

消防車のサイレンも聞こえた。

遠くはないようだ。

この有り様では近づけないだろう。


カーミラの横で、1人残された警官が焦り始める。

火の粉が近づき始めたのだ。

カーミラの所は、ガソリンの揮発臭が消えて居ない。

カーミラ自身も、ガソリンをかぶったばかりで、火の粉が着けば間違いなく燃えるだろう。

野次馬の興味が、寺の火に移ったとは言え、

人の溢れるションベン通りに、殺人犯を1人で移動させると言うのは至難の業である。


「お疲れ様です。」


無線に唾を飛ばしている警官に、3人の警官が

ニヤつきながら近づいた。


「…」


「…」


「…」


「チッ!」


無線を切って安心した様な顔をした警官が、

舌打ちして近づく警官を追い払う。

近づいた警官は3人が3人共、缶ビールを持っていた。


「なんて夜だ…」


警官は、再び無線に唾を飛ばしながら不安げに火の粉を見つめ、パトカーが来るのを待つしかなかった。



寺の火はドンドン大きくなる。

警察の指示を無視して、火事をバックに自分の仮装を携帯に納める者が後を経たない。

そして仮装した野次馬は、醜い殺人犯も記念に納めようと、カーミラを取り囲んだ。

これには警官1人では対応できない。

カーミラのもとに2、3人警官が戻って来て騒ぐ野次馬を牽制する。


騒ぎの中、カーミラは1万円札で火の粉を追う

女を見た。


血だらけの1万円。

カーミラが渡した1万円。

赤い女だ。


大きめの火の粉を狙って1万円で受けている。

すると、上手く受け、1万円札から煙がでたのを大事に丸めた。

カーミラ目がけて走りだす。

野次馬を突き飛ばし、割って入って、丸めた1万円をカーミラに投げつけた。


「灰になれ…」


女が言うと、丸めた1万円札がカーミラに当たる。

足元に転がる1万円札が止まるのを、カーミラが目で追ったのと同時だった。


カーミラから一気に火が噴き出す。

握っていたスピリタスは、飲むどころか火が着いてボトルが割れ、火になった。

ガソリンの揮発臭が漂っていた廃墟の玄関口も瞬時に火がまわる。

火を消そうと警官がカーミラに近づこうとしたが、爆発的に燃えるガソリンの火に近づけない。

手の施し様もなく、警察と言えども見ているしかなかった。


カーミラと廃墟から火が出た事で、イベント気分の野次馬達の状況は一変する。

寺側と廃墟側から火で挟まれる形になったからだ。

いつの間にか弱い雨は止んで、沢山の火の粉が降って来た。

あちこちで仮装した野次馬の衣装を焦がし始める。


これにはたまらない。

やりたい放題だった野次馬が、悲鳴をあげながらションベン通りに流れ込む。

墓場に逃げ込み、墓石を足蹴にするバチ当たりもいる。

消防車がようやく顔を出し、半ば強引に進んでいたようだが、大して広くもないションベン通りをスナック通りに逃げようとする人で全く動けずにいる。

パトカー同様、サイレンだけが虚しく鳴っていた。


赤い女は、どさくさに紛れて消えていた。

人手不足の警察が追うにも、同じような仮装をした女が居過ぎて、特定するのは不可能だ。

混乱状態の人々を誘導するのに手一杯だった。


「燃える!焼ける!燃えろ!燃えろ!燃えろ!」


無責任な野次馬が騒ぐ。


「ハッピー!ハッピー!

ハッピー!ハロウィン!!」


賑やかに仮装した野次馬が騒ぐ。


…騒ぐ声に混じって子供の声がした…


「おやすみ…」


焼ける鼓膜で、カーミラが最期に聞いた

言葉だった。



消防車が人をかき分け、ようやく駐車場に

入った。

先に、殺人犯を収容し損じたパトカーが止まっている。

消防車は、無駄に場所をとるパトカーの横を

擦り、前に出た。

続く消防車も、パトカーに当てながら前に出る。

寺の駐車場はパトカーと数台の消防車で

一杯になった。


寺は白いビル1階の一部を残し、

燃えススで黒く変色し、火の勢いは激しく、

火柱が夜空をなめているようだった。


ミドリ宅は、もっとひどい。

弱いとは言え、さっきまで雨に濡れていたにも関わらず、玄関先から出た火は、

一気に廃墟全体を包み込み、消防隊と言えど、うかつに手を出せないほどひどい有り様だった。


ガソリンを撒かれた火元が、いつまでも激しく燃え、もはやカーミラの姿は火の中に

確認出来ない。

確認出来たとしても、今、彼女を引きずり出すのは不可能だ。

救いは、さらし首の生垣が、

かろうじて墓への延焼を食い止めている。

ヒイラギの葉が、弱い雨を受け止めていたからのようだ。


ようやく規制線を張り終わり、駐車場を

ウロつく警察と、この火の有り様に

消防隊員の怒りは頂点に達する。


「じゃまだ!!どけ!!

