第11話



私の生理。


思い込みだったのか?

子宮の病気か?


今更、医者に行くつもりはない。


子供が流れた時、もう産めなくなったと伝えて来たのは母だった。

母に言われるがまま、医者も言いづらい事と思い、医者に確認もしなかった。

何より悲しさで、おかしくなっていた。

その時の男も、母から聞いたに違いない。


母が嘘をついた?


こんな女として残酷な事を、実の娘に語る理由が見つからない。

当時の私は無知で、歳の割には幼かった。

母に聞いても気分が悪くなるような答えが返って来るのは目に見えている。

こんな歳まで、母の言葉を疑いもせず過ごして来た、おひとよしの自分に呆れた。


思い込まされていたのか…

母に…

思えば、あの日から、女らしい男との出会いや恋愛は無かった。


あなたは、私が与えた男で無いと幸せになれないんだから。


死んでもいいから、子宮の病気であって欲しいと思う。

私は、救いようの無いバカだ。




それにしても、このクソ坊主は許せ無い。

この調子だと、ここに限らず、キャバクラ通りの行きつけで私をネタに言いふらしているに違いない。


わざわざ金払って、からかいに来たのか!

指名なんて、こっちから願い下げだ!


カーミラがカラカラと笑いながら、もっと飲めとシャンパンボトルを揺らして見せる。

注がれた一杯を飲み干し、さらに注がれた一杯を二代目のツチノコにくれてやった。

慌てて、スタッフが飛んで来る。


申し訳ございません。


たかがグラス一杯のシャンパンをスタッフ2人がかりでぬぐっている。


ミドリさん!なんて事するんですか!お客様に謝まりなさい!


ヤダ!


カーミラが手を叩いて私の真似をする。


ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ…。


どうやら、この女吸血鬼に気に入られたようだ。


席を立とうとすると、二代目が意外にもスタッフを払い除け、いきなり土下座した。


カーミラ!調子に乗り過ぎだぞ!


カーミラが悪い訳じゃ無い。

お前がカーミラに私を語った事に、腹を立てているのだ。


大事な話だ。

聞いてくれ。


客が土下座した事に他のテーブルがザワつく。

二代目の真顔に気を取り直して席についた。

けど、許した訳じゃ無い。

彼が席につくのを見計らって、スタッフは消えた。


ガキの頃から、ろくに話した事ないだろ。

サシで話すのは気まずくてね。


カーミラは空気を読んだのか、スイッチの切れたオモチャになっている。


俺さぁ、母ちゃんの顔、知らないんだよね。

写真も無いし、一緒にいた記憶すら無い。

いきなり、あの恐ろしい顔の親父と一緒だろ。

俺だけ卵から産まれたのかと思ったよ。


カーミラが3つのグラスにシャンパンを注ぐ。


うちの親父、どんなふうに見えてた?

あんたには、いい人に見えてたんだろうなぁ…


一杯あおって続ける。


ミドリちゃんは可愛い。

ミドリちゃんは勉強が出来る。

ミドリちゃんは運動もできる。

ミドリちゃんは… ミドリちゃんは… ミドリちゃんは… ミドリちゃんは…

…ミドリちゃんは屍人が見える…

…ミドリちゃんは屍人と話せる。

ミドリちゃんは…そのうち仏とも話せるようになる。


口の中が乾く、グラスに口をつけた。


親父、あんたが好きだったんだと思うよ。

…子供の頃から…

…女としてね。


……。


そんな娘、イジメたくなるだろ。


カーミラが席を立つ。

さすがに聞いていられないのだろう。


あんた、幼稚園に入る前に、俺を見た記憶あるかい?


