第33話 ウィンドミル鵜飼

「あのね岡林くん、ちょっとこれを見てほしいんだ」


 僕がしょんぼりしていると、少し間を置いて鵜飼さんがスマホを取り出す。

 長い爪のついた指で彼女は画面をいじると、とある1枚の画像を表示して僕に見せつけてきた。


 その画像には中学生ぐらいのひとりの少女の姿。ユニフォーム姿で、グローブとちょっと大きなボールを持っている。

 よくよくその少女の顔を見ると、やや幼さの残る鵜飼さんであることに気がついた。


「これは……、鵜飼さん……? ソフトボールやってたの!?」


「そう、実は私こう見えて中学のころ、ピッチャーやってたんだよ」


 鵜飼さんは得意げにそう話す。

 確かによく考えれば鵜飼さんのスタイルの良さというのは、何かスポーツをやっていたことに由来しているとは思う。けれどもそれがまさかソフトボールだとは思わなかった。


「い、意外だ……」


「でしょでしょ、今でもバッチリ投げられるよ? 今度投げてあげよっか?」


「遠慮しておきます……、多分打てないし」


 ソフトボールの体感速度は野球より速いというから、僕ごときでは鵜飼さんのボールがキャッチャーのミットに納まってからスイングをしそうだ。


 でもひとつ疑問がある。

 なぜ彼女はソフトボールを辞めてしまったのだろう。この学校にも弱小とはいえ女子のソフトボールはある。鵜飼さんみたいな経験者であれば、おそらく大歓迎されるだろうに。


「どうして今はソフトボールをやっていないの?」


 僕が何気なくそう聞くと、鵜飼さんはちょっと表情が曇る。


「実はね、2年生のころ怪我をしちゃったんだ。肘を痛めちゃう結構重傷なやつ」


「それは大丈夫だったの?」


「怪我自体はお陰様で治ったよ。でもね、長いことチームから離れてたから、戻ってきても私の居場所なんてないんじゃないかってその時は思ってたんだ」


 鵜飼さんは昔を思い出すように語る。

 スポーツに限らず、文化部でも、バイトなんかでも、同じようなことはあるだろう。


「……確かに怪我でチームを離れてる間も、みんなはどんどん練習とか試合とかを重ねて上手くなっていくもんね」


「そう。だから復帰するとき、めちゃくちゃ怖かった。それこそ、私なんかがこのチームにいて、釣り合いが取れないんじゃないかって思ったんだよ」


 その言葉に僕の心はズキッと痛んだ。

 もし自分が同じような状況に置かれたら、おそらくは逃げ出してしまうだろうから。


 今まさに自分が鵜飼さんと一緒にステージに立つかどうかと言う部分と重なるところがある。


「でもね、チームのみんなは受け入れてくれた。それがとても嬉しかったんだ」


「鵜飼さん……」


「だからね、私は考え方を変えたの。怪我明けの今の自分では釣り合いが取れないなら、自分自身を変えて、別のやり方で釣り合いをとってしまえばいいって」


 なんとも鵜飼さんらしいアクティブなやり方だなと僕は思った。

 黙っているのではなく、ちゃんと行動を起こすという彼女の強さ。それがとても眩しく見えた。


「自分自身を……、変えるって?」


「うん。ピッチャーがうまく出来ないなら、なんでもいいからチームの役に立てるような人になろうって」


「……じゃあ、ピッチャーをやめて雑用とか声出しとか、そういうことをずっとやっていたの?」


「まあそれもあるよ。そうやって色々模索しているうちにね、部活の余興でアイドルの真似をやったりしたんだ」


 鵜飼さんはスマホの画面をスワイプして別の画像を開く。

 そこには、お手製の小さなステージで歌う鵜飼さんの姿があった。


 今と変わらず、歌うことを楽しんでいるのがその写真だけでよくわかる。まぶしくて、輝いていて、太陽みたいだ。


「あのとき、私自身も楽しかったし、部員のみんなが楽しんでくれた。おかげでやっと自分の居場所が見つかったって思った。それに、歌うことって凄く楽しいんだなってことにも気がついたんだ」


「……それがきっかけで今の鵜飼さんが出来上がったってことなんだね」


「そういうこと。だから、岡林くんも釣り合いが取れないなんて考えるヒマはないんだよ。むしろ、今が自分を変えるチャンスなんだよ」


 鵜飼さんは僕の顔を覗き込んでくる。

 優しい彼女のことだ、多分僕なら出来るとそう言いたいのだろう。


 今までの自分なら間違いなく逃げていた。

 こんなところで頑張らなくても、ただ生きていくことぐらいはできるから。


 でも、今は何故だかそうではない。

 心の中にぼんやりと、ただ鵜飼さんを裏切りたくない気持ちがあるのだ。


 ひょっとするとここが、僕が新しい僕に出会うための最初で最後の機会なのかもしれない。


「自分を変える……、チャンス」


「そう、チャンスなんだよ。だから私は、岡林くんに同じステージでギターを弾いてほしいって思ってる」


 鵜飼さんはこんな僕に真正面から向き合ってくれる。

 その気持ちを、ないがしろにするわけにはいかない。


「ねえ……、ダメ、かな……?」


「鵜飼さん、その表情はずるい……」


「えへへ、鵜飼茉里奈とっておきのおねだりスマイルだよ」


 僕に近づいて上目遣いでそう言う鵜飼さん。こんなの、誰が言われても首を縦に振ってしまう。お手上げだ。


「僕、頑張ってみるよ」


「その意気その意気。岡林くんなら絶対にカッコいいステージングも出来るって」


「ありがとう、鵜飼さん」


 少しだけ、僕は自分に自信がついたような気がした。

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