第15話 銀なら5枚、金なら1枚

「ご、ごめんなさい……、うっかりコーヒーをこぼしてしまって……」


 僕のズボンはブレンドコーヒーを浴びていた。

 店内は一瞬静まり返り、少しの間をおいて鵜飼さんがこちらへやって来る。


「だ、大丈夫っ!? 火傷してない? すぐに拭くもの持ってくるから!」


 その様子をカウンターの向こう側から見ていた叔母さんは、僕と鵜飼さんを店の奥に行くように誘導する。


 山下たちの迷惑行為から鵜飼さんを守ることに関しては、どうやら上手く行ったらしい。


「また岡林かよ……、どんだけ鵜飼にアピールしてんだあいつ。キモ過ぎだろ」

「茉里奈もあんな奴の相手しなきゃいけないなんてかわいそー」


 去り際に彼らの陰口的な言葉が聞こえてくる。

 チクチク心に刺さって来るかなと思ったけど、案外平気なもんだ。

 それに、僕が行動を起こしたおかげて狙ったとおりに山下たちの興ざめした感じを引き出すことが出来た。作戦は大成功と言えよう。


 これぐらいの行動でことが収まるのであれば、安いものだ。


 店の奥にある更衣室に連れて来られると、鵜飼さんは替えのスラックスを僕に手渡す。


「カフェの制服のスラックスだけど、良かったらこれに着替えてって香苗さんが」


「ありがとう。助かったよ」


 鵜飼さんは一度更衣室の外に出て僕が着替えるのを待っていた。

 幸い、手渡されたスラックスのサイズは問題なさそう。コーヒーをこぼしてしまった制服のほうも、クリーニングすればきれいになるだろう。


「着替え終わったよ」


「……うん」


 鵜飼さんは再び更衣室に入ってきた。その顔は、なんだか申し訳なさそうなように見える。


「……ごめんね。岡林くん、山下たちがあんなだから、わざとコーヒーをこぼしたんだよね」


「な……、なんのことかな? ぼ、僕はただドジを踏んだだけだよ?」


 鵜飼さんがあまりにも鋭いことを言うので、僕は思わず下手クソ過ぎるすっとぼけ方をしてしまった。


 普通に考えてビシッとあいつらを注意すればいいのに、コーヒーをわざとこぼして興を削ぐというのはなんともかっこ悪い方法だと思う。

 だからここは、本当に僕がドジなことをしてしまったということにしておいてくれればそれでいいんだ。


「じゃあそういうことにしておくね。ありがとう、岡林くん」


「だ、だから僕は何もしてないって……!」


 鵜飼さんは何かわかりきった感じで不敵に笑う。

 心の奥を見透かされているようなその鵜飼さんの瞳に、僕は恥ずかしさを隠すことができなかった。


「でもびっくりした、まさか山下たちが来るなんて」


「ごめん、多分だけど僕のあとをつけて来たんだと思う」


「ええー、それってストーカーじゃん。どれだけ岡林くんのことが好きなんだよって感じ」


「い、いや、それはちょっと違うでしょ。むしろ鵜飼さんが目的でしょう」


 鵜飼さんは「そうかな?」とちょっととぼける。

 なんだかんだで色々な人たちと交友がある彼女は、意外にも自分が話題の中心にいることに気が付かないのかもしれない。


「そんなに私のバイト先に来たいなら、最初から聞いてくれればいいのに。わざわざ岡林くんのあとをつけるとか、ちょっと性根曲がりすぎじゃない?」


「ま、まあ、僕みたいなやつが鵜飼さんとつるんでいるのがもの珍しかったんだよ、多分」


 もの珍しいだけで済めばいいけれど。と僕は心の中で思う。

 山下たちから見たら、僕みたいな日陰者に鵜飼さんの興味が向いているとなれば、それは面白くないことなのだろう。


「『僕みたいなやつ』って、岡林くんも岡林くんで自分を卑下しすぎだよ。そんな自分を蔑むようなこと、全っ然ないのに」


「ハハハ、そう言ってくれるのは鵜飼さんだけだよ」


 鵜飼さんにちょっとお叱りを受けて、僕は冗談っぽく受け流す。すると彼女は、僕にギリギリ聞こえない声で小さくつぶやいた。


「冗談じゃないんだけどなぁ……」


「ん? 鵜飼さん、何か言った?」


「な、何も言ってない!独り言!」


「そう、それならいいんだけど」


 僕はふと腕時計を見ると、思っていたより時間が経ってしまっていることに気がついた。

 このままバイト中の鵜飼さんをここに居させるわけにもいかないし、クリーニング店にも寄らなければならないので頃合いをみてお暇しようと思う。


「それじゃあ、僕はそろそろ帰ることにするよ。クリーニング屋さんにも行かないとだし」


「そっか……、ちょっと名残惜しいけど、またのお越しをお待ちしております」


「そこだけちょっと接客っぽいのね」


 鵜飼さんは何故か得意げに「えっへん」と胸を張る。

 彼女のことなので、バイトが決まってから接客の練習をしたに違いない。普段から歌の練習も熱心に取り組むので、そういうひたむきなところに皆惹かれるのだろう。


「あっ、そうだ。助けてもらったお礼は何がいいかな? 猫耳メイド服でも着ればいい?」


「なっ……! 何言ってるんだよ鵜飼さん!」


 帰ろうとして更衣室のドアに手をかけた瞬間に鵜飼さんがそんなことを言うものだから、あからさまに僕は動揺してしまった。


 猫耳メイド服姿の鵜飼さん、見たくないと言えば大嘘も大嘘だ。本音を言えば、猫耳のない正統派なメイドさんならなお好み。

 でもそれは何か超えてはいけないラインのような気がして、僕は思いとどまる。


「ぼ、僕は別に助けたわけじゃないから……」


「じゃあ、私が岡林くんに借りを1つ作ったってことで」


「……それ、溜まったらどうなるの?」


「うーん、おもちゃの缶詰プレゼント?」


 チョコボールかよ! とツッコミを入れたあとの鵜飼さんは、てへっと笑っていてやっぱり可愛かった。



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