第31話 今でしょ
事実が判明した僕と鵜飼さんは、あまりにも回り道をしすぎたなと思ってお互いにため息をついた。
ため息のタイミングがぴったり揃ってしまって、僕ら2人は思わず見合って笑みをこぼす。
内心めちゃくちゃホッとしている。もし鵜飼さんに泣かれてしまっていたとしたら、今の自分ではどう対処したらいいのかわからなかったから。
「まったく、山下のやつ私のそんなとこまで見てるとか、ちょっと気持ち悪くない?」
「あはは……」
確かに鵜飼さんの言うとおり、山下の鵜飼さんに対する執着心みたいなものはかなり強い。
昔からの幼馴染とはいえ、ちょっと行き過ぎたところまで来ているのではないかと思えてしまう。
その彼の圧の強さ故に、鵜飼さんを避けてしまっていたのは、僕の反省すべき点のひとつだろう。
「……なるほどね、それで岡林くんは私のことを避けてたんだ」
「ご、ごめん、もっと早く言うべきだったんだろうけど、本当に泣かせていたらどうしようって思って」
僕が恐る恐るそう言うと、鵜飼さんはちょっと拗ねた顔をする。
「どっちかって言うと、私の方がこのまま岡林くんに避けられっ放しだったらどうしようって泣きそうだったんだからね」
「……ごめん」
「でも早く気がついてよかった。夜の散歩とティータイム様々だね」
人間は意思疎通に優れた生き物だとは言うけれど、やっぱり言葉を交わなければ
こんな風に改めて話すきっかけをくれた鵜飼さんには感謝しかない。
少し話し込んでいると、鵜飼さんは忘れてたと言って手に持っていた袋を取り出した。
中にはカフェの新メニューである焼菓子が入っている。少し離れた僕の鼻にも、バターの香りが届いていて、実物を見なくとも既に美味しそうだ。
「はいこれ、新メニューのフィナンシェ。色々な種類を作ったんだってさ」
「うわあ、普通のやつ以外にも抹茶とかチョコレートとか沢山ある」
「香苗さんこだわりのフィナンシェだってさ。結構美味しかったから岡林くんも食べてみて」
僕はとりあえずシンプルなプレーンのフィナンシェを手に取ると、一口かじってその味を堪能する。
焼いてから時間が経っているはずなのに香ばしくて、それでいて甘さが絶妙に丁度いい。
コーヒーと合わせるにはこれ以上ない出来だろう。さすが叔母さんだ。
美味い美味いと2個目のフィナンシェを手に取ろうとしたとき、鵜飼さんがあまり聞いてほしくないことを聞いてくる。
「それで、曲作りの進捗はどんな感じなの? 結構進んだ?」
「し、進捗は……、その……」
僕はその瞬間、冷や汗がどっぷり体の表面ににじんだと思う。
目もキョロキョロしていてあからさまに挙動不審なのが自分自身でも良くわかる。
こういうとき変にごまかすのは良くない。鵜飼さんにはそんなのお見通しだろうし、嘘をつくことを気持ちよく受け止めてはくれないから。
「ごめん、あまりかんばしくない……」
僕が素直に白状すると、鵜飼さんはやっぱりねという顔でとんでもないことを言うのだ。
「よーし、じゃあこれから岡林くんの家で一夜漬けしよう!」
鵜飼さんは急に立ち上がってそう言う。
「えっ、ええっ!? 今から曲作りをやるの!?」
「そりゃそうでしょ、『明日やろうはバカ野郎』って言うじゃない」
有名フレーズを持ち出すにしてはちょっと古くないかと思いながら、僕は鵜飼さんの顔を見上げる。
どこからそんな力が湧いてくるのだろうかと言わんばかりに、彼女の顔はやる気に溢れていた。
「で、でもこんな夜中に鵜飼さんがうちにくるなんて……」
「そんなのお構いナッシング。こう見えて私、どこでも寝られるから平気平気」
「い、いや、どこでも寝られると逆に困るんだけど……」
夜中に僕の部屋で鵜飼さんと2人きり、しかも鵜飼さんは部屋着でちょっと無防備な格好だ。おまけに眠くなったらそのまま寝る気満々だ。
密室(?)、高校生の男女2人、そんな状況で何も起こらない、起こさないかと言われれば、さすがの株式会社陰キャラ代表取締役社長岡林紅太郎でも疑問符がつく。
それでも鵜飼さんは何ひとつ気にすることなく、早く曲作りをしようとグイグイくる。
「とにかく、善は急げって言うでしょ? 早く戻って作業しよーよ」
「わ、わかったよ……」
鵜飼さんに急かされた僕は、残りのフィナンシェを口に運ぶ。
食べ終わると、すっかり馴染んでしまった河川敷公園のベンチにサヨナラをして、僕と鵜飼さんは帰路へついた。
手伝ってくれるのは嬉しいけれど、なんだかとてもイケないことをしているようで、僕の中では妙な胸騒ぎが止まらなかった。
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