第18話


テクマクマヤコン テクマクマヤコン 

テクマクマヤコン


サリーは私が勝ったのが当然のような顔をして、こんなゲームには興味が無いのか、

相変わらずブツブツと独り言を言っている。

吸血鬼に私が勝てたのは、サリーの魔法に助けられたのかも知れ無い。


カーミラは、ゲームの勝敗などどこ吹く風か、

上機嫌でイスに立ち上がると、赤黒い血と唾液を撒き散らせながら、客の群に向かって

何か叫んでいる。

カーミラの言葉を理解できる者など居ない。

口の傷は、軽くは無いのだ。


カーミラ!カーミラ!カーミラ!カーミラ!


高揚感と興奮が、このテーブルを中心に狂っている。

取り巻きの目に、かなり低くく値ぶみされた

私の女が、たまらず悲鳴をあげる。

ゲームの勝者は私だ。

けれど、このこみあがる劣等感と敗北感は

なんだろう。

苦労して手に入れた勝利が見当たらない。

華やかに見えた宝箱の中身が、

開けたら空だった。

宝箱には、開ける人を選ぶ仕掛けがしてあったのだ。

店の中で私の居るテリトリーだけ、

完全に抜け落ちている。


カーミラ!カーミラ!カーミラ!カーミラ!


勝負に負け、傷ついてなお、客を魅了する

女吸血鬼がまぶしい。


…まぶしい…まぶしい…うらやましい…こんなゲームに夢中になるなんて…まぶしい…うらやましい…うらめしい…こんなゲームするんじゃ無かった…うらめしい…ねたましい…いい歳してバカだ…後悔…

うらめしい…ねたましい…いい歳して…

いい歳して…後悔…後悔…



怖いよ!


サリーが私を見て叫ぶ。


赤くなる、赤くなる、どんどん赤くなる!

ミドリさん!

戻って!戻って!…ミドリさん!

怖いよ!


私を大きく揺すりながら、サリーがおびえている。


ホールのみんなも赤!

ミドリさん、そんな目をして見えてるの?

ジジはあきらめるから、戻って来て!



サリーには見えている。



カーミラがドレスに手をかける。

取り巻きとの約束を果たすつもりだ。


カーミラ!カーミラ!オッパイ!オッパイ!オー!オー!カーミラ!オッパイ!オー!オー!オー!オー!


騒ぐ取り巻きの間から、ホールがのぞく。

ホールに残った赤いワンピースのキャスト達が、いつの間にか立ち上がって、

ジリジリとこのテーブルまでの距離を詰めているように見える。

不気味が、ゆっくりと、このテーブルを目指していた。


赤いワンピースのキャスト達をながめても、

さっき感じた恐怖や異常さをまったく感じ無い。

私も赤いワンピースに感染しかかっているようだ。


サリーが泣きながら私の名を呼ぶ。


ミドリさん!ミドリさん!ミドリさん!


サリーの声は、盛り上がったカーミラの群の騒ぎで聞きにくい。

いつのまにか、赤い果実をむくように赤いドレスをはだけさせ、群の中心で青白い実をさらした女吸血鬼が居た。


オッパイ!オッパイ!たまんねえなあ!オッパイ!


群の興奮は最高潮だ。


オッパイ!オッパイ!見るだけなんて殺生な!オッパイ!ちょっとだけ、触らせておくれよぉ!オッパイ!金なら払うから!オッパイ!オッパイ!


群の誰かが叫んだ。

カーミラに向かって一斉に手が伸びる。

手には諭吉がヒラついていた。


カーミラはイスから降りて、諭吉を握っていた手に乳房を握らせて、効率良く諭吉を回収して行く。


そう言うお店じゃありませんから!


これには見て見ぬふりのスタッフも、さすがに腰を上げざるをえない。

カーミラは血の混じった赤黒い唾液をぬぐいもせず、スタッフに向かって何か叫んでいる。

そのまわりを諭吉を握った無数の手が、まるで

吸血鬼にまとわりつくコウモリのように

ヒラヒラと舞っていた。



バシ!



