第40話
10月31日。
夜にのみ目を覚ます街が、この日ばかりは
キャバクラ通りを中心に、早くは昼頃から、
あわただしく動き始める。
ハロウィン。
暗くなれば、街は何処もかしこもカボチャの
ランタンだらけになり、温かみのある
オレンジ色に包まれる。
オレンジ色の灯りの中で、キャバクラ関係は
言うに及ばず、スナック、居酒屋のオヤジに至るまで、猫も杓子も仮装に余念がない。
毎年恒例のイベントなのだが、今回は各店とも
客を呼び込む気合いと金の掛け方が違う。
イベントを盛り上げようと必死だ。
それには理由がある。
夜のみに活気づくこの街に人が集まらなくなったのだ。
人が集まらなければ店は潤わない。
週末だろうが平日だろうが、売上低迷の毎日が続く。
人が寄り付かなくなった1番の原因は、
人殺しがあった事だろう。
ミドリの件は、腐乱死体と自殺で
酔っ払いの興味を引き、街は大いに潤ったが、
殺人ともなれば話が違う。
しかも、ミドリの件があった同じ屋敷で、
むごたらしく殺され、犯人が分からずじまいとなれば、敬遠したくもなる。
街はこのイベントを集客の起爆剤にして、
もとの活気を取り戻そうとしているのである。
まだ日が沈み切らないうちから、
キャバクラ通りは、こった仮装をしたキャッチでいっぱいになっていた。
その中を、白いタイトミニに白いシャツで
歩く女が居る。
肌寒い日だが、上着は着ていない。
真っ赤なハイヒールに手には出刃包丁か
ナタのような見慣れない刃物が握られている。
カーミラだ。
驚く事に、マスクもサングラスもせず、
素顔で歩いている。
さらに驚く事には、彼女とすれ違う度に、
みな驚きと感心と羨望の目で振り返るのだ。
誰もがクオリティの高い仮装だと思い込んでいる。
彼女がそれを狙っているのかはわからない。
二代目に殺されかけたダメージは全くなく、
かつて通い慣れた道を、この街1番のキャバクラ店に向かって颯爽と歩いて行った。
ホーンテッドハウス前には誰も居なかった。
開店には余裕がある。
見慣れた店の扉は、久しく出入りしなかった為か、カーミラの目に新鮮に映る。
カーミラはゆっくりと深呼吸すると、
扉に手を掛けた。
扉近くのキャッシャーには、何のコスプレか
理解し難い全身金色のタイツを着込んだ店長が、忙しそうにボールペンを走らせている。
カーミラが通ると、下を向いたまま顔を見ずに
声を掛けた。
「おはよう」
辺りはもう薄暗くなると言うのに、
おはようとは可笑しなものだが、水商売で出勤の挨拶と言えば、概ねおはようと決まっている。
カーミラは黙ったままホールに入った。
開店前のホールはオフィスより明るい。
イベントだからなのか、カボチャのランタン風船が浮いている。
天井からはシャレコウベのおもちゃが5、6体
ぶら下がっていて、なぜか5cm幅位の白布も、
だらしなく垂れていた。
営業用の照明になれば、店内動きづらくなるのは目に見えている。
お金が掛かっているようにも見えないし、
センスのカケラも感じない。
あの金ピカ全身タイツ店長の指示だろう。
何をしているのか、男スタッフが2人、
ホールをうろついている。
キャストは7人。
死神が1人とアニメキャラの何がしが1人、
他は着てるものが違うだけで吸血鬼かゾンビか
区別がつかない。
イベント時この時間、店に居るのは同伴にあぶれた開店要員だ。
20時を回れば、同伴のキャストが客を従えて、
店内はあっという間にいっぱいになる。
カーミラは鏡片手にコスプレの最終チェックに
余念のないキャスト達を確認しながら歩く。
全員見知った顔だ。
全員、バッカスコールの夜に接客していた
キャストだ。
男子女子ともに、ホールのトイレを確認する。
誰も居ない。
今のところ、スタッフもキャストも知った顔だ。
バッカスの夜に居た連中。
散々一緒に働いて来たと言うのに、
うろつくカーミラに誰一人気づかない。
それでいい。
知らない顔が居ては迷惑だ。
カーミラはスタッフ用トイレに向かった。
ドアを開けると、蛍光灯が点いている。
切れかかってチラついていたものは器具ごと交換されていて、かなり明るい。
