第9話

ミドリさん本指名です。


スタッフが出勤の挨拶の替わりに返して来た。


本指名はキャストにとって、最高にポイントを稼ぐツールである。

本指名を獲得する事が金を集める事に繋がる。

キャストは、本指名を勝ち取る為にプライベートも犠牲にして、客にアプローチする。

本指名の多さは、それだけの価値があるのだ。


間違いでは…?

何日も休んでいて、予定、無いですけど…


店内を覗き込む。

ホーンテッドハウス内は、常に薄暗い。


カーミラさんのテーブル、ダブル指名です。

着替え、急いでくださいね。


ダブル指名とは、この店では、セット料金を倍払って、キャストを2人、本指名にする事だ。

ダブル指名は、無駄に金がかかる割に、キャストからは好まれ無い。

本指名を余分に付け、セット料金を倍払う金があるなら、その金を1人に使って欲しいし、

余分に付けられたキャストは、その客を

掴みきれて無い事を突きつけられている気分になる。

しかし、こんな事をする客は、常に上客なので、本指名どうしテーブルを盛り上げるのだ。


あいつだ。

私が入って来たのを見つけたに違いない。

向かいのスカートめくりの二代目に決まっている。

ヤツは、女吸血鬼カーミラ一択のはずだが…

どう言った風の吹き回しだろう。

あいつなら急ぐ事は無い。

急ぐふりして、更衣室に入った。


鬼太郎さん。


更衣室の先客は花子さんだった。

彼女は、何故か私をミドリとは呼ば無い。

入店当初の、鬼太郎とよぶ。


本指名入ってるのよね。

いいなぁ…


私の主観ではあるが、この店で、一番の美人で一番のスタイルの持ち主は彼女だと思っている。

目の前で着替える姿を見ていると、ドキドキする。

しかし、店での人気は、いまひとつだ。

彼女は、店にいつ出るかわからない50過ぎの私より、キャストの順位が下なのだ。

私が、こんな美人より順位が上なのは、むろん母の手柄の訳では無い。

幸いこの街で育った為、昔からの知人に助けられ、キャストとしての営業や努力をまったくせずに仕事になっている。


その靴、可愛いね。


めざとく私の真新しい靴を見て、彼女が言う。

彼女はすっかり着替えを終えているが、小腹が空いたのかカロリーメイトを頬張り始めた。

その姿は、小動物か小悪魔だ。

可愛い。


鬼太郎さん。

その靴で、どこまでも走り抜けて行けそうね。

でも、鬼太郎さんには無理よ。

似合わないわ。

もう、手遅れかも知れ無いけど…


いきなり、彼女が母と同じような事を言う。


履いていた靴をロッカーに押し込み、普段は

絶対履か無いキャバ嬢用のピンヒールを引っ張り出す。

濃いグリーンのドレスが目についた。

入店時に初めて買ったドレスだ。

安易にミドリだから、この色を選んだのがいけなかった。

濃いグリーンは、店の薄暗い照明には、暗く沈んで溶け、顔だけが浮いているように見えて、何度も客を驚かせてしまった。

ホーンテッドハウスとは言え、本気で客を驚かせてはいけない。

以来、このドレスは使っていないのだが、ロッカーを開けるたびに、更衣室の蛍光灯に映え、目に飛び込んで来るのだ。


今夜はこれでいい。

白いワンピースを選ぶ。

20代の時、母に買ってもらった服だ。

前にどうしてもドレスを買う気になれず、店から注意されるのを覚悟で、このワンピースで接客したが、何も言われなかった。

以来、当たり前のように、このワンピースを使っている。

なんのへんてつも無い白いワンピースは、薄暗い店内の光を集めてはえるのだ。

今だに20代の服が、努力も無しに入るのは母の手柄なのかも知れない。


更衣室は独特の臭いがする。

甘くて不快なメスの匂い。

店に通う客は、ここにオスにとって最高に酔える場所がある事を知らない。

もっとも、知った所で入れる訳は無いが…

メスの匂いが切れかかった私が、女を堪能し、絶望を感じる場所だ。


花子さんは、まだカロリーメイトをモグつかせながら、隅にある姿見で、着こなしを最終チェックしている。


鬼太郎さん、凄いの連れてるのね。


姿見越しに私を見つめ、彼女がいきなり驚いた顔で言う。


生霊…


姿見の中の彼女が笑う。


…生霊って…何?


聞きなれ無い言葉に着替えの手が止まる。


生きてる人の心の塊。

生活して普通に人と関われば、多かれ少なかれ、誰にでもついているんだけど、それが大きくなると、生霊になって、取り憑いちゃうんだよ。


下着のまま、棒立ちの私に彼女が近づく。


見えちゃうんだよね。

生霊…

キャバ嬢、長くやってる娘は、口にし無いだけで見える娘、けっこういるかもよ。

人を相手にする商売だもの…


カロリーメイトの甘ったるい香りが強くなって、彼女の整った顔が近づく。


赤いそれ、かなり面倒臭さそうね。


彼女が耳元でささやく。


生霊の正体はね…


下着のままだらし無く立つ私の左胸を、ブラジャー越しに軽く握って、彼女が言った。



後悔。



そう言って、彼女は更衣室を出て行った。




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