第5話 すってんころりん

 のど自慢の本戦が行われる日、僕は重い足取りで市民文化ホールへと向かっていた。


 鵜飼さんに歌を聴きに来てほしいと誘われたのはとても嬉しいことではあるけれど、それに付随してクラスの陽キャラ集団に関わる可能性が出てきたのは大変憂鬱だ。

 あの集団から「なんで岡林がいんの?」なんて言われるのを想像するだけでゾッとする。


 できるだけ彼らに関わらないように、僕は時間ギリギリを狙って会場に入る。幸い席には余裕があったので、端っこの目立たない席をすぐに確保した。


 陽キャラ集団はやっぱりステージ近くの前列に陣取っている。鵜飼さんの出番になったら盛り上げにかかるのだろう。僕は性に合わないのでここでじっと見ている方がいい。



 ふと、めったに鳴らない僕のスマホが鳴ってびっくりした。マナーモードになっていなかった事に気がついて、あたふたしながらスマホを取り出すと、鵜飼さんからのメッセージが来たという通知が出ていた。


『やっほー、岡林くん来てくれた? どこにいるの?』


 彼女は僕が来たかどうか気になって連絡してくれたみたいだ。たぶん今鵜飼さんは控室で待機しているのだろう。


『来たよ。ちょっと遅れちゃったから上手かみて側の端っこの席にいる』


 簡潔に僕はそれだけ返す。

 端っこの席にいるのは遅れたからではないけど、それらしい理由をつけて自然に振る舞いたかった。なんともかっこ悪いなと僕は自嘲する。


 返事はすぐに来た。遅れてやってきたこととか、なんで陽キャラ集団と一緒に居ないのかとかそんなことを問いただされたらどうしようと考えていたけど、鵜飼さんの返しはやっぱり鵜飼さんだった。


『えーっと、上手かみてってどっちだっけ?』


『ステージから見て左側だよ。逆に右側が下手しもて


『ほー、そうなんだ。岡林くん物知りー!』


 あまり気にしてなさそうで僕は安心した。

 こういうほんわかした感じも鵜飼さんが人気者たる理由だろう。変に考え込んでいた自分がなんともバカバカしい。


『今日は絶対にグランプリ獲っちゃうから期待しててね!』


 可愛らしいスタンプと一緒にそうメッセージが送られてきた。


 不慣れな僕は、鵜飼さんになんて返したらいいのだろうと少し悩んで結局、


『頑張ってね』


 とだけ返事をしてしまった。


 あの陽キャラ集団にいるような奴らなら、もっと気の利いた楽しい返しができるのだろうなと思うと、ちょっと自分が嫌になる。


 仕方がない、僕は鵜飼さんに曲を提供する以外は何もないただの陰キャラなのだから。



 正午になっていよいよのど自慢がスタートする。

 全国放送だけあって、見慣れたアナウンサーとゲストの大御所歌手の存在感がすごい。離れた場所に座る僕からでもそれがよく分かる。


 全18組のうち、鵜飼さんは16番目。大御所歌手の後ろにある出場者席に、ちょっと緊張した面持ちの彼女が座っている。

 さすがの鵜飼さんでも緊張するものなんだなと、僕はそんなことを考えていた。


 着々とタイムテーブルは進んでいく。ステージでは老若男女問わない出場者たちが自慢の歌声を披露して会場はどんどん盛り上がる。


 でもまあ、歌が下手くそな僕が言うのもなんだけど、やっぱり出場者の歌のレベルは素人の域だ。学校や職場なんかで『おおー、上手いね』って言われる程度のもの。

 グッと引き込まれるようなものはない。


 そうして番組は終盤に差し掛かり、ついに鵜飼さんの出番がやってきた。


 学校からの約束事ということで制服を着用している。いつもは着崩している鵜飼さんだけど、さすがに全国放送ということできっちり着ていてそれが逆に新鮮に見える。


 表情は変わらず緊張気味で、何かを探すように少しキョロキョロしている。一体どうしたんだろう。


「――じゅ、16番、『紅炎華』」


 鵜飼さんは緊張で爆発しそうな声で番号と曲名を述べると、バックバンドの演奏が始まった。

 放送時間が限られているのでイントロは最小限。それでも彼女はその短い時間の中で何かを必死で探している。


 まずい、嫌な予感がする。


 今の鵜飼さんは強烈に緊張していて、なおかつ集中もできているとは言えない。このまま歌ってしまったら、いくら上手いと言われる彼女でもパフォーマンスが落ちてしまうだろう。