不気味な雰囲気の象徴だった映りづらい鏡や
傷だらけの洗面台は、新しい物に入れ替わっていた。
その前にセイレーンが立っている。
セイレーンはカーミラが入って来た事に全く関心がなく、鏡に顔を突きつけながら夢中でめかし込んでいた。
「何見てるのよ。
用がないなら気が散るから、どっか行って。」
セイレーンは、カーミラを見ようともせず、
こう言って綺麗に仕上がった顔に血糊をのせ、アイライナーで傷を書き込んで行く。
カーミラは他に誰も居ない事を確認すると、
洋式からトイレットペーパーを引っ張り出した。
ロールが回る音がする。
「うっとうしいわね。邪魔するつもり?」
セイレーンがこう言った後、
カーミラはタイミングを計ったように自分の顔をセイレーンの肩にのせた。
鏡に2人の顔が映る。
セイレーンは、カーミラの顔の迫力に圧倒され、アイライナーを持つ手が止まった。
「凄いわね…ゾンビ?」
セイレーンが、鏡からカーミラを覗き込んで言う。
「…吸血…鬼…」
カーミラが答える。
カーミラの声は、二代目に絞められた事もあってか、さらに癖のある聞きづらいものになっていた。
「クオリティ高いわね。
特殊メイクの知り合いでもいるの?」
セイレーンはカーミラに気づかない。
カーミラの崩れた顔を、羨ましそうに興味津々で見ている。
「…やられた。」
カーミラが言う。
「そんな凄いメイク、プロでなきゃ無理ね。」
セイレーンは、再び鏡に向かってアイライナーを動かし始める。
「…や…られ…た。
よってたかって…」
カーミラの聞きづらい言葉に、セイレーンの手が止まる。
「…バッカスの…夜。
あんた…たち…に…」
セイレーンは大きく目を見開いて、
カーミラを見直す。
「カーミラ…?」
セイレーンがカーミラの名を口にした瞬間、
それを待っていたかのようにカーミラは、
クシャクシャに丸めたトイレットペーパーを、セイレーンの口にねじ込んだ。
セイレーンの手からアイライナーが落ちて転がる。
抵抗されると思ったが、セイレーンは目を見開いたまま棒立ちで、時折り苦しそうに喉を鳴らしている。
何か言いたげな目をしているが、
カーミラには興味も聞くつもりもない。
抵抗されれば一思いに処分し、無抵抗なら、
いたぶれると言うだけの事である。
「…そ…んな…メイク…じゃ…ダ…メ…ね。」
セイレーンの耳元でカーミラが言う。
見開いたセイレーンの目から涙が溢れている。
「あ…たし…に泣き…は…通用し…ないわ…よ。」
カーミラはそう言って、出刃包丁のような奇妙な形のナタを、セイレーンの頬に押し当てる。
セイレーンの身体が、小刻みに震え出した。
「…リアル…が…な…い…から…そんな…
ま…ぬけな…顔…なの…よ。」
カーミラは、セイレーンがアイライナーで書き込んだ傷に沿って刃を入れる。
これにはたまらない。
セイレーンは、顔を守ろうと両腕をバタつかせ逃げようとしたが、カーミラの振るうナタが、セイレーンのスネを襲う。
ナタを伝ってカーミラの手に、切ると言うより砕くような感触が伝わる。
床は血だらけになり、セイレーンは倒れた。
んー。んんーッ。ンんンー。ンーッ。んーッ。
セイレーンは倒れたまま、必死に抵抗を試みる。
悲鳴なのか助けを呼んでいるのか、セイレーンの喉が激しく動く。
しかし、ねじ込んだトイレットペーパーを、
カーミラがしっかり押さえている為、
セイレーンの声は音にならなかった。
セイレーンが抵抗する度に、手、腕、脚と
カーミラがナタを振るう。
そんな事を4、5回繰り替えすと、セイレーンは
時たま痙攣して、壊れた玩具のように動かなくなった。
カーミラは、セイレーンの顔を傷つける
「鼻を…そいだの…は…あや…ま…るわ。
ハロウィ…ン…らしい…顔に…なった…」
セイレーンは、溢れる涙を瞬きで切りながら、カーミラをにらむ。
「…生か…す…つもり…なん…て…なかった…けど…」
カーミラはそう言ってセイレーンの脇腹に
ナタを突き刺した。
「顔を…いじら…せて…もらっ…た…お礼に…急所は…外す…わ。
…運が…良…ければ…助か…る…かも…よ。
…その…顔で…生き…た…い?
