第21話


携帯が鳴っている。

いつもはマナーモードなのに、

どこで切り替えたのだろう。

朝か昼なのか判断つかないが、部屋が明るい。

案の定、携帯は会社からだった。

体調不良を口実に休みをこう。

どこも悪い所は無く、演技でも無いのに、

もうろうと会話している自分に驚く。

ちらっと目に入った携帯の時刻は昼を回って

いた。


この部屋には時計が無い。

暗いか明るいかだ。

お大事にの一言に胸が痛む。


ちょっと寒い。

裸の開放感。

毛布が一枚。

これに巻き付いて、寝ていたらしい。

彼と私の服が消えている。

替わりに彼のスウェットの上下が、丸めて

置いてあった。

彼の臭いがキツイ。

洗濯して無いのだろう。


六畳、二間続きの部屋は、彼が居ないと

かなり広く感じる。

置いてあるのは机と椅子。

机の下には、隠れるようにワンドアの小さい

冷蔵庫がのぞいていた。

冷蔵庫の中身は、いっぱいのビールが

整然と収まっている。

生活感のまったく無い部屋だ。

一つしか無い窓を開けてみる。

窓からは、ビルの背壁が二つ

灰色に視界をさえぎり、威圧感で

胸がいっぱいになるが、ビルとビルの隙間から、たっぷりの光が入って来て、

息苦しさを忘れさせてくれた。

光に目を細めその隙間をのぞき込むと、

切り取ったように遠くまで

建物の景色が見える。

さらに遠く、小さく観覧車がのぞいていた。


痛。


右胸の先端が赤黒く変色している。

彼は、どうして乳首を噛んだのだろう。

そんな行為、今までしたためしはない。

彼の意思では無いはずだ…

…さしずめ、赤いワンピースか

ここに居座る女のさしがねに違い無い…

鈍い痛みが女心を傷付ける。

今は優しく吸ってくれる彼は居ない。

居たとしても、明るいこの時間では

抱いてくれないだろう。

彼は目隠ししている状況でしか、

私を男の欲望の対象として見てはくれない。

今さらながら、彼の事で知っている事と言ったら、暗い間中、私を喜ばせてくれるタフな身体と優しさだけだ。

今は彼を知らない不安よりも、

知らずに過ごす時間に満足している。

そして、初めて明るい彼の部屋に居る自分に、

女の明日のようなものを感じ、

嬉しくなった。


彼のスウェットを着た。

臭いに抵抗は無い。

むしろ、激しい夜を思い出して濡れた。

私の服は何処に行ったのか…

服が無い事を言い訳に、宝探しを始める。

収納なんてろくに無い。

服なんて、どうでも良かった。

人の生活を盗み見するのは気分が高まる。

お宝は、新しい彼の発見だ。



…。 …。 …。 …。 …。


お宝の探索は、あっという間に終わった。

同時に、子供じみた興味本位の行動を悔やんだ。

探索の成果は、机の引き出しから

カッターナイフが1本。

そして、何故かお店の私の名刺。

彼が店に行っている様子は無いし、

もちろん名刺など渡した覚えは無い。

押入れは2段になっていて、

上の段には見慣れた布団が1組。

下の段には、彼の着替えが数着と、

この部屋には似つかわしく無い、

スコップやら、ロープやら、

キャンプ用品のようなものが、乱雑に

置かれていた。


たったこれだけである。

彼がここに住んでいるとは思えない。

これでは私を抱く為だけに、夜、廃墟に通っているようなものだ。

彼の思考を必死で読むが、理解出来ない。

開け放しの押入れをぼんやりながめていると、

押入れのすぐ脇の壁に違和感を感じた。


安っぽい壁紙で誤魔化しているように見えるが、明らかに小さな収納があるように思える。

彼がやったのか…

それにしては、壁紙の焼け具合に時間を感じる…

こうなると、確かめずに居られ無い。

机のカッターを持ち出し、壁に切りつけた。


簡単に刃が入る。

思った通り、丁度ノートを見開いたような

サイズの戸棚が隠れていた。


観音開きの戸棚には、開けられ無いよう

気味悪くお札が何枚もはってある。


この時点で、この手の事をまったく信じない

彼の仕業とは思えない。

彼に関係あろうが、無かろうが、

中が気になる。

封印されている様な所を開けたら、

ろくな事が起きない気はするが、

ここまでして中身を確認せずに、元に戻せる

人など居るだろうか…。

よく見ると、お札はそんなに古い物とは

思えない。


自身の傷と引き換えに屍人と関わり、

今、誰の思いとも分からない生霊に

振り回されている。

今さら何か出て来た所で、驚く事は無い。


彼のスウェットを脱ぎ、傷は無いか

入念に調べる。

ここは自殺者の部屋。

昨夜の女に会うのはゴメンだ。


封印に赤いワンピースは無関係。

しばし目をつぶってもらおう。


歯止めの効が無くなった好奇心が、

はぎ取りやすそうな1枚に手をかけた。



ボトッ。ボトッ… ボトッ… ボトッボト…



お札を1枚はがしただけで、

勝手に観音開きが開く。

中身が何か、1つ…2つ…いくつかこぼれ、

畳が鈍い音を吸い込んだ。


瞬間、言ようの無い恐怖が目から飛び込んで来て、息苦しく胸を膨らまし、

早鐘の心臓を押しつぶす。

身の毛がよだつ。


裸でなんて居られない。

身を守るつもりで、みたび彼のスウェットを

着た。



位牌。



誰のものとも知らない位牌が、隠し戸棚いっぱいに押し込んである。

尋常で無い数だ。

どう考えても、何処からか集めて来たとしか

思え無い。

気味が悪くて手に取る事は出来ないが、

そのひとつひとつが傷付けられ、

どれひとつ見ても無事な物は

無さそうに見えた。


見れる範囲で良く見ると位牌には

傷と言うよりも、怒った顔や泣いた顔、

なんだかわからないような顔が、

不器用に、乱雑に刻まれている。

全てが、まともな神経とは思えない。


あの女だ。

昨夜、私達の行為を物欲しそうにながめていた、あの女に違いない。


この建物の関係者は、何処から持って来たか

わからない傷付いた位牌を、

戻す訳にも、供養する訳にもいかず、

手に余ってここに隠したのだろう。

むちゃくちゃにはってあるお札には、

商売繁盛と書かれた物もあった。


こんな所に居て、まともで居られるはずは

無い。

彼には悪いが、

このまま、帰ってしまおう。


出ようとするのを見計らったように

携帯が鳴った。

…彼からだった。


もう起きてるよね。

疲れてそうだったから起こさなかったよ。

おしゃれなミドリさんになって欲しくて、

洋服買いに来ちゃった。

サイズわからなかったから、全部持って来ちゃったよ。

何処かに行かれたら哀しいし…


全部って、汚れた下着まで持って行ったと言うのか…。

見まわせば、携帯以外、何一つ

自分のものが無い。

靴は?

スズランの靴…

魔法の靴…


…無かった…



待っててね。


そう言って、彼は一方的に切った。

へなへなと、その場にしゃがみ込む。

彼の言葉で、部屋に縛り付けられた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る