第5話
あれ? 臭わない…
いつもなら晴れたションベン通りは憂鬱だ。
地面から異臭が幾重にも立ち上がり、
身体にしがみついて染み込んで行く。
息だけは守ろうと、異臭が酷くなる通りの真ん中あたりから、出来るだけ息をしないよう、
素早く抜ける。
それが、まったくしないのだ。
昨日の強い雨が、数ある異臭の種を洗い流してくれたようだ。
深呼吸する。
ションベン通りで深呼吸出来るとは、
なんて贅沢な朝だろう。
いつもなら息を止めて、忙しなく抜ける通りを、時間が許す限り、ゆっくり歩いた。
スナック通りに近いた時…
やっぱり私はついてない…
居た
それが朝まで飲んだくれていた酔っ払いで無い事はすぐにわかった。
屍人か…
昨日、切った指先を見る。
傷口は完全に塞がっている。
生理なんて、最後になったのを忘れるくらい前で、それからは無い。
赤いワンピースを着た女が揺れている。
今まで、さんざん見て来た屍人では無い。
皮膚が粟立って、冷たい汗が流れた。
何故見える。私は血を流して無いのに…
よく見ると女には顔が無い。
のっぺらぼうと言うより、正確には首から上の部分が、周りの景色と同化していて、
かろうじて顔の輪郭のようなものが確認出来る。
立っていると言うより、吊るされた赤いワンピースが風も無いのに揺れて、それにあわせて
手足が動きを追っていた。
ひと目で良く無いものだと思った。
こんな天気のいい朝になんて事だ。
誰か、あのスナック通りから、こちらに歩いて
来ないだろうか…
屍人は放っておけば危害を加え無いはずだが、
あれは屍人と言うより化け物の類いに近い。
なんせ顔が無いのだから…
関わってはいけない!
私の中心で不安の警報が大きく鳴る。
怖い!
あのワンピースの女の前を抜けないと、今日一日が始まらない。
危険な夜のションベン通りじゃあるまいし、
意を決して赤い女に近づいた。
すれ違いざま走る。
スナック通りに入ると駅に向かって、さらに息が続く限り走った。
何も無い…
ただ、すれ違いざま臭いがしただけだ。
不快な臭いだが、ションベン通りのとは明らかに違う。
息を整えて駅に向かった。
何かされたわけでは無い。
けれど、不安の警報は鳴りっぱなしだ。
気持ちを切り替えなきゃ…
ホームで電車を待っている時だった。
臭いがした…
赤いワンピースの女の臭いだ。
見渡したが、居ない。
紛れる程の人は居ないし、あの赤は目立つ。
電車が入って来た。
…リ …エ… リエ… リ…エ…
電車の音に紛れて女の声がする。
電車の窓に映る自分を見て、恐怖で気が遠くなりかけた。
私が赤いワンピースを着ている。
正確には首の無い赤いワンピースの女が、
意味不明の言葉を発しながら、私の前に立っていた。
その姿が電車の窓に映り、ちょうど私が赤いワンピースを着ているように見えたのだ。
悲鳴を喉の奥で押し潰し、素早く電車に潜り込む。
電車が速度を上げて、乗り込んだ駅を後にする。
このおばちゃん怖いよ…!
前に座っていた子供が、いきなり私を指差して、大声で泣き出した。
隣りの母親がなだめながら、私に申し訳無さそうに何度も頭を下げたが、いっこうに泣き止まない。
居た堪れなくなって次の駅で降りた。
子供は私に何を見たのだろう。
私の見た赤いワンピースの女か…
今日は遅刻を覚悟した。
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