苦しみ…なが…ら…逝き(生き)…なさ…い。」
カーミラの白いタイトミニは、セイレーンの血を吸って赤黒く色を変えている。
白いシャツも、セイレーンが抵抗したもがきの痕が血で柄を作っていた。
セイレーンの口にねじ込まれたトイレットペーパーは、自身の唾液と血を吸って小さくなりかけている。
その気になれば、口の動きだけで取れそうだ。
声さえ出せば、助けを呼べる。
けれどセイレーンは、ただ泣くだけで、
それをせずに横たえていた。
カーミラは鼻を削いだと言った。
それが本当なら手遅れだ。
助けを呼んで助かる意味がない。
セイレーンの脳は、身体中傷つけられ、
痛みで痛みの場所を特定できないでいる。
痛みで気を失いそうになるのを必死にこらえ、
バッカスの夜を思い出していた。
カーミラが明かりを消す。
「ハッ…ピィー…ハ…ロウィ…ン。」
カーミラはスタッフ用トイレを出て行った。
ホールは青暗く、営業用照明に変わっていた。
イベントだからなのか、紫色の光が帯になって、いくつもホールを割いている。
ブラックライトだ。
紫色の帯の中で、カボチャ風船や、天井から下がったシャレコウベと白布が、ぼやけた色を放ちながら主張している。
カーミラは、天井から下がる白布を1本引き抜いた。
カーミラは白布の端をくわえると、ナタを握った手にキツく巻き上げて行く。
「凄いコスプレね。」
大鎌の玩具を持った死神が、笑いながら近づいて来た。
「あたし達とはレベルが違い過ぎる。」
死神の後にキャスト達が集まって来た。
カーミラは黙って布を巻き上げている。
キャストはカーミラを見て感想を口にする。
そうだ、この声達だ。
バッカスコールの夜、あたしをこんなにして、勝手な事を言っていた声だ。
酔っていたとは言え、絶対に忘れない。
あの場にはもっと居たが、仕方ない。
運のいいやつは、どこにでもいるものだ。
「その血糊、乾いてないじゃない。
あちこち付いて汚しそうだから、更衣室のドライヤーで乾かして来たら?」
キャストの誰かが言う。
血糊ではない。
セイレーンの血だ。
スタッフ用トイレに行けば、顔をめちゃくちゃにされて血ダルマになった彼女が、瀕死で転がっているはずだ。
「それにしても、見事ね。」
「怖い。」
「本当に殺して来たみたい。」
カーミラはキャストの顔を見渡す。
どれもこれも知った顔。
お前たちは今日、金を掛けてわざわざ自分の姿を化け物に変えたまま終わるんだ。
カーミラは、可笑しくてたまらないのをこらえる。
「あなた…」
「誰?」
集まったキャスト達が、顔を見合わせる。
「誰?」
「誰?」
「誰?」
ホールをうろついていたスタッフも、カーミラに近づく。
「…。」
「…。」
「…カーミラ?」
キャストの誰かが言った。
その名が出た途端、親しげに近づいていたキャストが散り、スタッフがキャッシャーに駆け寄る。
カーミラにとって、これは決定的だった。
ここに居る全員が、やましい気を持っている。
バッカスの夜、その場に居ただけで何もしていない者が居たらと思うと気がとがめたが、
これで心置きなくナタを振るえる。
「あなた、カーミラさんですか?」
金ピカの店長が飛んで来た。
店長は、カーミラの比較的まともな顔の部分を覗き込み、かつてのNo.1の面影を探る。
「ハロウィン用のメイクって…訳じゃない…ですよね。」
無神経な事を言う。
バッカスの夜、スタッフが何かした訳じゃない。
むしろ何もしなかった。
救急車を呼んで、すぐに治療したとしても、
この姿に大差なかっただろう。
営業を取りやめて、傷害として通報するのが筋だ。