家の前に住んでいるのに、見た記憶が無い。


今で言う… 何だっけ… ネグレクトってやつ…

本堂の裏にプレハブがあってね。

幼稚園に上がるまでは、そこにぶち込まれていたのさ。

飯もろくに食わせてもらえず、墓の御供え盗んで、なんとか生きてた。

ハハハハハ…。

いつ死ぬかと思ったよ。

出れたのは偶然、檀家がプレハブの俺を見つけてくれたんだ。


二代目がフルーツに手を伸ばす。

中から一番大きなイチゴを摘むと、自分でついだばかりのシャンパングラスに放り込んだ。

それを、噛みもしないで、一気に飲み込む。

こいつは、やはりツチノコだ。


外面ばかり気にする親父だろ、そこからは飯だけは腹一杯、食べれるようになったよ。

けど、それからは、殴る蹴るは当たり前、それが仏の修行だって言うんだから恐れ入る。


俺は息子だぜ。

当時は寺から出る事ばかり考えてた。


それがさぁ…中学卒業間近だったかなあ…


二代目のグラスが空だ。

カーミラは席を立っている。

注がなくてはいけない。

驚きで動けない。

私を察してか、彼は手酌でシャンパンを注ぐ。

ボトルを持ったまま、私に飲めよとうながした。

一気にあおると、2杯目を注いでくれた。

シャンパンがグラスを通して、指先の熱を奪って行く…


親父が合掌したまま、俺を蹴り飛ばそうとした時にさあ。

俺を蹴るつもりが、誤って、本堂の柱を蹴っちまったんだ。

俺を蹴るのに手加減なんかしないから、思いっきりだぜ。

当然、スネを折っちまう大怪我だ。

そんで、俺に病院へ連れて行けって怒鳴るんだよ。

今、理由もなしに、蹴り倒そうとした俺にだぜ。


俺はさぁ…


当時、親父の気分で殴る蹴るされて、終わると必ず、合掌させられてたんだ。

だから言ってやたんだ。


連れてって下さいだろ!

合掌しろ! 合掌!


親父、合掌したよ。

それ見て決めたんだ、寺に残るって。

親父の呪縛から解放された瞬間さぁ。


子供は親を選べない、親だって子供を選べない。

俺がされて来た何倍も、こいつに味あわせてやれって思ったのさ。

それまで、逆らうなんて感情、無かったからね。

飯だけは、ちゃんと食わせてもらってたから、中学でも大人並みの体格だったし。

もう、こいつに、いいようにさせるかってね。


でも、寺の仕事を覚えるまでは、今まで通り好きにさせたよ。

殴りたい時は、殴らせてやったさ。


一通り覚えて、檀家廻りもするようになって、親父は、日に3度の読経くらいしかしなくなった時。

いきなり親父を殴ったよ!

力いっぱい!

もちろん、理由もなくね。


どんな顔、したと思う?


フフフフ…



これは、俺の一生の宝さぁ。

…だから、教えない…


フフフフ…


親父も最後は病気で死んでくれて、子供孝行してくれたよ。


フフフフ…

俺を殺人犯にしなかったんだから。




汗でワンピースが濡れて重い。

薄暗いホールの明かりでも、下着がハッキリ透けているだろう。

着替えなきゃ行けないレベルだ。

汗は止まらない。

動け無い。


神や仏が居るなんて、ちゃんちゃら可笑しいぜ。

俺は信じやしない。

少なくとも仏は居ないよ。

寺ん中で、経を読みながら、何年も虐待されて、一昨年まで虐待して来た俺が言うんだから、間違い無い。


あんたに屍人が見えるなんて、親父の請け売りだから信じちゃ居ない。

けどさぁ…

上手く説明出来ないけど、不思議はある。

なんか… こう… 嫌な…悪い…空気と言うか… 気と言うか…

とにかく、とんでも無く悪い事かな…

それが、俺にはわかるんだよ。

そんで今、あんたの家が最悪に見えるんだ。

俺がプレハブに押し込まれて、飢えていた時みたいにね。

あんたをイジメてた俺が言うのもなんだけど、もっと早く言ってあげたかったよ。

あんたの家、ガキの頃から、救いようのないように見えてたぜ。



動け無い。


いい歳して…変わったイジメ方ね。


そう言うのが精一杯だった。



俺の寺は酷かった。

手を合わせながら、親子二代の虐待寺だからね。

何が起こっても不思議じゃ無かった。

わかっててもやめられなかった。

だから、親父が死んで、何から何まで親父の痕跡を壊してやったよ。

そんな俺が言うんだ。

あんな土地、売っ払って、どっかに行きゃあいいんだ。

俺によこしな。

面白おかしく有効利用してやる。


二代目の胸元で、枷の十字架が動く。

彼はゆっくりと手を合わせた。

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