第29話


土砂降りの夜。


広い墓場に添い寝するように黒く横たわる

屋敷の入り口で、

たくさんの赤が忙しなく断続的に点灯し、

強い雨のうしろで緊迫した夜をあおる。

何台もの警察車両と救急車が

屋敷の入り口を取り囲み、向かいの寺の敷地まで埋めていた。


何人もの男が、

ある者は合羽を着込み、ある者は傘をさして、屋敷の中をいぶかしげな顔をしたまま

行き来を繰り返している。

土砂降りは周囲の音を飲み込んでいるのだが、その男達はかまわず声を張って会話している。

側から見れば、男同士罵り合っているように

見えた。


彼等の仕事を見守るように野次馬が集まっている。

野次馬が少ないのはこの土砂降りのせいだろう。

その中で、小さめの傘をさし

屋敷を見つめる向かいの寺の住職がいる。

彼が小さく震えているのは、

傘からはみ出した肩を濡らしたせいだろう。

手にはホーンテッドハウスのコースターがある。

コースターの裏には、遺言状とあった。

遺言状の文字が雨でにじんでいる。


母娘は、何処かへ運ばれて行った。

主人をなくした屋敷の中を

緊迫した重苦しい空気の中、

大勢の男達が動き回っている。

そんな男達をぼんやりながめながら、

ビール片手に屋敷の奥で壁にもたれ

両足を投げ出して座り込む男は、

明らかにその場で浮いていた。

空になって潰れたビール缶がその男の周りを

取り囲む。

男は手のビールを飲み干すと、力無く放った。


カン… カラ… カラ… カ… カ…


乾いた音が部屋中に響き、

忙しなく動く男達の手を止める。

座り込む男の行いに、その場の男達全員が

迷惑の視線を浴びせる。



しばらくすると、ひときわ体格のいい男が

ネクタイを緩ませ、シャツの一番上のボタンを外しながら座り込む男に近づいて行く。

その手には水のペットボトルが握られている。


「話し出来るかい?」


男はそう言って、

警察手帳の代わりに手にした水のペットボトルを座り込む男の前へ突き出した。


「聞いて下さい。」


座り込む男はペットボトルを受け取ると、

そう言いながら素早くボトルの口をひねり、

水で喉を鳴らす。


「君が通報したんだよね。」

「はい。」

「ここの家族とは、どんな関係なのかな?」

「…関係ですか…」


座り込む男は、ちょっと考えて続ける。


「…関係なんて…ないです…」


制服を着ていないところから、体格のいい

この男は刑事なのだろう。

座り込む男の答えが意外だったのか、

緩めたネクタイを更に下げて言った。


「人が2人も亡くなっているんだよ。

関係ないって事はないだろう。」


刑事の言葉を聞き流して男が言う。


「気持ちが入ってませんから、関係なんてないって事ですよ。」


「酔ってるのかね?」


面倒臭げに刑事が言う。


「酔えませんよ。」


買い言葉のように男が言った。


「君の精神論を聞いている訳じゃない。

私が聞いてるのは事実だけだ。

君が関係ないと言うのなら、君は何者なのかね。」


男の答えに、あからさまに不快な顔をして

刑事が言った。


男はペットボトルの水を少しだけ片手に移し、それをペタペタと顔にたたいたあと

まばたきを繰り返して答えた。


「なんでも屋です。」

「なんでも屋?」

「はい。

刑事さんの前で言うのもなんですが、