 もしこのまま鵜飼さんのアクトが上手くいかなかったらどうなる?

 あれだけ自信満々で臨んでいるんだ。失敗したら相当落ち込むに違いない。太陽みたいに明るい鵜飼さんだからこそ、僕はそんな彼女なんて見たくはないと思った。


 じゃあどうする?

 今から声をかけに行くなんてことは不可能だ。LINEのメッセージだってここでは意味がない。なんでもいい、とにかく彼女の緊張を解く何かがないか、僕は周りを見渡した。


 その時の僕は、まるで夢遊病のようだったと思う。考えるより前に身体が動いていて、市民ホールの観客席通路の階段をてくてくと早足で降りていたのだ。


 暗くて足元もおぼつかない場所だ。当然のように僕はズッコケた。それも、結構派手に。


 もしカメラがこちらに回っていたならば放送事故と言ってもいいだろう。周りにいた観客から僕に、おびただしい数の視線が集まる。もちろん、あの陽キャラ集団も僕のことを見た。


 何をやっているんだろうか僕は。

 何もできないくせに、これではただ無闇に動いては転んで周囲の顰蹙ひんしゅくを買っただけではないか。


「あれって……、岡林……?」

「ほんとだ、なんであんなとこに?」

「てか、こんなタイミングでコケるとか無いわ」


 チクチクした陽キャラ集団からの声で正気に戻ってきたのか、転んでぶつけた場所が痛み始める。

 出過ぎた真似をしてしまった。早くここから立ち去りたい気持ちでいっぱいだ。


 なんとか立ち上がって自席へ戻ろうとすると、ステージにいる鵜飼さんと一瞬だけ目が合った。



 僕は、夢でも見ているのかと思った。


 その時の鵜飼さんは、いつもの太陽みたいな笑顔を浮かべていたのだ。さっきまでの緊張して気が気じゃない表情は、嘘のようにどこか遠くへ行ってしまった。


 ちょうど『紅炎華』の歌い出しが始まる。


 まるで生まれ変わったかのように先程とは別人の立ち振る舞いを見せる鵜飼さんは、その持ち前の歌声で会場中の空気を一変させた。


 ――上手いなんてもんじゃない。


 単純に歌唱力が高いだけでなく、ステージ上での佇まい、姿勢、視線、身振り手振り、それらが全て一級品だ。

 鵜飼さんは歌うことで世界を変えるために生まれてきた、そんな存在に僕は見えてしまった。


『歌姫』とは、彼女のための言葉であろう。


 合格を告げるチューブラーベルの音がホール全体に響き渡った。

 誰もがこの時点で、鵜飼さんが今週のチャンピオンだと思っている。そんな圧倒的アクトだった。


 やっぱり、僕と鵜飼さんでは住む世界が違うのだなと、改めて感じさせられた。


 彼女はこれから歌姫としてどんどん輝いていく未来がある。それに比べて僕はといえば、ちょっと人より曲が作れるただの陰キャラ高校生だ。おまけに大事なときに何も出来ずただ階段で派手にコケるというダサさも付録としてついている。誇れることなんて何もない。


 すっかりセンチメンタルになってしまった僕は、のど自慢の結果発表を聞く前に会場をあとにしてしまった。


 間違いなく鵜飼さんが優勝だろう。そうなればあの陽キャラ集団と一緒に祝勝会でもやるに違いない。


 その輪の中に僕の存在は必要ないのだ。

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