第36話 本気になれば全てが変わる

 レコーディングを終えてスタジオを出ると、鵜飼さんはのどが乾いたというので、ショッピングモール内にあるフルーツジュースのお店へと向かった。


 パイナップルジュースを2つ注文して出来上がりを待っていると、そいつは現れた。


「……おい岡林、これはどういうことなんだ?」


「や、山下……」


「言ったよなあ俺、鵜飼に近づいたら許さねえって」


 目の前にいるのは激昂した山下だった。

 僕が鵜飼さんと一緒にいるところを見られないように気をつけていたつもりだったけど、運悪く見つかってしまったみたいだ。


「ちょっと待ったちょっと待った。山下、私と岡林くんについてめちゃくちゃ誤解してるから」


 険悪な雰囲気を察知した鵜飼さんが口を挟む。

 しかし、山下はお構いなしといったところ。


「誤解……? そんなことあるかよ、こいつはお前のこと泣かせたんだよ」


「はぁ……、やっぱりそこから説明しないと駄目かぁ……」


 鵜飼さんは頭を抱えてひとつため息をつく。

 山下の思い込みの激しさに、どこか呆れているようにも見えた。


「山下は私の泣いているところを見て、それが岡林くんのせいだと言いたいんでしょう?」


「そうだ。問い詰めたらこいつが白状したしな」


「白状って……、いつもみたいに強引に詰めただけでしょ。山下のそういうとこ、昔から本当に良くないと思ってるよ」


 鵜飼さんに注意された山下は、さっきまで強くなっていた語気が少しだけ弱くなった。


「そ、それとこれとは話が別だろ。とにかくこいつは自分が鵜飼を泣かせたと認めたんだよ」


「だからそれがそもそもの間違いだって言ってるの。私が泣いていたことに岡林くんは関係ない!」


 形勢逆転という感じで今度は鵜飼さんの言葉の方に力がこもる。

 彼女の涙に僕が関係していないと、彼女自身から告げられるとなると、さすがの山下も強くは出られない。


「じゃ、じゃあなんだって言うんだよ」


「花粉症」


 山下は、『豆鉄砲を喰う』という表現がぴったりな表情を浮かべた。

 涙の元凶は僕ではなく、本当に花粉症なのだから。


「花粉症? こんな時期に?」


「そう、イネ科の花粉はこの時期にくるの」


「イネ科」


「それにこれ、今私が飲んでるアレルギーの薬。これが証拠でいい?」


 鵜飼さんは近所の薬局の名前が入った処方せんの紙袋を見せつけた。間違いなくそこには花粉症用の薬が入っている。


 山下は全く反論ができなくなって、怒りのボルテージが一気に下がる。


「知らなかった……、鵜飼が花粉症だったなんて」


「岡林くん以外誰にも言ってないからね。そりゃそうよ」


「どうして俺には言ってくれないんだよ!」


「山下に言う義理なんて無いじゃない」


 強い言葉で山下を突き放す鵜飼さんの姿に、山下自身驚いているように見えた。

 おそらく長い付き合いのある2人のなかでも、こんな感じで対立することは無かったのではないかと推察する。


「俺には言う義理がないのに、岡林にはあるのかよ!」


「ある! だって岡林くんは私の……」


 そこまで言おうとして、鵜飼さんは急に声のボリュームを落とす。


「岡林が鵜飼のなんだって言うんだよ」


「それは……、その……」


 鵜飼さんが言いにくいのはしょうがない。僕はただの隣の席の人間で、たまたま縁があって一緒のグループで音楽活動をしているだけだから。


「あ、あのさ山下」


 僕は2人の会話に割り込むように声を絞り出した。


「なんだよ」


「鵜飼さんと僕は言うなればバンドメンバーなんだよ、だから情報共有も大事というか……。ねっ?鵜飼さん?」


 とっさにそんなことを言って、僕は鵜飼さんの方を向く。

 これが思わぬ助け舟だったようで、鵜飼さんもテンパりながら小さくなっていた声のボリュームを取り返していく。


「そ、そそそそうだね! メンバー間の情報共有って大事大事!」


 すると、山下は不思議なものを見る目で僕ら2人を眺めはじめた。


「……お前ら、バンドを組んでいたのか? 初耳だな」


「そう。私が歌で作曲とか演奏とかが岡林くん」


「……どうせ岡林がバンド組もうってけしかけたんだろ? のど自慢のときからこいつは鵜飼に付きまとってたもんな」


 鵜飼さんと僕がグループを組んでいることがよほど気に入らないのだろう。花粉症の話でどこかに行ってしまったはずの山下の悪態がまたもとに戻ってきた。


「中途半端な音楽活動で鵜飼の気をひこうなんて、なんとも陰キャラらしいというか――」


「そんなんじゃないもん! 岡林くんは、凄いんだもん!」


 ネチネチした山下の言葉に対して食い気味に返したのは、他の誰でもない鵜飼さんだった。

 ちょっと興奮気味の彼女の肩に手を置いて、僕は鵜飼さんをなだめる。


「鵜飼さん落ち着いて……、そう思われるのも仕方ないんだって」


「仕方がなくないもん……。岡林くん、こんなに頑張ってるのに……」


 鵜飼さんは悔しそうにそう言う。それはまるで自分のことを貶されたときのようで、行き場のない怒りみたいなものが彼女の中でもんもんとしているように見えた。


 僕は僕自身が山下にバカにされるだけならなんとも思わない。でも、鵜飼さんがバカにされるとなれば話は別だ。


 鵜飼さんにとって、今まさにその逆のことが起きている。

 彼女は、僕がバカにされることを本気で悔しがってくれているのだ。


 今までの僕だったらここで「僕は大丈夫だから」と言って引き下がっただろう。

 でも今は違う。「自分を変えるチャンスが来た」のだと、鵜飼さんが教えてくれたんだ。


 僕は、彼女のその気持ちに応えたい。

 だから今までよりも一歩前に進んで、今日こそは山下に立ち向かおうと思う。


「山下にお願いがある。来月の第3土曜日、予定を空けておいてほしい」


 来月の第3土曜日、それはティーンエイジ・ライオットの書類選考を勝ち上がった者による、2次予選ライブが行われる日だ。


「来月? まあ空いてはいるが……、なんでお前のためなんかに」


「そこで証明する。僕が鵜飼さんと、中途半端じゃなく本気で音楽に向かい合っていることを」


 僕は山下の雰囲気に負けないように、できるだけ強い気持ち言葉に乗せる。

 彼がこのライブに来てくれるのであれば、本気で音楽活動をしていることをわからせる自信が僕にはあった。


 自信作のあの曲があって、歌姫である鵜飼さんがいる。最高のアクトを見せてやれば、もう文句なんて言うことなど出来ないだろう。


 今まで積み重ねて来たものが、逃げ出してしまいそうな自分の背中をガッツリ押してくれた気がした。


「ふん、まあ構わねえよ。そこまで言うなら見せてもらおうじゃねえか、岡林の本気ってのを」


 山下は捨て台詞的にそう言い残すと、僕らのもとから立ち去っていった。


 絶対に、彼を見返してやる。

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