この、能無し野郎!!」


消火準備を急ぐ消防隊員が、近くの警官を

手当たり次第に蹴り倒す。


酔っ払うしか能のない街の警察とは言え、

野次馬の暴走を止められず、殺人犯を燃やしてしまったのだ。

能無しと言われても仕方がない。


水が噴射される。

噴射された水は、2匹の赤い怪物を締め上げる、太いロープのように見えた。


規制線の外では、火から逃れた野次馬が懲りもせず、火の顛末を見届けようと騒いでいる。

野次馬は、規制線の及ばない墓の中で、

酒を片手に眺めの良さそうな場所を求めてうろついた。


警察や消防の目を盗んで、さらし首の生垣に

かなり近い墓側で、赤い女が立っている。

女の居る所は、燃える廃墟に近く、

消火の水しぶきと火の粉が降りそそぐような場所で、野次馬も近づかない。

寒さで黒かった唇は、火にあおられて

桜色になっていた。


焼身自殺にしくじった吸血鬼は良く燃える。


女は寺に火を着け、吸血鬼の息の根を止めた。


迷子の…迷子の…子猫ちゃん🎵

あなたのお家は…どこですか🎵


女は吸血鬼が灰になれば、この火を見て

男が帰って来ると信じている。


鳴いてばかりいる…子猫ちゃん🎵


女は歌う。

火の勢いを眺めながら火の粉が髪を焼くのも

気にせず、燃える廃墟に消えた男との時間を

追っていた。


消防隊の奮闘虚しく、火は弱まるどころか

水のロープに縛られまいと、激しくもがく。


「そんな所に居ちゃ、危ないよ。」


見知らぬ男が棒立ちの女の手を引いた。


「ハロウィンとは言え、ずいぶん攻めた格好をしているね。」


男は、安全だがひと気のない墓場のすみに女を連れ込んだ。

口元に下心が見え隠れする。


男は整った顔をしていた。

どことなく女から消えた男に、似ている。


「3万払う?

それとも、幸せにしてくれる?」


女が言った。


「ハッピーハロウィン」


男が答える。

男は金など払う気はさらさらなく、

この後の展開に舌なめずりする。


「見つけた。」


そう言って女は男と唇を合わせる。

男も当然のように女の唇を吸う。


「離さないでね。」


御影を磨き込んだ大きな墓石が女を映す。

墓石には、女に加えて、裾の長い赤いワンピースを着た、けっこう歳上の女が

ドロドロに腐った遺体を抱え、折り重なるように映っていた。


…離さないよ…新しい…靴。


墓石に映る異形に2人は気づかない。


「楽しもうよ。

大きなカボチャのランタンが2つもあるんだから。」


男がニヤけながら、火事を指さす。


火も、仮装した野次馬の馬鹿騒ぎも、

警察の怒鳴り声も、消防隊の奮闘も、

当分収まりそうにない。

ハロウィンを彩るランタン(火事)は、

夜が明けるまで消えないだろう。


ハッピーバースデートウミー🎵 

ハッピーバースデートウミー🎵


女は歌う。


「誕生日なの?」


男が言った。


「今、生まれ変わったの。

あなたを見つけて。」


女が言う。


男は、この女がランタン(火事)を灯し、

人殺しなのを知らない。


「子供が産みたいの…」


女は男の耳元でささやいた。


男は女の身体を目で舐める。


「いいよ。

作るだけなら…」


男は女を押し倒した。


「幸せにしてね。」


女が言う。


男は答えない。


「離さないでね。」


女が言う。


男は答えない。


墓場のすみでうごめく2人に、

夜のほころびのような火の粉が届き始める。

オレンジ色のランタン(火事)は、見る者、

消す者の血を刺激して、顔を赤く変えて行く。



「離さないからね。」


女が言った。


仮装した野次馬に混じって、屍人も眩しそうにランタン(火事)を見つめていた。





…この街は…夜にのみ、目を覚ます。


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赤い人 沼神英司 @numakamisama

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