第3話 紅のベニー

 鵜飼さんの言う『ベニー』とは僕のYouTubeのユーザーネーム。


 岡林紅太郎の『紅』の字をとって『ベニー』、なんとなく外国人っぽい名前だから、万一世界に通用してしまったときも通りが良いだろうと思って付けた安直な名前だ。


 その名前を鵜飼さんが知っているということは、僕のチャンネルにアップされた曲なんかを聴いているということだ。今さっき僕がピアノを弾きながら下手くそな歌を歌ってしまったことで、彼女は僕が『ベニー』であることに感づいてしまったのだろう。


 よりにもよってクラスの陽キャラ筆頭みたいな人にバレてしまうなんて最悪だ。これをネタにされて一生イジられ続けることだって有り得てしまう。



 ……終わった。僕のスクールライフ。さようなら、全ての高校生活。



「べべべ、『ベニー』って誰のこと???  そんな人知らないなあ……ハハハ」


 こうなったら徹底的にシラを切るしかない。バレバレかもしれないけど、もうこれしか僕に取れる手段はないのだ。


「ううん、やっぱり岡林くんがベニーさんなんだね! 曲だけならまだしも、あの独特の歌はそうそう真似出来ないもん」


「ええ……」


 シラを切ったところでそんなの鵜飼さんには通用しなかったみたいだ。しかも『独特の歌』と表現されるのがなんとも虚しい。いっそのこと下手と言ってくれ。


 いや、状況は悪いけど徹底的に守りに入らせてもらうぞ。何が何でも白状するもんか。


「……あの、鵜飼さん、本当に何の話なんだ? ベニーさんというのも、僕にはさっぱり……」


「私ね、こんな身近に憧れのベニーさんがいるなんて思わなかったんだもん!奇跡ったら奇跡でしょ!」


 鵜飼さんは話の文脈無視で興奮気味にそう言う。


 ……ん? 今彼女、『憧れ』って言ったか?僕の聞き違いじゃないよな?

 こんな美人で可愛くてみんなから好かれる人気者の鵜飼さんが僕の曲を? そんな夢みたいなことあり得るのか?


「最近ずっとね、ベニーさんの曲をヘビロテしてるんだ。だからさっき廊下から聞き慣れた曲と独特の歌が聴こえてきてまさかって思っちゃったんだよね!」


 あまりに非現実すぎる状況に、僕は思わず言葉がポロッと出てしまう。


「僕の曲を……鵜飼さんが……?」


 するとその瞬間、鵜飼さんは何か確信めいた表情をする。


「あっ、やっぱり岡林くんがベニーさんなんだ」


 しまった、カマをかけられていたのかっ!ついつい嬉しくて口が滑ってしまった。大反省だ。


「カマをかけるなんてズルすぎる……」


「だってそうでもしないと白状しなさそうなんだもん。岡林くん、口堅そうだし」


 鵜飼さんはしてやったりという感じだった。何故だか嬉しそうにしている。


 一方の僕はと言えば、知られたくないことを知られたくない人に知られてしまって頭を抱えている。明日から僕はクラスの晒しものだ。そうなれば登校拒否も辞さない。


「ねえ、岡林くんにひとつお願いがあるんだけど」


「な、何ですか……?」


 僕は身構えた。

 鵜飼さんからどんな要求が来るのか全く想像がつかなかったから。彼女の言葉次第では、本当に僕の青春が終わることだってあり得る。


 しかし、彼女の要求というのは、まるで予想外のものだった。


「あのね、ベニーさんの曲岡林くんのソレ、私にちょうだい」


「……えっ?」


 鵜飼さんからそんなことを言われると思っていなかった僕は変な声が出た。


 僕の曲をちょうだいってどういうことだ……?


「あ、『ちょうだい』って言っても権利丸々寄越せとかそういう意味じゃないよ?もっと的確な言葉を使うと、うーん、楽曲提供してほしいってことかな?」


「楽曲提供……? 何でまた、そんなことを?」


 こんな趣味で作っているような曲、勝手に歌ってもらっても何ら問題はない。それをわざわざ『楽曲提供してほしい』なんて言うのは少し大げさな気がする。


「えーっとね……、ちょっと恥ずかしい話なんだけど……」


「あっ、いや、言いたくない話ならいいんだ、曲を使うのは全然構わないし」


「ううん、ちゃんと説明しておかないと誤解されちゃうから、きちんと説明するよ」


 そう言って鵜飼さんは自分のスマホとワイヤレスイヤホンを取り出す。いつの間にか彼女の手によって、僕の右耳にはイヤホンがすっぽりハマっていた。


「ちょっとこれを聴いて欲しいんだ」


 鵜飼さんがスマホをいじるとイヤホンからは音楽が流れてきた。


 ……これは、鵜飼さんの歌だ。


 お世辞抜きで良い声と素晴らしい歌唱力を持っている。


 スマホの録音機能で録っているので、イヤホンから流れるのはほぼ生歌そのまま。それはつまり、音響機器とかソフトを使ったピッチの補正やイコライジングみたいな調整は一切されていない、純粋な鵜飼さんの歌を聴いているということ。


 こんなに歌が上手い人がいるのかと、僕は唯一信頼をおける自分の耳を疑うぐらいだった。


 だがひとつ超絶に気になることがある。


 ――曲のクオリティが絶望的に低い。


 メロディ、構成、コード進行、その他諸々どれをとってもイマイチだ。こういう言い方をしたらあれだけど、自分の処女作のほうがまだマシに聴こえる。


 いい歌とダメな曲のミスマッチ。なんだかどこかで全く逆の組み合わせを見たような気もする。


「……どうかな?」


 鵜飼さんは緊張気味にそう言う。何かしらの感想や意見を求められたので、僕は慎重に言葉を選ぶ。


「……す、凄く歌が上手くてびっくりした」


「そっちじゃなくて!  きょ……、曲のほうはどうかな……?」


「ひっ……!」


 鵜飼さんは圧をさらに強めて僕に詰め寄ってきた。

 その大きくてキラキラした彼女の瞳は、陰キャラの僕が直視するには眩しすぎる。


 ど、どうしよう、なんて返事をしたらいいんだ……?


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