お金をもらってそのお金に見合えば

犯罪スレスレの事だってしますよ。」

「そのなんでも屋が、

この家とどう関わったって言うんだい?」

「仕事ですよ。」


男は携帯のメールを刑事に見せると、

素性を知らない依頼者や依頼内容を語り始め、ミドリとの関係を語る頃には、

刑事の隣にもう1人、筆記役の刑事が

加わっていた。


「この家に上がったのは今日が初めてで、

ここは俺の物になるはずでした…」


こう言って溜め息をつくと、男は続ける。


「大きい家とは聞いていましたが、

下見もせずにいたのは、ミドリと付き合って

いる間中、この家に乗り込む日を

楽しみにしていたからですよ。

そんな計画が、乗り込んだその日に

なくなってしまうなんて…」


男はペットボトルを置くと、側のリュックからビールを取り出す。

筆記役の刑事が、それに気づくと

あわてて、もう飲むなと言わんばかりに

男の手を止めた。


「仕事とは言え、ここの娘さんと何ヶ月も

付き合っていたんだろ?

その間、何の感情もなかったと言うのかね?」


そう言って、聞き役の刑事が男の顔を

のぞき込む。

嘘など言うものなら、

たちまち嗅ぎ分けてしまいそうな眼差しだ。


「だいたい、美人だけど俺よりはるかに歳上の、浮いた話の1つもない女を、

情なんかでおとせるとあなたは本気で

お思いですか?

お思いなら、刑事なんて辞めて小説家にでも

なればいい。

アプローチは、俺に興味持ってもらうのに必死でしたし、付き合ってからはこの家を手に入れる為、少しでも母親の立場より有利な立場を

作るのに必死でしたよ。

好きでもない女となんて、何ヶ月付き合おうが情なんてわきませんよ。

…ミドリはいい思いをしたんでしょうけど…」


男はビールをあきらめ、

再びペットボトルをくわえて

今言った言葉を水といっしょに腹に流し込み、更に続けた。


「ミドリの気持ちを、俺で一杯にしようと

努力すればするほど、

この母娘の関係に割って入るのがどれだけ

大変かわかりましたよ。

簡単にここの主人にしてくれるほど、

この家は甘くないって事です。

娘盛りを過ぎた50女が、俺に抱かれるより

母親の若い時の写真を見ている時の方が、

幸せそうな顔してるんです。

母親がミドリにどんな暗示をかけていたか知りませんが、親離れ子離れできない母娘が、

変わり映えしない毎日で自覚できない

ストレスを食らい続け、

ミドリは無意識に母親のわがままを受け入れるようになり、母親は言いなりの娘に安心する。

母親はミドリが子供の頃、愛情一杯に接していたようです。」


筆記役の刑事の手が止まった。

男のこのへんの情報は、どうでもいいらしい。

聞き役の刑事はいぶかしげに男を見詰めたまま黙って男の話しを聞いている。

その刑事に、制服警官や別の刑事が、

時々耳打ちしていた。


「ミドリみたいな美人でも、あんな歳まで

手元に置きゃあ、くたびれるに決まってる。

くたびれて自分に近づくミドリを見て、

どんな気持ちだったんでしょうね。

俺には理解できません。

当のミドリだって理解していたかどうか…

母親にいろいろ聞かせてもらいたいけど、

腐ったんじゃ、何も聞けませんよね。」


男はあくびを噛み殺して続ける。


「嘘っぱちな恋愛でも、俺の立場が母親より上になればなるほど母親が邪魔になったんでしょうか…?

