第35話 名前をつけてやる

「――ありがとう。大好きだよ、岡林くん」


 浅い眠りの中で、鵜飼さんからそんな事を言われた気がした。


 現実で鵜飼さんから「大好きだよ」なんて言われる事はないだろうから、間違いなくこれは夢だと断言できる。

 でも、夢であっても好きだと言われるのはやっぱり嬉しいものだ。


 夢の中の鵜飼さんは僕にタオルケットをかけると、そろそろ帰るねと言っていなくなってしまった。

 僕はひどく疲れてしまっていたので、彼女を追いかけることはせず、そのままもっと深い眠りへとおちていく。


 次に目を覚ましたのは、すっかり日が高くなってからだ。


「うわっ! 寝過ごした! ……って、今日は休みか」


 思わずスマホを手にとって時刻を確認するけど、時刻の下に『土曜日』と表示されていてホッとした。


「鵜飼さん、いつの間にか帰っちゃったんだな。でも曲はだいたい完成したし、鵜飼さんのおかげで本当に助かった」


 完成した曲は我ながら自信作と言ってもいい。鵜飼さんが歌詞を担当してくれたおかげで、なんとか応募には間に合いそうだ。

 明日にでもスタジオで歌を録音したいところ。


「それにしてもあれは……、やけに生々しい夢だったような……」


 僕はさっきの夢の事を思い出す。

 内容から間違いなく夢であるのだけれど、なぜか現実っぽく感じてしまうのだ。多分、机に突っ伏して寝てたおかげで、かなり眠りが浅かったのだろう。


「でも、夢の割にはタオルケットがかけられていたし……」


 さすがに考え過ぎか。

 鵜飼さんが帰るときに自分が使っていたタオルケットをかけてくれたのだろう。彼女なら、それぐらいの気遣いはしてくれる。


「あれ……? 書き置きに何かコメントが書き加えられている……。鵜飼さんかな?」


 鵜飼さんが先に起きるのを想定して、僕は完成した曲を聴いておいてねと書き置きをした。

 どうやらそれを見た彼女はきちんと曲を聴いてくれたらしい。


 その証拠に丸っこくて可愛らしい文字で、『色々バレる前に帰るね!ベニーさんの新曲を一番最初に聴けて超嬉しい!』とその書き置きの空白部分に書き込まれていた。


 鵜飼さんが喜んでくれたなら万々歳だ。そのために僕は曲を書いていると言ってもいいのだから。


 あとは歌詞を乗せて、彼女の歌声を録音するだけだ。

 僕が曲作りに没頭する裏で鵜飼さんは歌詞づくりを頑張っていたので、きっと素敵なものが完成していることだろう。楽しみだ。


「……とりあえずまだ眠いし、もうちょっと寝るか」


 僕は寝床を机からベッドに移して再び眠りにつく。

 枕から香る鵜飼さんの残り香が心地よくて、すぐに眠ってしまったのだった。


 ◆


「よーし歌の録音終わりっ! 岡林くんお疲れ様!」


「鵜飼さんもお疲れ様。一発でベストテイクを出してくれるなんてさすがだよ」


「えっへん! もっと褒めて褒めてー」


 翌週、僕と鵜飼さんはいつも贔屓にしている練習スタジオに入っていた。

 やることはもちろん出来上がった曲に鵜飼さんの歌を乗せること。平たく言えばレコーディングだ。


 難航するかと思ったけど、そこはさすがの鵜飼さん。ミスすることなくほぼ一発でOKテイクを叩き出した。


「歌もすごいけど、なかなかカッコいい歌詞まで書いてもらっちゃって、本当に助かったよ」


「そ、そうかなあ、初めて書いたからちょっぴり不安だったんだけど、そんなに良かった?」


「うん。僕だったらこんなに前向きな歌詞を書き上げられなかっただろうから、鵜飼さん様々だよ」


 鵜飼さんが書いてきた歌詞もなかなかクオリティが高くて驚いた。彼女の等身大な言葉選びと、そのリズミカルさがロックチューンな曲に乗るとなんとも小気味よいのだ。


 鵜飼さんのおかげで曲作りの世界がどんどん広がるような気がして、それだけで僕はワクワクが止まらない。


「そういえばまだ聞いていなかったんだけど、この曲のタイトルって何?」


「えーっとね、いくつか候補があって悩んだんだけど……」


 鵜飼さんはちょっぴりもったいぶるようにそう言う。

 まるでコンテストの結果発表のように間を取ると、彼女は意を決してタイトルを発表しだした。


「この曲のタイトルは『ムーンライト』にすることにしました!」


「『ムーンライト』……? カッコいいタイトルだけど、どうしてまた……?」


「えっとね、この曲のアレンジが決まったあの夜、月が綺麗だったなって思ってね」


「わお……、思っていたより詩的だった……」


 鵜飼さんのことだから、もっと真っ直ぐなタイトルなのかなと思っていたけど、意外にもそうではなかった。


 僕にとっても彼女にとってもあの夜がターニングポイントだった。だからそういう意味でこのタイトルはピッタリだと僕は思う。


「自分でもびっくりするぐらいよく書けたと思うんだ。おまけに超楽しかった!」


「もしかして鵜飼さん、作詞のセンスあるのかもね」


「いやいやたまたまだってー。ベニーさんだってカッコいい歌詞書くじゃん。私もまだまだ勉強中だよ」


 そんなことないよと僕は謙遜する。

 すると、鵜飼さんはまたまたご冗談をと言って僕の背中を軽くポンと叩くのだった。


 そうしてレコーディングの後片付けを終えた僕らは、終了時刻までまだ少しあるのでちょっぴりおしゃべりをする。


「あとはミックスダウンしてCDか何かに焼けば応募準備完了だね」


「ねえ岡林くん、なんか大事なことを忘れてない?」


「大事なこと?」


 鵜飼さんは真剣な顔でそう言ってくる。

 あまりにもその圧が強いので、僕は大きなミスをしているのじゃないかと一瞬不安になった。


「ほら、私たちのグループ名だよ」


「ああ、それなら考えてあるよ。ちょっとそこのホワイトボードに書くね」


 秘密にするつもりはなかったけど、色々立て込んでいて鵜飼さんに伝えるのをすっかり忘れていた。

 僕はマーカーペンを手にとって、スタジオにあるメモ用のホワイトにグループ名を書く。


 考えだしたグループ名、それは――『Sun Diva Orchestraサン・ディーヴァ・オーケストラ

 直訳すれば、『太陽の歌姫楽団』だ。


 太陽のような鵜飼さんを中心に据えた音楽隊。

 名付けるならこれしかないと、僕は以前からこの名前を温めていた。


「めっちゃ良い! でも、メンバー2人しかいないけど、オーケストラなんて名前をつけちゃっていいの?」


「いいのいいの、これからどんどん大きくなるかもしれないでしょ?」


 そうなったら楽しそうだねと、鵜飼さんはまた太陽みたいに笑ってくれた。

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