それを何事もなかったかのように、カーミラを傷つけたキャスト達と営業を続けた。
何もしなかった。
ホーンテッドハウスの可愛いキャストとの熱い夜はこれからです。
引き続き朝までお楽しみ下さい。
あの時、引きづられながら聞いた店長の声を、
カーミラは忘れていない。
「言いにくいのですが、もうカーミラさんの在籍はないのですよ。
トラブルの後、連絡いただけなかったし、
だいぶ時間が経ってしまいましたから。
細かい精算とかがないか確認しますので、
後日いらして下さい。
今日のところはイベントですので、申し訳ありませんが、お引き取り下さい。」
普段、店長はこんな話し方はしない。
カーミラの顔を見て、面倒な事になりはしないかと、気掛かりなのだろう。
カーミラは、ナタを握った手の白布を巻き上げ、くわえた端で器用に縛りつけた。
白布が巻き上がったナタを持つ手が、ブラックライトに照らされて怪しく光る。
カーミラは店の扉に向かって歩いて行く。
「お疲れ様でした。」
早く出て行けと言わんばかりに、店長の声がカーミラの背中を押す。
カーミラは店の扉に立つと、鍵をかけた。
扉前で赤いハイヒールを脱いで、店長のもとへ引き返す。
「何か?」
戻って来たカーミラに店長は動揺している。
「お…はよ…う…ござい…ま…す。」
カーミラが言った瞬間だった。
店長の喉元めがけてナタを切り上げる。
手ごたえはあった。
店長は奇妙な音を発したかと思うと、金ピカの身体を床に転がして痙攣する。
2人居たスタッフのうちの1人が、カーミラには目もくれず、倒れた店長に駆け寄った。
スタッフの手が店長の血で汚れる。
驚いてカーミラを見上げるスタッフの脳天めがけてナタを振りおろした。
金ピカ店長に重なるようにスタッフが倒れる。
あと8人。
ナタは血脂まみれになる。
凶器選びは時間をかけた。
包丁ではダメだ。
女の力でも扱いやすく、適度に重さがあり、切ると言うより割る事を目的とした、振り回しやすいナタを選んだ。
このナタ、先端が鋭く角度がついていて、突く事も可能。
何をするためにこの型になったのか分からないが、カーミラは非力な者でも人殺しができるように、この型になっていると思い込んでいる。
カーミラは血脂でドロドロの刃を脇に挟んで
拭った。
脇から血が吹き出したように、血でマダラ模様のシャツが更に汚れる。
ナタは拭われて怪しい光りを取り戻した。
この光景に、悲鳴をあげ右往左往するかと思いきや、キャスト達は皆一様に呆けた顔でカーミラを見つめている。
瞬時の事に、芝居じみて映ったのかも知れ無い。
カーミラの持つナタも、コスプレの小道具に見えなくもない。
今日がハロウィンと言う事もあり、目の前の
リアルを受け入れられないでいる。
キャストの1人が、床を2人分の血が黒くはって行くのを見て悲鳴をあげた。
悲鳴で呪縛が解けたのか、キャスト4人は
店出入り口の扉に押し寄せ、残り4人は
唯一残った男性スタッフを盾に、スタッフの背中で震えながら泣き始める。
逃すつもりはない。
カーミラは出入り口に向かうキャストを追った。
ヒール履きのキャストは、素足のカーミラに難なく追いつかれる。
最初に扉に着いたアニメキャラは、鍵をひねれば簡単に出れると言うのに、うろたえて、
ただ泣き叫びながら扉をたたいている。
続いて化け物キャストが3体、扉をたたく。
鍵には全く気づかない。
カーミラはそれを満足そうにながめると、
鍵に近いキャストから処分する事にする。
カーミラはナタを握ったまま縛り付けた手に
もう片方のてを添えて、キャストの背中に突っかかり、ナタに体重を乗せた。
