第36話


すり気味な女の足音を、男の重く雑な足音が

食い気味に、2つの気配が部屋に入って来た。


二代目は身構える。

幸い明かりらしい物は持っていないようだ。

女のすすり上げる音がまだしている。

顔は見えない。

女は白いワンピースを着ていて、

白は暗い部屋の中でも女の動きを確認する事が出来る。

男はまったく見えない。

単に男の服装が黒なのだろう。

2人の様子をうかがいながら、二代目は

極度の緊張から呼吸がしづらくなって行った。


「…怖い。」


女のすすり泣きが止み、しばらく沈黙が続いたのち、女が口を開いた。

小さな声だが、張り詰めた二代目の耳には

よく聞こえる。


「何をいまさら…」


部屋の闇から男の声がする。


「そうやって怖がってるふりしてるだけだろ。

ここに来るのだって10や20じゃきかないよな。

毎度、毎度、手間かけさせやがって。

大した役者だよ。」


女とは対照的に男は、少しイラついているように早口で言う。


「今だって居るわ。

さっき足音がしたでしょ。

私達は見張られてるの。」


女の言葉に、汗が二代目の額から頬をつたい、顎で大きな雫を作りながら、止めどなく

垂れ始める。


…ばれてる…のか…?


このまま2人が、部屋の探索など始めようものなら、二代目とカーミラの姿など、

あっという間に見つけられてしまうだろう。

恥ずかしい程騒ぐ二代目の心臓が、

緊張で凝り固まった呼吸をさらに邪魔をする。

二代目は腹に力を入れたまま、

夢中で呼吸の手助けをしていた。


「そりゃ居るだろうよ。

ここは幽霊屋敷だぜ。

何人もが、赤い女の幽霊を見てるんだ。」


男が早口で話したあと、しばらく2人は黙り込む。


どうやら幽霊探しはしそうにない。

二代目はほんの少しだけ安心する。

けれど気は抜けない。

相変わらず二代目の心臓は、騒ぐ事を止めれないでいる。


「うっとおしいなあ!」


いきなり男が怒鳴る。

男の大声に二代目は驚いたが、悟られるようなヘマはしなかった。


「…幸せにして。」


女は男の大声に驚きもせず、つぶやく。


「え?なんだって⁈」


男の口調はいちいち威圧的で不快だ。


「幸せにして…」


「なんだって⁈」


「…普通でいいの…」


「訳わかんねえよ!」


「幸せになりたいの。」


「いつも気持ち良くしてるだろ!」


「普通がいいの。」


「普通じゃ感じねえじゃねえか!

こんな薄気味悪い所でやるのが好きなくせに!」


白いワンピースのすそが、スルスルと上がり、腰の辺りでクシャつく。

男がまくり上げたのだろう。

女の脚がかすかに見えるが、下着は見えない。

二代目は2人の目的を察して、渇いた口から

生つばを飲み込んだ。


「幸せになりたいの。」


女が言う。


「気持ち良ければいいだろ。」


「幸せにして。」


「すぐ、気持ち良くしてやっから。」


「あなたと幸せになりたいの。」


女は壊れた玩具のように、幸せの一言を

繰り返す。

そして倒れ込み、四つん這いになった。

白いワンピースは、見る間に白い浮き輪に姿を変え、女の腰の辺りでまとまって行く。

女は男のなすがままだ。




「産むわよ!」


いきなり女が叫んだ。


男は女の声に驚いて手を止める。


「産ませるかよ!

こんな幽霊屋敷で種付けしたガキなんていらねえよ。

俺が突き殺してやる。

俺と幸せになりたけりゃ、子宮を取るか、

ピルを欠かさず飲み続けるんだ。

穴の締まり具合しか取り柄のない女のくせに。」


男のベルトが外れる音がする。

服がこすれる音がして、2人の呼吸が大きく

なって行く。


…幸せになりたいの…幸せになりたいの…

…幸せになりたいの…幸せになりたいの…


女は吐く息に合わせて幸せの一言を繰り返す。

不規則に肌と肌が弾く音がしていやらしい。

二代目の緊張が、自身の性欲にすり替わって

行く。

無理もない。

目と鼻の先で、他人の行為を見せつけられて

いるのだ。

いや、見せつけられていると言うには

語弊がある。

暗い部屋の中、見えていない。

かろうじて見えるのは、クシャついたまま女にはりついている白いワンピースだけだ。

白いワンピースの動き、息づかい、

行為に絡んだ全ての音。

行為自体、見えない事が、二代目の想像を

刺激して、興奮をあおった。


死ね!死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね!


男が叫び始める。


幸せになりたい。幸せになりたい。

幸せになりたい。幸せになりたい。


死ね!死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね


死ね!!





