第24話 はじめてのチュウか

「そっか、そういうことだったんだね」


「ごめんね、もっと早く話しておくべきだったんだろうけど」


 ここまでの僕と梓との経緯を一通り話し終えると、鵜飼さんはポンと僕の頭を軽く叩く。


 なんとなく彼女の言いたいことはわかる。僕がもうちょっと勇気を絞り出して行動していれば、ここまで拗れることはなかったのだろうから。


 そういう「アホだな岡林くんは」的な意味を込めた一発を受けて、僕はなんでか少し気が楽になった。

 多分、鵜飼さんにその事を打ち明けられて、ホッとしていたんだろう。


「まあそれはいいとして、とにかくその拗れた関係をなんとかしないとねっ」


「う、鵜飼さん……?」


 急にやる気スイッチが入ったかのように、鵜飼さんはそう言う。


「兎にも角にも、ちゃーんと仲直りしてもらわないとこっちまでやりづらいと言うか」


「た、確かにシフトは違うとはいえ、同じお店で働いている同僚だもんね……」


 現状鵜飼さんと梓のシフトが被らないとはいえ、未来永劫そうなるとも限らない。現実的なことを考えれば、僕と梓の関係が拗れたままというのは鵜飼さんにとってもあまり喜ばしいことではない。


「まあ? ケンカ仲裁のスペシャリストである鵜飼茉里奈的見解を示すと、早く頭を下げて事情を話すのが一番いいとは思うんだけど?」


 鵜飼さんは呆れ気味にそう話す。


「……それが出来てたらねえ」


「ですよねー……」


 僕らは2人で大きくため息をついた。

 鵜飼さんなりに、僕だけが謝り倒しても仕方がないことはなんとなく察しているらしい。


「岡林くんは素直だから謝ろうと思えばちゃんと謝れると思ってる。けど、あの子が素直に受け取ってくれるかというと」


「多分そうじゃないだろうね。梓は多分、僕に謝って欲しいわけでもないだろうから。負けず嫌いだし」


 謝りに行ってなんとかなるならば、僕は梓がこの街に戻ってきた日にすぐ会いに行っている。


 でも、間違いなく梓はそうではない。彼女が僕に対して思っているところは、コンクールに出るという約束をすっぽかしたことではないから。


 鵜飼さんはうーんと軽く唸りながら何かを考えている。


 椅子から伸びている長い脚をリズミカルに小さく揺すっていて、それがどうも僕の視界によく留まった。


 自覚は無かったけど、実は僕って脚が好きなんだろうか。鵜飼さんの脚ならばずっと見ていられる。いや、許されるならばずっと見ていたい。なんなら触ってみたい。


 そんなスケベなことを考えている僕をよそに、鵜飼さんは何かを思いついたらしい。


「じゃあ、こんな作戦なんてどう?」


 彼女は椅子から降りて、寝床の僕へと耳打ちをし始めた。


「鵜飼さん……? 他に誰も居ないのになんで耳打ち?」


「い、いいからいいから、こういう作戦はなんとなく秘密っぽい感じが大事なんだって」


 どういうことかイマイチ理解できなかったけど、とりあえず僕は彼女の耳打ちを聞くことにした。


 コソコソ喋る感じが耳元をくすぐる。よくYouTubeにアップされているASMR動画はこういう感じなのだろうか。

 鵜飼さんが近くにいるせいもあるだろうけど、耳元が変に心地よくなってきて、なんだか心臓がドキドキしてきた。


 まずいまずい、このままでは作戦を聞くどころかただのスケベな奴だと思われてしまう。


 落ち着け心臓、今は鵜飼さんの話に集中するんだ……!


 僕は脳内リソースをフル動員して鵜飼さんの声だけを聞こうと躍起になる。

 すると彼女の話に加えて、僕のとは違う心臓の鼓動も聞こえてきた。


 もしかして鵜飼さんも、ドキドキしているのかな……?


 そんなまさか。いつもこんなことを手慣れた感じでやってくる鵜飼さんだぞ?

 僕のことなんかただの面白いやつぐらいにしか思ってないはず。多分今のは聞き間違いだ。どこか近くで道路工事でもやっているんだろう。


 鵜飼さんは話し終えると、僕の耳元から離れていく。

 これほどまでに惜しいと思った瞬間はないなんて、絶対に口が避けても言えない。


「……なるほど、そういうやり方もあるんだね。やっぱり鵜飼さん凄いや」


「えっへん! 負けず嫌いなら、それを逆手に取っちゃおうってことよ」


 鵜飼さんの作戦はシンプルでわかりやすかった。

 準備もすぐできそうだし、僕が平謝りするよりも間違いなく効果的だ。


「じゃあ、今度の木曜日にそれを実行しよう。叔母さんには僕から言っておく」


「うんうん、よろしく頼むよー」


 鵜飼さんはいつもの太陽みたいな笑顔でニッコリ笑う。つられて僕も笑ったところで、タイミングよく僕の腹の虫が鳴った。


「ご、ごめん……、実は寝込んでたからゼリー飲料ぐらいしか食べてなくて」


「ははーん、そう言うと思ってこっちも用意してきたんだよね」


 鵜飼さんは買い物用のエコバッグを取り出した。中身は見えないけど、その中には食材がいくつか入っている。

 レジ袋ではなくエコバッグを使っているあたり、普段からよくスーパーに行くのだろう。家庭的な鵜飼さんも、それはそれで良い。


「今日は特別に私の得意料理をおみまいしてあげようかと思って、スーパーに寄ってきたんだ」


「鵜飼さん? 料理は『おみまい』するものじゃないよ?」


 後で知ったけど北海道の一部のタレントさんの間では、料理は「おみまい」するものらしい。物騒だね。


「それで、鵜飼さんの得意料理って?」


「そりゃもう中華一択っしょ」


 あまりにも得意分野がパワー系で僕は吹き出しそうになった。

 中華鍋を振りながら大火力でチャーハンを作る鵜飼さんを想像したら案外似合うのだ。


 でも、仮にも病人である僕に中華ってちょっと待ってくれよ鵜飼さん。


「ちゅ、中華? こういうときはうどんとかお粥とかじゃないの? ……あっ、中華粥ってこと?」


「ううん? 麻婆豆腐だけど?」


「麻婆豆腐」


「そう、麻婆豆腐。ご飯も炊いて麻婆丼にしようかなって」


 よりにもよって辛い料理というチョイス。

 僕は不安になりながら完成を待っていたけれど、これが案外美味しくてびっくりした。


 後で知ったけど、鵜飼さんのお父さんは有名ホテルの中華料理店でシェフをやっているらしい。そりゃあ美味いわけだ。

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