第20話 絶対零度

 店に現れた少女はとても凛とした雰囲気をまとっていた。


 校則に抗おうと長い髪を明るく染めている鵜飼さんとは違い、彼女の髪は短くて黒い。

 ちょっと気安く話しかけるのが躊躇われるぐらい顔は整っていて、その立ち振る舞いはちょっと冷たく感じる。


「おかえりあずさ。紅ちゃん来てるわよ」


 叔母さんがそう言うと、彼女は客席にいる僕の方を向いた。

 その目つきは鋭くて、嫌なものを見るように僕は睨まれる。


「や、やあ梓、久しぶり……」


「……」


 僕は何年かぶりに彼女へ挨拶を交わそうと試みるけれど、それはとても迷惑そうに一蹴される。

 やっぱり、まだあのことを根に持たれているのだろう。


「で、ですよね……」


 梓と呼ばれた少女は更衣室の方へ消えていった。しばらくすればこの店の店員としてフロアに現れるだろう。

 緊張の一瞬をやり過ごした僕に、鵜飼さんが食い気味で突っ込んできた。


「……ねえ岡林くん、あの子は誰なの?岡林くんが女の子に『梓』って呼び捨てなんて……!」


「あ、ああ……、あの子は僕の従兄妹だよ。溝脇みぞわき梓、叔母さんの娘さんで僕らと同い年。木曜日は店を手伝ってるんだ」


「従兄妹ぉ!?」


 鵜飼さんはこれまでにないぐらい驚く。僕が『ベニー』であると知ったときよりも間違いなくリアクションが大きい。そんなにびっくりすることだったのだろうか。


「そんなに驚かなくても……」


「べ、別に驚いてないし! あんなに可愛い子が岡林くんの従兄妹で意表を突かれただけだし!」


「それを『驚く』って言うんだよ……。さり気に酷いこと言ってくれているし」


 鵜飼さんは気持ちを落ち着かせるために、お冷に口をつけて何か考え事を始める。


「あれ? でもあの子更衣室に入っていったよ? なんで?」


「そりゃあ、梓もここでバイトというか、家業の手伝いをしてるからね」


「そうなの!? 全然知らなかったんだけど!」


 鵜飼さんは驚きの2連コンボを決める。

 さすが歌姫と言うべきか。そのたびに大きな声が出るので、なんとも僕の心臓によろしくない。


「木曜日に私のシフトが入らないのはあの子が手伝ってくれるから?」


「そうだろうね。今の今まで面識がなかったのもそのせいだと思うよ」


「なるほどそういうことだったのかぁ……。あんなに可愛い子がいるなら紹介して欲しかったのに」


「……鵜飼さん、たまにおじさんみたいなこと言うよね」


 鵜飼さんは、可愛い子の知り合いが増えれば誰だって嬉しいでしょと豪語する。確かにそれはわからないでもない。


「もしかして、岡林くんが木曜日にお店に来たがらないのって、梓ちゃんがいるから……?」


「ま、まあ、そういうこと……」


「どうしてどうして? あんなに可愛いのに梓ちゃんのこと苦手なの? ひょっとして岡林くんはイケメンのほうが好きなの?」


「んなわけあるかい!」


 僕が鵜飼さんへ渾身のツッコミを入れると、彼女はちょっと安心したような、それでいて落ち着かないような、へんてこな表情を浮かべる。


「……ま、まあ、梓とは昔ちょっといろいろあって」


「いろいろっ!? いろいろって何!?岡林くん、もっと詳しく教えて!」


「わ、わかったよ……」


 よくわからないけど今日の鵜飼さんはグイグイ来る。いつも割と積極的な方だと思うけど、ここまで押しが強いのも珍しい気がした。


「なんのことはないよ、小さい頃に喧嘩したまま仲直りしてないってだけさ」


「なーんだそんなことかぁ……」


 鵜飼さんはがっかりしたようなため息をつく。

 僕と梓の間に面白い背景がなくてごめんねと、心の中で鵜飼さんに謝罪しておこう。


「あんな感じで梓ちゃんが怒ってたから、てっきりもっと拗れた関係なのかと思っちゃった」


「拗れた関係?」


「例えばその……、元カノ……とか?」


 鵜飼さんの言葉に僕は吹き出しそうになる。

 口にコーヒーを含んでいなくて助かった。


「ないない……。鵜飼さん、僕にそんな人がいるわけないのわかってるくせに……」


「えっ……? あっ、いや別にそういうつもりで言ったわけじゃ……」


「いいよ別に、僕ってそういうやつだから」


 生粋の陰キャラである僕に彼女なんかいるわけない。ましてや梓なんて僕にヘイトしか抱えていないような子だ。

 10年前にタイムリープするのを100回繰り返しても、あの子が僕の元カノになることはないだろう。


 鵜飼さんはちょっと悪いことを言ってしまったと反省している。

 僕としてはそんなの慣れっこなので、別に深刻に考える必要はないと思うのだけれども、変なところで鵜飼さんは真面目みたいだ。


「……お待たせしました。カフェラテとアイスコーヒーです」


 しばらくして、カフェの制服に着替えた梓が注文の品を持ってテーブルへやって来た。

 カフェで働いている梓を見るのはこれが初めて。鵜飼さんとはちょっと違うタイプの美人で、その凛とした感じがこの秘密基地的な雰囲気のカフェによく合っている。


「ありがとー! ねえ、梓ちゃんってウチらと同じ高校だよね、何組?」


「ちょ、ちょっと鵜飼さん……!」


 初対面でしかも仕事中なのに、いきなり梓との距離感を詰める鵜飼さんに僕は思わずツッコミを入れた。

 でも、梓は慣れた様子で応対する。


「……C組です。それがどうかしましたか?」


「C組かー、担任の浅尾あさお先生カッコいいよねー。イケメンを毎日補給出来て羨ましー」


 鵜飼さんは担任トークで話を広げようと試みている。


 というかやっぱり、鵜飼さんもイケメン大好きなんだね。そうだよね……、浅尾先生カッコいいもんね……。既婚者だけど。


 陽キャパワーに対して梓がどう対応するか僕は気になっていたけど、やっぱり梓は梓だ。

 鵜飼さんのトークに対して、絶対零度の冷たさで一言。


「……別に」


 彼女は、何食わぬ顔で仕事へと戻っていった。



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