第13話
匂わない?
作り物の綺麗な鼻をヒクつかせて、
カーミラが言う。
始まった。
臭いとでも言うのか?
言われ慣れた言葉に、ようやくいい気分で酔い始めた身体に水を差す。
ションベン通りは、昨日の雨でまったく匂わなかった。
仮に、鼻がバカになっていて、いつもの臭気がまとわりついていた事に気付かなかったとしても、今は母の買ってくれた透け気味の
白いワンピースに着替えている。
汗の匂いなら、女吸血鬼も、ツチノコ坊主も、お互い様だ。
…けど …そう言えば… …女好きの部長にも言われた事を思い出す。
…カ …オ …カオ カ… オ… カオ…
聞こえる。
生霊。
赤いワンピース。
どこだ?
そして、後悔なんて思いを赤いバケモノに変えて、つきまとわせるのは誰だ。
…リ …エ …リエ リ… エ… リエ…
匂いどころじゃない。
この声が聞こえ無いの?
リエって誰よ。
この店で、何かしようとするなんて、
いい度胸ね。
ここに、一応だけど、坊主が居るわ。
カーミラは、呆けた顔で、私を見つめている。
二代目は、目が合って、何か言いかけたが、
それをワインと一緒に飲み込んだ。
足元に、嫌な気配がする。
テーブルの下を、覗き込んだ。
カーミラの長い脚が、だらし無く伸びている。
その中心は、真っ赤な下着が、舌を出したように見えて、少し汚れている。
これで、二代目の脚にまたがったのか…
少しだけ、ツチノコ坊主が気の毒になった。
いた。
カーミラの椅子の陰。
あの目だ。
瞳の無い… 白い… 鈍く光って…
やたら小さい…
鬱陶しい生霊…
一瞬、店の薄暗い明かりがテーブルの下にとどいて、生霊の姿を映す。
猫だ。
黒猫。
口は無いが、私に向かって威嚇しているのが
わかる。
身をかがめて、手を伸ばす。
そのとたん、私をすり抜けてテーブルに乗り、
ボトルとグラスを倒して、カーミラの膝の上に落ち着いた。
溢れたワインがテーブルを伝って、
かがんだ私のワンピースに大きなシミを作る。
もったいない。
いったい、いくら分のシミだ。
白いワンピースのキャンバスには、
アニエスべーのトカゲのようなシミが、へばり付いていた。
突然、何するのよ!
カーミラが、真顔で、怒りの牙をむく。
猫が… 黒い猫よ。
やったの見たでしょ。
あなたの膝に乗ったじゃ無い!
猫を追う。
居ない。
けど… 気配は続いている…
猫なんて、どこに居るのよ!
テーブルの下を覗き込んだかと思うと、凄い顔して、いきなりワインを倒したんじゃない!
これは、バッカスワインよ!
酔って幻覚を見るのは勝手だけど、タチが悪過ぎるわ!
スタッフが、駆け寄る。
カーミラは、それを片手で散らして、テーブルに近づかせ無い。
バッカスコールのテーブルで、No.1キャストに逆らえる者など居ない。
飲むわよ。
カーミラは、テーブルにへばりつき、ピチャピチャと音を立てて、舐め始める。
居た。
赤い猫。
50過ぎて、カーミラの真似は出来ない。
かと言って、おしぼりでテーブルを拭うのも気が引ける。
テーブルに身体を押し付け、溢れたワインを、出来る限りワンピースに移した。
ごめんなさい。
2人に謝った。
どんな言い訳をした所で、信じてはもらえないだろうし、何より高価な酒が倒れた罪悪感で、いたたまれなかった。
カーミラも私も、ワイン染みでいっぱいだ。
私のワンピースは、もはや白とは言い難い。
今しがた、誰かの血をすすって来たみたいだぜ。
ホーンテッドハウスの夜は、こうでなきゃ!
二代目は酒がこぼれて不機嫌になるどころか、
上機嫌に、こう言って、持っていて無事だった
グラスのワインを、自分の股間に垂らして見せた。
吸血鬼は、それを見逃さ無い。
ツチノコ坊主に付け込むチャンスだ。
坊主バー、やりたいんでしょ。
ミドリさんちで。
カーミラは、ワイン染みだらけの身体で、二代目に抱きつき、彼が今しがた湿らせた股間を、子供の頭をなでるように、優しく触れていった。
ミドリさん、ゲームしましょ。
カーミラは、3人のグラスに酒の無い事を確かめて、唐突におかしな提案を始める。
ミドリさん、死んだら家をあげるって遺言状書いて。
あたしは、彼の代わりに勝負するわ。
あたしが勝ったら、
遺言状とリピートバッカス。
ミドリさんが勝ったら、
無料の豪華御葬式とリピートバッカス。
人なんて、いつ死ぬかわからないし、ここはホーンテッドハウスだもの。
キャハハハハハハハハ…
ボトルにはグラス2杯分のワインしか残っていない。
ふざけたことに、私が死ぬのが前提の賞品だ。
不愉快極まり無いが、カーミラはボトルが倒れた事で、私がこのゲームを断れない事を知っている。
おまけに、勝負に関係なく、バッカスコールをリピートさせようとしているのだ。
一夜にして、バッカスコールを二度。
ホーンテッドハウスで伝説を作ろうとしている。
抜け目の無い大妖怪だ。
女吸血鬼が手を上げると、スタッフが飛んで来て、コースターとボールペンを私の前に置く。
遺言状をコースターの裏に書けと言う事か?
ボールペンは、もちろん赤だ。
二代目は、リピートバッカスの提案に酔いが覚めたのか、空のグラスを持ったまま、真顔で私たちの成り行きを見守っている。
私がボールペンを握ったが最後、リピートバッカスが成立する。
その瞬間、一夜にして、とんでもない支払いを、彼はせねばならなくなる。
この時点でやめさせる事も可能だが、見栄っ張りのツチノコ坊主に、ゲーム中止を口にする勇気は、まず無い。
女吸血鬼は、これも織り込み済みだ。
ヤツの境遇がどうであれ、私を散々いじめて来たヤツだ。
それなりの代価を払ってもらう。
赤いボールペンを握った。
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