今まで入って来なかった止みかけの雨音が、

鼓膜をたたいて二代目は冷静さを

取り戻して行く。

心臓は騒ぐどころか、自身で認識出来ない

通常の立ち位置に戻り、汗は不必要に

シャツを濡らさなくなる。

見つかるかも知れないと言う緊張感は、

出歯亀的性欲に相殺されて落ち着きを取り戻す。

呼吸は、潜む二代目が操りやすく従った。


部屋がもとの空気になって行く。


短距離を全力疾走した直後のように男の呼吸が激しい。

クシャクシャに小さくなった女のワンピースがズルズルと面積を広げて行く。

男の呼吸が整う頃に、白いワンピースはもとの姿に戻っていた。


「…幸せにしてくれる?」


女が言った。


「産むわよ。

3人で幸せになろうよ。」


白いワンピースが移動して立ち止まる。

やる事終えてすぐさま距離を取った男に

近づいたのだろう。


「産むわよ。」


「……」


「いいわよね。」


「……」


「幽霊屋敷で作った赤ちゃん、可愛いがって。」


「…突き殺したはずだぜ。」


「赤ちゃん、あやしてくれただけでしょ。」


「……」


「優しいのよね。」


「死んじまえ…」


「私とできなくなるわよ。」


「……」


「いいの?」


「…ヤダ。」


「幸せにしてよ。」


「……」


「産むわよ。」


「……」


「ここで作ったあなたの赤ちゃん。」


時たま男の咳が聞こえるが、白いワンピースはハンガーに掛けた後のように全く動かない。

これが、泣きながら怖がって屋敷に入って

来た女なのだろうか。

静寂は屋敷の不気味さを取り戻して行く。

部屋のほぼ中心で、暗さの中、

浮いているように見える白いワンピースは、

女が着ていると分かってはいても、

気味が悪い。


しばらく沈黙が続く。

沈黙は男を追い詰めて行く。


「いらないの…?」


女が口を開いた。


「いるか!そんなもん!!」


イラつきながら男が吐き捨てる。


バタッ… バラバタ タタタタタッ…


鈍い音がして白いワンピースがくの字に曲がり、床を派手に転がる。

男が女を突き飛ばしたようだ。

間を空けず、服の上から肉を殴る音がして、

白いワンピースが動く。

男が女に手を上げている。

確実に始末したいのか加減しているように

思えない。


「…産むわ…よ…」


ドスッ。


女は痛みをこらえて口を開く。

男は答える代わりに女を痛めつけている。


「…幸せ…に…なりたい…の…」


ドスッ。


「…産んだら…幸せに…なれ…ない…の…」


ドスッ。


「…産…んだ…ら…嫌い…に…なっちゃ…う…の…」


ドスッ。


「…産む…の…やめ…た…ら……幸せ…に…して…く…れる… …?」


ドスッ。



2人の様子をうかがいながら、

二代目は青くなる。

女が突き飛ばされた場所は、カーミラを隠した穴の真ん前なのだ。

こちらからは、相変わらずカーミラの赤い服の一部が見える。

痛めつけられている女はまだしも、

男が気付かないのが不思議だ。

二代目は焦り出す。

けれど、やりようがない。


「…産む…の…やめ…る……から…幸せ…に…し…てね…」


女は声に出さなくなった。


男の息が荒くなる。

女への暴力は続いている。

女は男の暴力を受け入れているような

気がした。


ドスッ。ドッ。ドッ。ドスッ。ドッ。ドッ。ドスッ。ドスッ。ドッ。ドスッ。ドッ。


やりようのない焦りは苛立ちを生む。

女は男の暴力に抵抗している様子はない。

女を痛めつけている鈍い音は、二代目の苛立ちをあおり、男への怒りに変わって行った。


もう!いい加減にしやがれ。


二代目は爪が掌に食い込む程固く拳を握る。

どんなやつか知らない男への怒りで、

制御が効かなくなって行く。

女を殺した手で、女への暴力をやめさせるのか…

腕っぷしには多少、自信がある。


あの音を止めてやる。


ドスッ。ドッ。ドスッ。ドスッ。ドスッ…


二代目は穴から飛び出し、力任せに男を

突き倒す。

男は大きな音を立てて吹き飛んだ。


「…どっから…出てきやがった!」


いきなりで驚いたのか、ちょっと間を空けて男が叫ぶ。

良く見えないが、男は明らかに動揺している。


「ゴキブリです」


二代目が言った。


女は静かに痛みをこらえている。

まず、穴から距離を取らねばならない。

二代目は、転がる女を部屋の入り口近くまで引きずる。

そして男からの反撃に備えた。


男の荒い呼吸がする。

しかし、反撃して来ない。

突き飛ばした拍子に怪我でもしたのか?

怪我だろうが何だろうが、これ以上、長居されては困る。

二代目は面倒臭げに男に近づいた。



ギィヤアァァァァァァー!!


女が悲鳴をあげる。

喉が裂ける程の悲鳴だ。

二代目は驚いて女の方を振り返る。

転がっていた女が、今は座り込んでガタガタ震えている。

男どころではない。

二代目は女のもとへ行った。


女は一度目の悲鳴で喉を痛めたのか、パクパクと口を動かしながら、息だけで声にならない悲鳴を続けている。

女の震えは、機械で揺らしたように、

女の肩に手をそえた二代目に伝わる。


女は何におびえているのだ。


女の向く方に目をやった時、二代目は身体中が凍りつき、腰を抜かした。




いる。




正面の穴の奥。





立っている。






赤い人が。

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