…まさか…やっちまっていたなんて…」


筆記役の刑事が何か言いかけた。

それを聞き役の刑事が制して、

男の語りを待っている。


「理由はどうあれ、母親を手にかけた時点で、ミドリはまともじゃなかったのでしょう。

…でも…俺に襲って来るまでは、いつもと

変わらなかった…

あれは事故です。

俺はとっさに身を守っただけです。

俺も人殺しになるなんて事はないですよね。」


男は刑事の答えを待つ。


刑事はちょっと呆れ顔で、ゆっくりと念を押すように口を開いた。


「本当に襲って来たんだね?」


意外な刑事の答えに男は戸惑う。


「はい。

ア…ア…とか…気味の悪い声を絞って

襲って来ましたよ。」


男が答える。


「それは、苦しさのあまり君にしがみついて、助けを求めていたんじゃないのかね?」


男の反応を確かめながら刑事は続ける。


「さっきから君は、聞いてもいないここの住人の事を語っているが、死人に口なしとは良く言ったものだ。

我々の興味は、娘さんが倒れてから君が通報するまでの君の行動なのだよ。」


男は、驚くと言う一言ですますには気の毒なくらいに驚いて、息を飲む。


刑事は畳み掛けた。


「仕事だろうが何だろうが、君がここの娘さんと恋愛関係であった事に変わりはない。

母親の死体を前に、そんな彼女を親殺しと

決めつける君の神経を疑うよ。

まだ、詳しく調べないと確実な事は言えないが、十中八九、母親は病死だ。

そして、君とこの家に来るまで気丈に振る舞っていた娘さんは、自殺の可能性が高い。

君の目の前で自殺したんだ。

すぐに通報していれば、助かったかも知れないと医者は言っている。

発作的に自殺をしてしまったが、

死にきれないで、君に助けを求めている彼女をながめながら、君はビール片手に

彼女がこときれるのを待っていた事になる。

これは立派な犯罪だぞ。」



…ア …ア …ア …ア ア… … …


男は思い出す。

闇に潜む気配…雫のたれた包丁…赤黒いワンピース…

刑事が言うように死にきれず助けを求めたのか…

無理心中のつもりで襲って来たんじゃないのか…

何より驚いたのは、母親が病死だったって事だ。

それは同時に、ミドリに対する影響が、ただの思いあがりだった事を証明する。


「あいつは、普通に狂っていただけじゃないか…」


男は溜め息と一緒に小さく言い捨てた。



傷付くと屍人が見えるの。



ミドリの取り留めのない言葉を思い出す。

血を見る事で、自覚できない自分を縛る

母親のストレスを、肉体的苦痛と同時に、

作り物の屍人に不満を語らせていたのだろう。

だからよく怪我をする。

わざと怪我をする。



雨音が騒がしい。


刑事が何か言っている。

突然、男はリュックに残ったビールをすべて出し、出した缶ビールの前で手を合わせる。


「何の真似だ?」


刑事が不思議な顔をして言う。


「これを位牌だとミドリが言ったんです。

名前を書いたのは俺なんですがね。

この気味悪い傷が母親とのことです。

位牌を前にしたら、手を合わせるべきですよね。

バカバカしいでしょ。

缶ビールは缶ビール。

でも、今、位牌に見える。

この家のなかでまとまっていた母娘。

この家、そのものに見える。

俺は、この家を飲み干せなかった…」




強い雨は窓から吹き込んで、床を濡らす。

誰も窓を閉めようとしない。

閉めれば、再び、腐臭で嫌な気分になるのを

知っているからだ。

救いは風がない事。

濡れた黒い布を貼り付けたように、

外は見えない。

黒く濡れただけの景色は、いつもなら見えるはずの墓場の景色より不気味だ。

酷い雨音は聴覚を壊し、自分の心音しか

感じなくなる。

男の鼻は、もう使い物にならない。

この部屋に居過ぎた。


今頃になって、男のまぶたが重くなる。

きっと酒のせいだ。

半開きの目にいらない情報ばかりが

流れ込み、男の脳を刺激し続ける。

たぶん、視覚しか役に立たないからだろう。

やがて、視覚も役に立たなくなる。


頭をいやすつもりなのか、酔いにさからうつもりなのか、外の黒い景色をながめて、

男はまぶたの開閉を繰り返している。

相変わらず刑事が何か話して、時々、

男に同意を求めているのだが、

男にとってどうでもいい事のようだ。


外の景色を見詰める男の半開きの目に、

赤いワンピースが映る。


…俺も…ロマンティストだ…


ペットボトルの水を飲み干し、

男は両目を閉じた。



強い雨だ…



雨が降っている…



雨が降っている…



雨音が騒がしい…



…夜が…



泣いている…

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