第8話 セロトニン

 勢い余って僕は午後の授業をサボってしまった。

 誰もいない屋上に出て寝転がり、心を落ち着けるためにぼーっと日光を浴びる。ただの日向ぼっこ。


 このまま放課後になったらすぐに家に帰って曲でも作ろう。こういう心境の変化があった日というのは、何故か創作意欲が湧いてくる。


 そんな感じで空を見上げたまま、ただただ時間を浪費していると、急に僕の視界が暗くなった。


「よっ! 岡林くんたらこんなとこで何してるの?」


「うわっ! う、鵜飼さん……!?」


「あはは、そんなに驚くことないじゃん。ウケる」


 僕の真上に被さるように現れたのは鵜飼さんだった。

 まだ授業は終わっていないはずだけどどうしたんだろうか。


「鵜飼さん、授業は……?」


「つまんないからサボっちゃった。ほら、古典って日本語なのに全然耳に入ってこないから呪文みたいでさ」


「確かに古典は呪文みたいで授業が大変だけどさ……」


「それに購買から戻ってきたら岡林くんいなくなっちゃって戻ってこないし。どうせなら一緒にサボろうかなって」


 鵜飼さんは楽しそうにそう言った。

 授業がつまらななら居眠りでもすればいいのに、わざわざ彼女は僕みたいなやつと一緒にサボろうとする。一体どうしてなんだろう。僕は鵜飼さんの何者でもないのに。


「岡林くんって日向ぼっこが好きだよね。この間も公園でぼーっと日に当たったし」


「あ、ああ……、日向ぼっこは趣味というか、太陽の光に当たると落ち着くんだ。多分、太陽が好きなのかも」


「へえ、岡林くんってインドア派だと思ってたけど意外とそんな趣味あるんだね。でも、『太陽が好き』ってなんかイイね」


 好きというか、太陽の光に依存しているみたいなところはある。

 日光を浴びると体内時計が整って幸せホルモンが出るらしいから、多分人間の本能みたいなものなんだろう。


「……んで? 何か嫌なことでもあったの?」


「えっ……?」


 鵜飼さんは鋭い。

 僕が落ち込んで逃げるようにここに来たことを、あっさり見抜いてしまった。


「い、いや……、なんでもないよ?」


「なんでもなかったら授業サボる必要なんてないじゃん。岡林くん真面目だし、嫌なことでもないと授業サボるように見えないんだけど」


「え、えっと……、それは……」


 鵜飼さんはどこまで僕のことを見透かしているんだろうか。もしかしてエスパーでも使えるのかなとか思ったりする。


 でもさすがにその内容は鵜飼さんには言えない。どう考えても原因は僕自身にあるし、この問題は僕自身が処理するべきだ。


「……もしかして、誰かに嫌なことでも言われた?」


「ど、どうしてそれを……?」


「やっぱりねー。どうせ山下あたりにあることないこと言われたんでしょ?  あいつ昔から口が悪いから、真に受けたらダメだよ?」


 またカマをかけられていたみたいだ。

 なんでこう、鵜飼さんは僕を上手に誘導するのだろうか。事件の取り調べをする刑事さんになったら大活躍間違いなしだ。


「……僕がのど自慢のときにコケたせいで鵜飼さんは優勝逃したんだって、鵜飼さんに近づきたいからわざとそんなことをしたんだろって言われたよ」


「それ……、ちゃんと山下に言い返したの?」


「いや……、なにも。僕が言い返したところで、事態が収まるようには思えなかったし。それになにより――」


 僕はその先を言おうとして言葉を止めた。

 鵜飼さんのことに踏み込みたくなかったし、僕が我慢して平和になるのであればそれがいいと思っていたからだ。


「違うなら違うってちゃんと言わないと、ずっと誤解されたままになっちゃうよ?」


「誤解だなんてそんな、だって僕は――」


「私は岡林くんのおかげで緊張が解けたし、なんだったらもう私と岡林くんは友達でしょ? もう近づいてるじゃん! 山下の言ってること全部間違いだって胸を張って言えばいいのに」


 僕は鵜飼さんのその言葉に何か後頭部を殴られたような衝撃を覚えた。


 鵜飼さんは僕のことを『友達』だと言ってくれた。彼女の何者でもないという僕の卑屈な精神を上から叩きのめしてくれたんだ。


「ご、ごめん……。僕、そういう勇気が無くて」


「まあ、山下は岡林くんみたいな大人しい人にはヤケに強気に出るからしょうがないよ。……ほんっとそういうの最低だと思うけどね」


 鵜飼さんは山下に対して随分な言いようだった。昔からの知り合いっぽいし、何かいろいろあるのだろう。


「言葉で言い返せなかったぶんは、行動で示せばいいんだよ。……ほら、また目標がひとつできたね」


「えっ? またひとつって……?」


「コンテストで結果を出すことと、私達の音楽で山下たちを見返してやることだよ」


 僕はまた鵜飼さんの太陽みたいな笑顔に当てられた。

 彼女の元にいるだけで、なんだか元気が貰えるそんな気がした。


「あっ、そうだ岡林くん、今日の放課後ヒマ?」


 突然何かを思い出したかのように鵜飼さんは話を変える。


「ひ、ヒマだけど……」


「じゃあちょっと私に付き合ってよ、買い物に行きたいんだよね」


 意味が違うとわかっていても、鵜飼さんの『付き合ってよ』という言葉にドキドキしてしまう僕がそこにはいた。

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