第26話 cream soda

 選んだ曲は『太陽のうた』、お店の雰囲気に合わせてちょっとゆっくり目な曲だ。


 梓の演奏を見たあとだと、どうしても自分のプレイスキルは見劣りする。

 それに、オリジナル曲だってネットでは評判がいいかもしれないけど、いざ人前で演奏するのは初めてだ。クオリティで言ったら、こっちだって梓に劣るかもしれない。


 それでも幸いなことに、僕はひとりではない。

 この歌を自分のものへと見事に昇華してしまう、鵜飼さんという歌姫が味方についている。


 彼女のおかげで、僕は少しだけ自分に自信を持てるようになった気がするし、こんな感じに人前で演奏することも出来るようになったと思う。

 なにより、完全に拗らせてしまった梓との関係を紐解こうなんて、鵜飼さんがいなかったら出来なかったことだ。


 ――今は、鵜飼さんのために全力を尽くしたい。


 ただそれだけの一心で、僕は懸命に鍵盤を叩く。

 不思議と、いつも以上に指は動いていた。


 こんなに一生懸命誰かのためにピアノを弾くのはいつ以来だろうか。

 それこそ、あのとき梓と一緒に出場しようとしたコンクールの前ぐらいまで遡る気がする。


 ……悪くないなあ、こんな気持ちで演奏をするの。

 自分自身のためだけに曲を作って、自己を満たすためだけにYouTubeにアップしていたときとは訳が違う。


 僕が頑張れば頑張るほど、また鵜飼さんも輝いてくれるんだ。こんなに面白い演奏、他にあるわけがない。


 どうせなら1曲だけじゃなくて、持ち歌全部演ってしまいたい、そんな夢心地だった。


「――ありがとうございましたー!」


 鵜飼さんは歌い終わると、ペコリと一礼したあと笑顔で顔を上げる。

 お客さんからは、梓のときとはまた違った音色の拍手が送られた。


 ふと梓の方を向くと、彼女もまた静かに拍手を送っていた。


「……岡林くん、今がチャンスだよ」


「う、うん……!」


 僕はおもむろに立ち上がり、梓の前まで歩み寄る。

 彼女は「何か?」と軽く僕を突き放すような物言いをした。


「……ごめんっ! 僕のせいで、梓の最後のコンクールに一緒に出られなくて」


「……今更ですか。もうそんなこと怒っていませんよ」


「でも、僕は君が引っ越してしまうことも知らずに、ただ情けなく風邪を引いて……、それで入院して……」


 僕が言い訳のようにそう話すと、梓は何か聞き間違えたかのように僕に聞き返す。


「今……、なんて?」


「だからあのとき僕は、コンクール当日に40℃の熱を出して、肺炎になっちゃって10日間も入院して……」


「……それ、初耳なんだけど?」


「……え?」


 僕は唖然とする。


 てっきり叔母さんから僕がコンクール当日に病欠したことぐらい聞いていたと思っていたけど、実は梓はそうではないらしい。


 チラッと叔母さんの方を向くと、僕に向かって両手を合わせて「メンゴ」のポーズ。

 いやいや、それはちょっと困るんだけど叔母さん。


「私はてっきり、あなたが当日に敵前逃亡したとばかり」


「そ、そんなわけないだろ! 少なくともあのときの僕は、恥をかかないように練習したんだ! そ、その、梓に勝てはしないだろうけど、幻滅されたら嫌だなって……」


 弱々しい語尾でそう言うと、梓はまるで頭痛が起きたかのように右手で頭を押える。


 もしかしたらもしかしなくともこの数年間、僕と梓の間には大きなひとつの誤解があったのだ。


 僕は故意にコンクールを辞退していないけど、梓は事情を知らずに僕が本当に逃げ出したと思っていた。


 その程度のこと、誰かが本当のことを梓に伝えたら済む話だった。でも、僕の入院や梓の突然の引っ越しなど、色々な要因が重なってしまって、結局今の今まで紐解かれなかったわけだ。


「……ごめんなさい。私こそ、あなたのことを勘違いしていたみたい。酷いことも言ってしまった。申し訳なく思ってるわ」


 梓はちょっと泣き出しそうな表情でそう言う。何も梓だって悪いわけじゃない。これは仕方がないことだったんだ。


「いいんだよ。だから、今更だけどもう一度梓と一緒に出場したいなと思って今日演奏を披露したんだ」


「出場って……、ピアノのコンクールにでも出るつもりなの?」


「ううん、違う。『ティーンエイジ・ライオット』に梓も出場してほしいなって。そしたらまた、同じ舞台で競争出来るじゃん」


「あなたって人は……」


 梓はちょっと呆れた顔で僕を見る。でも、何故かその表情からは少し喜んでいるような雰囲気も見て取れた。


「わかりました。私も負ける気はありませんから、覚悟しておいてくださいね」


「うん、今度こそ正々堂々勝負だよ」


「せいぜい今度は入院しないよう、きちんと体調管理をすることですね」


「ははっ、違いない」


 久しぶりに、梓と2人で笑った気がした。

 空白の過去はこれから埋めていけばいい、それだけのことだ。


 再びテーブル席に腰掛けた僕と鵜飼さんは、叔母さんからサービスだと言って出されたソーダ水を喉に流し込む。

 何故だかわからないけど、鵜飼さんのにだけバニラアイスが乗っていてクリームソーダになっていた。ずるい。


「いやー楽しかったー、人前で歌うの久しぶりだったけど案外緊張しなくて済んだよ。岡林くんのおかげだね」


「ぼ、僕は別に何も……」


「そんなこと言ってー。演奏中の岡林くん、めっちゃ楽しそうだったよ?そんな顔するんだーって感じ」


 僕は演奏中の自分を思い出して恥ずかしくなった。

 無自覚に笑っているとなると、なんか不気味でもある。


「……昔からこうちゃんは演奏するときあんな感じですよ。楽しそうに笑ってる」


「あ、梓っ!?」


 いきなり梓が会話に入ってきて僕らは驚いた。

 忍びかよというぐらい気配が無くて、実はカフェのバイト向いてないのではとも思ってしまう。


「えっ? ちょっと待って梓ちゃん、『紅ちゃん』って何?」


「何って、昔からそう呼んでいるのですけど……。何か問題でも……?」


 何やら慌てた様子の鵜飼さんをよそに、梓は当たり前ですよといつものペースを崩さない。


「そっかぁ……、従兄妹だもんねぇ……、仕方がないかぁ……」


「別に呼びたかったら呼べは良いと思いますけど? あなた達、お付き合いなさっているんでしょう?」


「「つ、付き合ってないし!」」


 鵜飼さんと僕の見事なユニゾンツッコミが店内に響いて、梓はかたい表情ながらクスッと笑う。


 これが空白の過去を埋める1ページ目なのだとしたら、上々のすべり出しなのだろう。



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