硬い金属音がして店が黒くなる。

何も見えない。


パン!パン!


グラスの割れる音がする。


ギャアアアア!…

アー!

ギャー!


私から、ごく近い所で女の悲鳴がした。


カーミラ…?

視界がまったく効かないが、人の動く気配はする。

店のメインブレーカーが落ちたようだ。


危ないですから、動かないで下さい。

明かりはすぐつきます。


スタッフが叫ぶ。


店内は、さっきまでのバカ騒ぎが嘘のように

しずまりかえり、たまにする物音と、

それなりの人数の息が黒い固まりとなって、

いくつものグループが、このテーブルを中心にうごめいているのが不気味だ。

隣でサリーが泣いているのを感じる。

口を切って、まともに言葉を発せ無いのだから、あの奇妙な悲鳴はカーミラに違いない。


黒から白に視界を奪われ、店に明かりがついた。

ついた明かりは営業用では無く、全点灯で、

店の薄暗い明かりに慣れた瞳を冷たくイジメる。


カーミラさん!


最初に目に飛び込んだのは、目の前で上半身裸のカーミラがグッタリ床に転がり、スタッフが運ぼうとする姿だった。

カーミラの喉が上下して、溺れているように細かく震えている。

カーミラの姿はひどかった。

顔は頬にグラス片が刺さり、

剥き出しの胸は、心臓の辺りを中心に細かい

グラス片が食い込み集まっている。

乳房の傷は目をおおう。

刃物でつけたような直線の傷先にグラス片が

めり込んでいる。

傷の位置が悪かったのか、右乳首がえぐられ

取れかかっている。

傷のひどさに比べて、血の量が少ない事から

命にかかわると言う事は無いのだろうが、

顔と乳房を台無しにされたのだ。

カーミラの女は、今、確実に死んでいる。


このテーブルを中心に、店の様子が激変している。

あれだけ群れていた客が、誰ひとり近くに居ない。

かわりにホールに残っていたキャスト達が、

このテーブルを取り囲んでいる。



フフフフフフフフフフフ…



取り囲んだキャスト達は、全員口元をゆるませ、満足げにカーミラを見つめている。

全員、手や指に怪我をしていた。


怖い…

おもらししちゃった…どうしよう…


サリーが震えながらしがみつく。

彼女の下半身がくっつき、私を濡らした。



…あの女、調子に乗り過ぎ…

…前から気に入らなかった…

…苦労して夢中にさせた客、何人も横取り

 されたし…

…いつか思い知らせてやりたかった…

…どうせ高い報酬もらっているんだから

 いいのよ…

…もともと整形でしょ…

…また整形すればいいじゃない…

…今夜のバッカスのギャラだってとんでもなく

 高いわよ…

…今より綺麗に改造して戻っ来るわよ…

…整形のきっかけ作ってやったんだから、

 感謝してもらわなきゃ…


カーミラの狂った取り巻き客と入れ替わって、

キャストの壁がせわしなくささやく。



…フフフフフフフフフフ



彼女達がブレーカーを落とし、

目の効かない闇の中で、女吸血鬼の乳房に群れるコウモリを押し退け、寄ってたかって

カーミラを傷付けた事は明白だ。

けれど、あの数分間の暗転で、これだけの事が

できたなんて、人間業とは思え無い。


…人では無かった…店に居る全員が…

私に見えていなかっただけで、客もスタッフも客を狂わせた

被害者のカーミラも、赤いワンピースが、

深く重なっていたのかも知れ無い…

…生霊…生霊の渦…



…フフフフフフフフフフ



…ミドリ?

