第40話 Breakthrough
気がつくと予選ライブのスタート時刻になった。
このコンテストを主催しているラジオ番組のリスナーである中高生を中心に、フロアにはお客さんが沢山入っている。
トップバッターは青春パンクバンド、2番目はオルタナティブロックバンド、3番目はヒップホップユニットと、会場のボルテージを段々と上げていく。
空気は熱を帯び、お客さんも演者も音楽を楽しめるそんな雰囲気が完成しそうになっていた。
そうして迎えた4番目の梓の出番。
僕と鵜飼さんは舞台袖で準備しながら梓のアクトを観ることにした。
グランドピアノやアップライトピアノではなく、梓が用意してきたのはキーボード1台。ROLANDのRD88だ。
いつも通りのピアノ弾き語りスタイル。彼女が鍵盤を叩き、歌声を発した瞬間、会場は独特の冷気に包まれ始める。
梓特有の冷たく感じるような歌声と正確無比なピアノの演奏力は、熱を帯びたオーディエンスを釘付けするのには十分だった。
釘付けというより、氷漬けと表現するほうが正しいかもしれない。
彼女の演奏に、会場のお客さんが皆見入っているのだ。
明らかにこれまで3組とは格の違いというものがある。凡人が100人集まったところで、このアクトに勝るような演奏なんて出来やしないだろう。
「――ありがとうございました」
そう一言だけ挨拶をすると、呆気に取られたオーディエンスから少しだけ間をおいて拍手が起こる。
とんでもない奴が現れたといわんばかりに会場はざわついていた。
「……やっぱり梓は凄いや、完全にライブハウスを自分のものにしちゃってる」
「うんうん! 凄すぎて見入っちゃった! 優勝候補間違いなしだね!」
ものすごいアクトを目の当たりにして、僕は完全に雰囲気に飲まれてしまいビビっている。一方の鵜飼さんはなぜかめちゃくちゃ楽しそうだ。
「鵜飼さんはなんでそんなに楽しそうなの……?」
「そりゃあいいライブを見たら楽しくなるでしょ?」
「確かにそうだけど……」
「それに、今ので私達が超えなきゃいけないラインってのがなんとなくわかってきたというか」
予選ライブを勝ち上がれるのは1組、状況によっては2組とされている。
梓が暫定的に成績トップだと仮定すれば、僕らの目指すべきはそれ以上ということになる。
闇雲に上を目指すよりは随分やりやすいというのが鵜飼さんの気持ちらしい。
「……お疲れ様です。お先に勉強させてもらいました」
後片付けを終えて、梓は舞台袖に帰ってくる。
普段のクールな姿からは想像出来ないぐらい額には汗が滲んでいた。氷のように冷たい歌声とは相反して、彼女の内側ではとてつもないエネルギーが燃えていたのだろう。
「梓ちゃんお疲れ様! ほんっと凄かった!」
「ありがとうございます。でも、あなた方はこれ以上のことをやってくるんでしょう? そう考えると、やり切ったとはまだ言い切れませんね」
梓はストイックにそう言う。
そうだ、いつもの悪い癖で僕は既に負けた気でいたけど、よくよく考えたらまだ出番前じゃないか。
懐かしいなこの感じ。
ピアノのコンクールで梓が凄まじい実力を見せつけたあと、僕を含めた他の皆は負け戦に向かう兵士みたいな顔をしていたっけ。
実力差がありすぎてハナから勝負にならず、ネタに走った人もいた記憶がある。
でも今は違う。
確かに僕だけだと力不足だけど、鵜飼さんが一緒にいる。
彼女が実力を出しきれば、梓を上回ることだってできる。
だからこそ、僕がやるべきは彼女の能力を最大限に引き出すこと。
脇役、と言われれば確かにそう。
鵜飼さんがいなければ、僕なんて大したことないというのも事実。
まるで太陽がいなければ輝くことすらない、月のようだ。
月でいいじゃないか。太陽が燦々と輝くために、月に頑張れることがあるなら、なんだってやらせてくれ。
今の僕にできることは、鵜飼さんを全力で後押しすることだけだから。
できることやできないことは沢山ある。でも、やることが1つに絞れたとき、人は芯がブレなくなって強くなる。
梓のアクトに飲まれていたはずの僕は、気がつくと前を向いていた。
僕ができることはこれしかない。だけどこれは僕にしかできないことでもある。
自信とは、こういう事を言うのかもしれない。
「さあ岡林くん、いよいよだね」
「うん。頑張ろう」
鵜飼さんが拳を突き出すので、僕もその拳に合わせるようにグータッチをする。
緊張はしているのだけれども、不思議とガチガチではない。むしろ、さっきの梓がこの予選のブレイクスルーとなったことで、それを上回りたいという気持ちの方が強いのだ。言うなれば、ウズウズしている状態。
あれほどまでに自己肯定をするのが下手くそで、つい思い込みで捻くれた思考をしてしまうような僕。
そんな僕が柄にもなく、自信という名の見えない力に背中を押されている。
もちろん押しているのは自信だけじゃない。鵜飼さんも僕の背中を押してくれている。
僕が鵜飼さんを輝かせ、その輝きで僕もまた力を得るのだ。本当に、『太陽と月』みたいな2人だなって思う。
無心でセッティングを終わらせた僕は、改めて抱えているギター――ギブソンES-335の出音を確認する。
マーシャルのJCM2000というギターアンプから出てくるその音は、乾いていて、それでいて芯のある力強い音。
「準備はいい?」
「うん、ばっちりだよ」
ガイコツマイクを手にしている鵜飼さんへ視線を送ると、彼女はライブハウスの音響スタッフに手を上げて合図する。
いよいよSun Diva Orchestraのファーストステージ。
――僕は、足元にあるアイバニーズのTS9を思いっきり踏み込んだ。
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