第9話 MCまりな

「凄っ! 楽器屋さんってこんなにたくさん楽器が置いてあるんだね! 岡林くん見て見て、ギターの壁が出来上がってる!」


「そ、そりゃあ大手の楽器屋さんだもの……、それなりに品揃えはあるよ」


 放課後、鵜飼さんに連れて来られたのは市内のショッピングモールにある全国チェーンの楽器屋さんだった。


 僕はたまにここを訪れるのでこの光景には見慣れているけど、どうやら楽器屋さんに初めて足を踏み入れる鵜飼さんにとってはとても新鮮な光景らしい。


「それで鵜飼さん、今日はどうして楽器屋さんに……?」


 すると、鵜飼さんは腰に手を当てて仁王立ちのようなポーズを取りながらこう続ける。


「よくぞ聞いてくれました! ……実はね、ボーカリストたる者、マイマイクの1本くらいは持って置かなきゃなと思ってね」


「あー、確かにボーカリストはマイマイクを持っている人が多いね」


 人の声は十人十色。もちろん、腕のあるボーカリストはそれに合わせて自分に合ったマイクを持っていたりする。

 僕らみたいなノンプロの高校生風情では、そういう機材の特性云々よりも、単純にモチベーションのために持つことが多い。


「それで奮発して購入しようと思ったんだけど……」


「思ったんだけど……?」


「私ってば楽器とか機材とかド素人だからさ、やっぱり岡林くんみたいな詳しい人に教わったほうがいいかなって」


 鵜飼さんはニカっと笑う。何度見てもその笑顔は良いものだ。

 こんなに可愛い人に頼られるとなると、男として頑張らないわけにはいかない。


 早速マイクコーナーで品定めをしようと思ったら、鵜飼さんが何かを見つけたみたいだ。


「ちょっと岡林くんこれ見て! 防音室が売ってる!」


「ああ、部屋に設置するタイプの防音ブースだね。最近は歌う人とか楽器を鳴らす人以外にも、配信とかでよく喋る人が買ってるみたい」


「へえー、さすが岡林くん詳しいね。――てかこれ結構狭くない? 2人ぐらい入ったらぎゅうぎゅうだよ?」


 鵜飼さんは防音ブースに興味津々で、早速展示品の中に入ってその効果を確かめている。


 ……確かに防音ブースの性能は絶大だ。


 試しに鵜飼さんが中に入って歌っているけど、扉を閉めたら外からは本当に何も聞こえない。これなら爆音でエレキギターを鳴らしてもなんの心配もいらなくなるだろう。

 お金があったらぜひ欲しい。


「ねえねえ! 岡林くんも入ってみなよ。これ本当に凄いよ!?」


「えっ……、いやいや、僕は別に……」


「いいから入りなよ、『音が消える』って感覚が超不思議で面白いんだから」


 僕は鵜飼さんに連れ込まれるように防音ブースの中へ入った。


 扉を閉めたらそこは密室だ。

 中の音が外へ聴こえないのだから、もちろん外の音も中には聴こえない。


 異常なまでに静かで狭い空間に、僕は鵜飼さんと一緒にいる。


「ね? 凄いでしょ? なんか地球上とは別の世界にいるみたいじゃない?」


「そ……、そうだね……、ははは」


 畳半畳ぐらいのスペースに、僕と鵜飼さんがほぼ密着するような形で詰め込まれている。


 おまけに彼女からはなんだかめちゃくちゃいい匂いがする。


 それにこの距離では、改めて鵜飼さんのスタイルの良さを感じざるを得ない。


 女子の中ではちょっと背が高めで、脚が細長くて、お尻は引き締まっている。腰はびっくりするほど細くて、おっぱいは大きいけど爆裂にデカいとまではいかない絶妙なサイズ、全身で見たときに素晴らしいバランスを保っている。


 大きな胸も別に嫌いというわけではない。むしろ好き。

 でも鵜飼さんを見ていると、おっぱいの大きさだけでゴリ押す時代は終わったのだと感じさせられる。

 全身のバランス感覚に優れてこそ、新時代を築いていけるというもの。僕はまじまじとそう思った。


 ……という感想を述べている場合ではない。


 今まさに僕が置かれている現状を整理しよう。


 ここは密室。しかも狭いので僕と鵜飼さんは密着する状態だ。これはあまりにも僕のリビドーに対してよろしくない。


 こんなに女子とくっついたことのなかった僕は、既に心臓がドキドキしている。防音ブースなのでその音がさらに際立つ。こんな音を鵜飼さんに聴かれてしまっていたらカッコ悪過ぎる。


「ホントに音を消しちゃうんだねー。これなら中でえっちな事してもバレないね」


「えっ、あっ……、え、えっちな事……? そ、そうだね……」


 こんなときに鵜飼さんはなんてことを言ってくれるんだ。

 完全に意識がソッチに向いているタイミングでそんなことを言われてしまったら、僕の頭の中は妄想で沸騰しそうになってしまう。


 もし自分がこの防音室を買ったとして、そこでこんな感じに鵜飼さんと2人きりになって、身体が密着して――。


 いかんいかんいかん! それは今考えることじゃない!

 とにかく落ち着け僕。冷静になって一旦外に出よう。


 気持ちを落ち着かせることは割と得意なので、すぐに僕は邪念を払い乱れた呼吸を整える。


「……あれー? もしかして岡林くん、本当にえっちなこと考えてた?」


 鵜飼さんはちょっとニヤニヤしながら僕の目を見る。

 からかっているつもりなのだろうけど、ここは我慢して大人の対応をしなければ。


「そ、そんなわけないだろう。……いいから早く出よう、一応この防音室は売り物なんだし、僕らのおもちゃみたいにしちゃだめだ」


 そう言って防音室の扉を開けて僕らは外へ出た。

 僕が鵜飼さんの思い通りのリアクションをしなかったせいなのか、彼女の顔からはさっきまでのニヤニヤが消えていた。


「ほら、マイクを買いに来たんでしょ? 早くマイクコーナーに行こうよ」


 すると、鵜飼さんはちょっと拗ねたような表情で僕をジトっと見つめてきたのだった。これはこれでかわいい。

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