赤い人

沼神英司

第1話

私の住む街は夜にのみ目を覚ます。


駅を背に、すれ違える通りが2本と一方通行の細い通りが1本。

それぞれ、居酒屋通り、キャバクラ通り、スナック通り、夜になると能天気な原色を放ちながら、かなりの距離が朝まで続く。

一方通行のスナック通りは小学校の通学路だった。

顔見知りのママさんにお菓子をもらえて本気で将来はスナックのママになろうと思っていた。

スナック通りを右にそれると、いきなりだだっ広い墓地が飛び込んで来る。

この道は墓地を割るように伸びて、はずれには寺があり、道を挟んで向かい側に母と私だけが住む家があった。

この道はションベン通りと言う。

罰当たりな話だが、飲み屋街で散々飲んだ不届き者が仏様の面前で放尿したり、嘔吐したり、好き放題の粗相をする為、季節に関係無く四六時中、すえた臭いが通る者にまとわりつく。

寺の住職や母が、しょっちゅう掃除を繰り返しているが、やるだけ無駄になっている。

ここを通らずに家に行くのは不可能で、ここを使う為か、服に誰とも知らない酔っ払いの痕跡がまとわりつき、それを理由にイジメられた。

イジメの筆頭は向かいの住職の倅で同じ幼稚園、小学校、中学と、自分もこの通りを使わずにいられず同じように臭いのを棚上げにして、飽きもせず私のスカートをめくったものだ。

女の子にとって臭いは致命傷だが中学に入る頃にはイジメより厄介な生きていた痕跡がまとわりつくようになる。


見えてしまうのだ。


それは生理と同時に始まった。

昼夜男女の区別なくションベン通りの何処かに立っていて、ただひたすら独り言を繰り返している。

生理中ずっとだ。

私の場合、女に生まれた事を恨みたくなるくらい重いのに加えて、それらの存在を見せつけられるのは学校のイジメよりしんどかった。

生理で無い時は、まったく見ないのだが、怪我をしても現れる。

そして、よく怪我をした。

怖いと思った事は一度も無い。

それは、それが普通の人と区別がつかない程リアルに見えるからか、私がどうかしているからか…

ただ間違って声を掛けたりすると、厄介な事になる。

以前、うっかり声を掛けて左手薬指の爪を怪我で取られた事がある。

妊娠中、子宮から血が出た時は、目が合っただけで、声を掛けた訳では無く、たまたま、この通りに居て、苦痛に声をもらしただけなのに子供を取られた。

同時に女の一部を持って行かれた。

子供は産めなくなった。


おいてけよ…


やつらは自分の存在を確認できる者を探し出し、声を掛ける間抜けから気まぐれに一つ奪って成仏しようとたくらんでいるのだ。

生理の度、怪我の度、こいつらに関わらないよう気を配ったつもりだが、色々持って行かれた。


私はもう50になる。


たまには何か持って来い!

お前ら、どうせ地獄にしか行けないんだから!

こんな事、言ったらどうなるだろう。

手足を取られるか命を取られるか、この歳になると取られて惜しい物が無くなっている事に気づく。

旦那になるはずだった男に、子供を取られて二度と妊娠できなくなった私は女じゃ無いと言われた。

それじゃ私はなんなんだ。

屍人と一緒か?

子供が産め無くても50でも、かろうじて重い生理はある。

そして相変わらず怪我をする。


子供の頃、向かいの寺は夜中の墓場より怖かった。

寺は全体的に黒く広い。

訳の分からない仏像が大小8つも立っていて、どの位置からも半目を開けた仏像と目が合う。

暗い寺の中だけ昼でも夜に思えるのは蛍光灯が1本も無く、裸電球をまばらにつけている為だ。

おまけに住職には顔に大きな痣がある。

黒子が変異した物らしいが、顔半分が醜く欠けたように見える。

そして日に三度聞こえる読経は、地獄の扉が開いたように不気味に響いた。

この薄気味悪い読経で仏様が喜ぶのかと子供ながら不思議に思えた。

そんな住職だが、見た目に反して、とことん優しかった。

見えてしまう私を、いつも気にかけてくれた。

子供を流してしまった時は、母よりも、子供の父になるはずだった男よりも泣いてくれた。


いらっしゃい。


黒く暗い寺を訪れる人には誰にでも、その欠けた恐ろしい顔で優しく声を掛ける。

そんな住職も一昨年、仏になった。

今は私をイジメたスカートめくりの二代目が寺を継いでいる。

黒い寺も今では白いビルになり、スカートめくりは、ろくに読経も出来ないのか録音した読経を流していた。


ションベン通りに割かれた墓場は黒い板塀で囲われていてスナック通りに近づくにつれ、酔っ払いの粗相で一部腐れて、朽ちて、今では安っぽいブロック塀に変わっていた。

墓場隣の私の家は分厚い生垣で囲われ守られている。

生垣前に人が立つと、丁度、首だけが出て生垣に首を置いたように見える事から、さらし首の生垣と言われている。

亡くなった父が魔除けにヒイラギでこしらえた。

皮肉にもヒイラギの葉は鋭く、しょっちゅう私の手足を傷付け、ションベン通りで屍人の独り言を聞かされる羽目になった。

魔除けとは、良く言ったものだ。

ションベン通りで父に会えるなら恨み言の一つも言ってやりたい所だが、成仏しているだろうし、成仏出来ずに独り言を繰り返す父になんかには絶対、会いたく無い。

父の遺影は穏やかで優しく笑っていた。




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