あれはいいのよ。

いい歳したオバサン。

あんな歳まで、近所のオジサンから小遣い

もらっているような仕事しかできないんだから。

知り合いとは言え、バッカスコールの客もむごい事するわね、No.1とダブル指名するなんて。

見なさいよ、今じゃ流行らない何十年も前の

ワンピース着込んで、あわれじゃない。

あんなに汚れて、乞食か死人ね。

バッカス指名もらえたとしても、ああはなりたく無いわ。



ささやきでは無い。

キャストの壁の誰ひとりとして私と目を合わせず、私に聞こえるように無慈悲な言葉を並べる。



店の明かりが営業用に戻った。

カーミラが引きずられて行く。

あわれな吸血鬼の手には、コウモリの羽根を

むしったように、固く諭吉が握られていた。



トラブルがございましたが、ホーンテッドハウスの可愛いオバケとの熱い夜はこれからです。

引き続き朝まで、お楽しみ下さい。


スタッフの声にキャストの壁が散った。

何事も無かったかのように店の時間が、

いつもと変わり映え無く流れはじめる。

店の中心だったバッカスコールのテーブルには、潰れてテーブルに突っ伏した二代目と

もらした魔法使い、

時代遅れのワンピースを着込んだ死人か

乞食のような私が、流れ始めた店の時間に取り残されていた。


久しぶりの出勤で疲れちゃった。

ちょっと早いけど、他に客が居る訳じゃ無いし、早めに上がらせてもらうわ。

あなたは自分のテーブルがあるんだから、

戻った方がいいわよ。


サリーは私の言葉には答えず、黙って潰れた

二代目を見つめている。

スタッフがやって来て掃除を始めた。


ここに居る。


サリーがつぶやく。


指名が居るんでしょ?

お客さん待たせて大丈夫なの?


ちょっとだけカッパを気にして見た。


あの子はひとりでも大丈夫だから。


カッパには魔法をかけ済みらしい。


ミドリさんが帰っちゃったら、この人、

起きた時、誰も居なくなっちゃうもの…


そう言って、サリーはゆっくりと二代目の頭をなでた。


スタッフの掃除は雑に手際いい。

グラス片やカーミラの血と一緒に、このテーブルと私達ごと片付けてしまう勢いだ。


ここはバッカスコールのテーブルよ!

プレミアムなゲストも居るのに気を使え無いの⁈


サリーが怒鳴る。

これは、指名をもらっている私が言うべき事なのだろうが、幼なじみと言う甘えと疲れで

気が回らず、帰る事ばかり考えていた自分に

気づく。

近所のオジサンから小遣いもらっているような

仕事しか出来ない。

その通りだ。


これも片付けて。


サリーはもらした下着を素早く脱いで、

スタッフに投げつけた。

私にしがみついて、おびえていたサリーは

いない。

目の前には、獲物を前に舌なめずりする

したたかな女が居る。

二代目が起きた時、サリーの虜になるのは目に見えている。


帰るわ。


サリーは二代目の頭をなで続けている。

スタッフは私と目を合わせると片付けを続けたまま、私まで片付けたように満足げに笑った。


テーブルを後にする。

キャッシャーに帰りたいと伝え、あっさり了承されると、更衣室に向かう。

入ろうとすると女性スタッフが血相変えて飛んで来た。


更衣室は今、ダメです。

着替えや必要な物は、私が取って来ますので、

トイレで着替えて下さい。


更衣室には今、傷付いたカーミラが居るらしい。

救急車は呼ばないつもりだ。

店でのトラブルは、人殺しでも無い限り、 

表に出る事は無い。

女性スタッフが、着替えをゴミ袋に詰めて持って来る。

母の嫌った新しい靴も忘れずに持って来た。


お疲れ様でした。


自分がかなりひどい姿なのは理解しているが、

着替える気にならず、店用のヒールをスタッフに押し付け、靴だけは履き替えて外に出た。


新しい靴。

スズランの靴。

ドロドロの疲れとドロドロの気持ちが足元から

抜けて行く。

魔法の靴だ。

風が気持ち良い。

少しだけ歩いてみよう。


ラミパスラミパスルルルルル 

ラミパスラミパスルルルルル


魔法の靴は彼のアパートに向いていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る