扉前に固まっていたキャストの前で、カーミラに刺されたキャストがもがく。
カーミラはとどめを刺さずに、もがくキャストの顔を刻んだ。
店内に、顔を刻まれるキャストの悲鳴が響く。
こんな声が出せるのかと、悲鳴で店内が凍りつき、そのむごい悲鳴が終わるのをキャスト達は耐えるしかなかった。
それを目の当たりにして腰を抜かしたキャストが2人、はいつくばって逃げようとする。
カーミラは2人の両腕、両脚にナタを振るって
自由を奪った。
声帯が破れる程の悲鳴が2つ、店内に加わる。
カーミラは動けなくなった一方の口めがけてナタを振った。
一撃で、歯が砕け舌が裂け頬は喉に向かって深く割れ、衝撃でアゴが外れる。
アゴが外れた事で間抜けな顔になった。
溢れる血で溺れたようになり、悲鳴などあげれない。
放って置けば、自分の血で窒息しそうだ。
カーミラは、自分の血で苦しむ間抜けな顔に満足したのか、もう一方のキャストにナタを向けた。
カーミラが近づくにつれ、キャストの悲鳴が大きくなる。
カーミラは、腕脚を砕かれて抵抗できなくなったキャストの髪を鷲づかみにして両耳を削いだ。
キャストは目をむき、顔全体が口になったかと思うくらい大きく口を開けて、息の続く限り悲鳴をあげる。
カーミラは、切り落とした両耳をキャストの口に放り込んだ。
むせて悲鳴が止まる。
「よ…く…かん…で…のみ…こ…め。」
カーミラは、ナタの先端をキャストの腹に押し当て、両耳を頬張るキャストの口元を見つめている。
キャストは圧倒的な恐怖で咀嚼をはじめるが、飲み込めず、胃の中の物と一緒に吐き出した。
吐物はキャストの目や鼻に入って新しい苦痛を与える。
両耳は吐物に紛れてわからなくなった。
よく噛んだらしい。
カーミラは顔を傷つけようと馬乗りになった。
その時。
隠れていたアニメキャラが飛び出して扉にしがみついた。
冷静さを取り戻し、鍵に気づいたらしい。
カーミラは慌てる。
アニメキャラが鍵を回した。
扉が開く。
…
…
…
カチッ。
鍵をかけ直す音がした。
扉の前で、頭を割られたアニメキャラが倒れている。
間に合った。
アニメキャラの頭からドロドロと勢いよく血が吹き出している。
床をつたって扉外に流れ出しそうだ。
カーミラは片手でアニメキャラを引っ張る。
ナタを握ったまま縛り付けている為、
両手は使えない。
女の力で、しかも片手で死体を動かすのは至難の業だ。
仕方なく布の結び目をかみちぎり、血だらけの布を解く。
血を吸った布が床にベタリと張り付いた。
死体の尻にナタを突き立て、再び引っ張る。
動いた。
苦しみもがくキャストに並べて転がす。
あと4人。
カーミラは死体からナタを抜いて、ホールに向かう。
ホールに入った途端、飾りつけてあった布やシャレコウベの玩具が一斉にカーミラ目掛けて飛んで来た。
構わず進む。
死神を見つけて壁際に追い込んだ。
死神は大鎌の玩具を振って、無駄な抵抗を試みる。
大鎌がペシペシとカーミラの脚にあたった。
本物ならカーミラの足は飛んでいる。
飾りつけが飛んで来てうっとうしい。
こんな事くらいしか、やり用がないのだ。
死神を処分しようと、玩具の大鎌目掛けてナタを振り上げる。
バダダッダダダッン。
派手な音がしてカーミラが吹っ飛んだ。
飾りつけに混じってテーブルと椅子が飛んで来たのだ。
カーミラは、男子スタッフが1人残っているのを、すっかり忘れていた。
「この人殺しやろう!」
スタッフは叫びながら、吹っ飛んだカーミラに飛び掛かった。
スタッフの拳がカーミラの顔面にめり込む。
カーミラが、ナタを握り締めていたとしても、捨て身の男の腕力にかなうわけがない。
スタッフの反撃に、これまでかと思いかけた時、突然反撃が止まった。
スタッフは目をむき驚いて、カーミラの見苦しく型を変えた胸に釘付けになっている。
取っ組み合っているうちに、シャツのボタンが弾け、ブラがずれてカリフラワーの乳房が顔を出していた。
このチャンスにカーミラは、スタッフ目掛けてめちゃくちゃにナタを振り回す。
手ごたえはあった。
スタッフは倒れ込み、血溜まりの中で痙攣している。
カーミラはとどめを刺す訳でもなく、唾を吐きかけて、自分の身体のダメージを確認していた。
スタッフ用トイレから悲鳴がした。
おそらくセイレーンではない。
スタッフ用トイレに逃げ込んだキャストが、セイレーンを見つけたのだろう。
ホールのトイレからもキャストの気配がする。
ここで取り返しのつかないミスをしていた事に気づく。
事前にトイレの鍵は、全て壊して置くべきだった。
籠城されれば、ドアを壊すのに時間が掛かる。
まして、1箇所のトイレに掛かっている間に、他のトイレに居る者が脱出してしまうかも知れない。
顔を痛ぶるのに夢中になって時間を掛け過ぎた。
捕まる訳にはいかない。
このまま店を出てしまえば、トイレに逃げ込んだキャスト達は、カーミラを恐れてしばらくは出て来れないだろう。
時間は稼げる。
残念だが、あきらめるしかない。
潮時か…
カーミラはキャッシャーに向かった。
店長はカーミラの名を聞いてよほど驚いたのか、レジが開いていて現金がむき出しになっている。
金に用はない。
キャッシャー奥の棚に用があるのだ。
棚には、発電機とそれを動かすガソリンの入った携行缶、それに常連だったロシアかぶれの客にせがまれて仕入れたウオッカのケースがある。
発電機は停電が頻繁に起こった事があり、
その度に混乱した事から、ガソリン式で扱いやすいのを常備する事になった。
買ってからは1度も使った事はないが、
5ℓの携行缶のガソリンを欠かした事はない。
ウオッカはスピリタス。
スピリタスは、アルコール度数95度を超える酒である。
中身はほとんどがエタノールで、ロシアかぶれの言うがまま仕入れたはいいが、
せがんだ本人も飲まなくなり、店ではける事もなく在庫として埃を被っていた。
どうでもいい事だが、スピリタスはロシアでなくてポーランドの酒らしい。
カーミラは、ガソリンの入った携行缶とウオッカを3本、棚から出した。
最後のゲームだ。
これを持ってミドリの廃墟へ向かわねばならない。
店を出る時は、これを持ち出そうと初めから決めていた。
布製のかなり大きなトートバッグがある。
中にはカボチャのボールやら気味の悪いお面、
どうやって使うのかわからないようなグッズがいっぱいに入っていた。
イベント用に店長が用意したのだろう。
中身を床にぶちまけて、棚からせしめた物と
ナタを入れて持ってみる。
重いが持てそうだ。
けれど、3本のウオッカのうち1本諦めて、カーミラはキャッシャーを出た。
まだ息のあるキャスト達が、苦痛から奇妙な声を出している。
大きな声ではない。
大きな声や音を出せば、再び、今度は死ぬまで傷つけられると警戒しているようだ。
顔中が痛み始める。
視野もどことなく狭くなった気がする。
さっきスタッフの反撃で、無茶苦茶に殴られたのが、今になって腫れ始めたのだろう。
どんな事をされたとしても、醜い事に変わりはない。
カーミラは、そろえて置いた赤いヒールに、
血溜まりを散々踏み散らかして汚れた足を納め、トートバッグを持つと、出入り口扉の鍵を回した。
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